第14話 忘れられない表情

 今はもう思い出したくないことだが、中学2年から3年の夏にかけて幼馴染の姫乃澪と付き合っていた。


 澪と付き合い始めたとき、2人が付き合い始めたという噂はすぐに学校中に広まった。澪はあの容姿であるから元々注目を浴びていたし、俺は俺でそれなりに交友関係が広かったので一瞬で広まったのは当然の結果とも言えるだろう。わざわざ隠す必要もなかったので、普通に周りに話していたというのも大きい。


 良くも悪くも多くの人に広まってしまった。別に噂が広がったこと自体は嫌なことではなかったが、どうしても多くの人から同じような質問を受け煩わしく思ってしまうことがあった。


 例えば、何度かお世話になったある男友達に


「おう、仁!姫乃さんと付き合ったんだって?やっとくっついたか。応援してた甲斐があったぜ」


「まあな、ありがとう」


あるいは、別の仲の良い女友達に


「仁くん、澪ちゃんと付き合い始めたんでしょ?おめでとう」


「おう、ありがと」


 こんな感じで同じような質問を何度も受け、煩わしいなと思ってしまうことがよくあった。

 ただ、こうやって話しているときには煩わしさだけでなく、もちろん付き合えたこと自体が嬉しかったのでそのことを話す喜びがあったことは否めない。長年の想いが実ったのだ。その事を誰かに伝えたくなったとしてもそれは仕方のない事だろう。


 そんな嬉しいような面倒くさいような日々が中学二年の一時期にはあった。


 最近、そんな久しぶりの昔の感覚をまた感じつつある。結衣といつ遊ぶか相談して決めてから数日が経ったのだが、俺が思っている以上に結衣と俺の噂は有名だったようでクラスで広まっていた。


 どうやら結衣が周りに話したことがきっかけならしく、結衣自身が俺とのデートについて愛月さんやそのグループの女子たちと話しているのを見かけた。

 別に隠すことではないし構わないが、ただその噂についてクラスメイトから質問されるのは少しだけ煩わしく面倒くさい。

 澪の時も同じようなことは思っていたが、それは惚気られる機会でもあったので嬉しくもあった。


——だが今回はそういう気分にはなれず、ただひたすらに億劫だった。


 最近ではいろんな人から質問されそれを軽く流す生活がルーティンになりつつある。今日も教室に入ると、1人そのことを聞いて来るやつがいた。


「じーん!おはよ!修から聞いたんだけど、胡桃さんとデート行くんだって?」


 教室に入るなり、元気な声で話しかけて来る舞。今日は髪を結んでポニーテールにしているので、動くたびその動きに追随するように縛られた髪が揺れ動く。舞の元気さを表すようにゆらりゆらりと何度も揺れる。


「そうだよ。なんだ、俺がデートするからって嫉妬か?」


「残念ながら私の心の席はもう埋まっているからね。嫉妬をさせたいなら修とデートしたら?」


「それは明らかに別な意味が含まれているし、絶対舞が噂にして広げる気だろ」


「残念、バレたか」


 軽くじゃれ合いながらつっこむと、舞はぺろっと舌を出して朗らかに笑った。まったく、そんな噂を広げようとするなんて恐ろしい子……!


「そうそう、ゴールデンウィークのカラオケ、私と美優も行くから。把握よろしくね」


「了解。美優は歌うまそうだし、楽しみだな」


「実際上手だから楽しみにしてて……ってちょうどいいタイミングで美優が来た。美優!おはよ!」


 舞が教室のドアの方を見てブンブンと手を振るので俺もそっちを向く。するとドアの方からこっちに向かって歩いて来る1人の女子がいた。


「舞ちゃんは朝から元気だね。おはよう。舞ちゃん。成瀬くん」


 聞いていて落ちつくような柔らかい声。しっとりと滑らかなトーンが耳に残る。こっちの元まで歩いてきて挨拶をしたのは葉月美優だ。彼女も舞と修と同じ中学出身ならしく、かなり仲がいい。

 彼女は黒髪ショートのストレートに色白な肌でそのコントラストが余計に彼女の透き通る色白さを強調している。


 そんなザ清楚系という美人だが、今日はほんのりと頰が上気して色付いていた。その理由はすぐに察せられた。


「ああ、おはよう。バスケ部、今日は朝練か?」


「うん、そうそう。おかげで今日は寝不足だよ」


 そう言って、美優はふわぁと小さく口を開けてあくびをする。その仕草でさえ優雅に見えるのは気のせいだろうか。


「さっき、仁と2人で美優は歌が上手って話してたんだよ」


「ああ、美優はなんとなく歌が上手いイメージがあるしな。こう、なんでもそつなくこなせるような感じ。勉強とか運動とか。確か入試の成績も10番以内だったよな」


「あはは、まあ、人並みぐらいには歌えるよ。勉強は姫乃さんとか成瀬くんには負けちゃうけど」


 俺たちの言葉に美優は少しだけ困ったように笑って、苦笑を零す。だがすぐに楽しそうに表情を緩めて、忠告するように口を開いた。


「あ、成瀬くん。歌は私は大丈夫だけど、舞ちゃんは少し……あれだから期待しないであげてね?」


「ちょっと、美優!?仁、別に私、音痴ってほどじゃないからね?少しだけ音程が外れちゃうだけだから」


「ああ、なんとなくそれは分かってたから安心しろ」


「ちょっと!?」


 舞は少しだけムッと頰を膨らませて、抗議してくる。まあ、別に音痴でも楽しく歌えばそれでいいと思うし、実際舞はそういうのを気にせず楽しく歌うだろう。歌手を目指しているなら別だが、歌うことを楽しむのに音痴であるかないかなんて関係ない。

 そんなことは気にせず楽しむことが大事なのだと思う。


 おそらく舞も大して気にしてはいないだろう。歌いながら楽しそうに踊る舞の姿が容易に想像できた。むしろ踊りメインにして歌を放り出すところまで目に浮かぶ。


「とにかく、カラオケは楽しみだな。それにしても結局いつものメンバーか。せっかく男子だけでコイバナできると思ったのに」


「ふっ、私を省いてコイバナをしようとしたってそうはいかないのだよ」


 急に声を低くしてキャラを変えてくる舞。ハードボイルド感を出したいようだが、どう聞いても女子の高めの声のままで可愛さが抜けていない。似ても似つかず低クオリティにも程がある。思わずつっこんでしまう。


「それ、全然ハードボイルド感ないからな?」


「……コイバナといえば仁の話が1番タイムリーなわけだが」


「聞かなかったことにすんのかよ」


 俺の言葉に舞は一瞬固まったがそのまま言葉を続けた。どうやらそのまま演技を続けるらしい。もうつっこむ気も起きずスルーして放置する。


「実際のところ、どうなんだい?胡桃さんのこと好きなのかい?」


「それ、私も気になる。かなり噂になってるし」


 やはり女子ということで恋愛事への関心が高いらしい。ぐいっと少し顔を寄せて食いついてくる。舞に関しては身を乗り出してきているほどだ。心なしか2人の瞳はキラキラと輝いているように見えた。


「まだ分かんないな。いい奴だとは思ってるけど、それほど深く話しているわけではないしな」


「真面目だね、成瀬くんは」


「そうだね、仁らしいと言えばらしいけど。でも、これで付き合ったら、また有名になるね」


 もうハードボイルドはやめたらしい。変わり身の早い奴だ。納得したように舞と美優はうなずいていた。


「そうか?」


「そりゃあ、学年でも有名な2人が付き合うわけだし。それに結衣ちゃんが中学で付き合った人ってみんな有名なかっこいい人だったんだよね。そんな結衣ちゃんの相手となれば注目を浴びるのは間違いないね」


「確かに胡桃さん、いつも彼氏がかっこいいって話題になってた」


 舞の説明に美優も共感してくる。どうやら舞達は結衣の元カレ達を知っているらしい。それほど有名な人と付き合っていたということか。


「……へー、そうなのか」


 少しだけ結衣のこれまでの遍歴を聞いて何か引っかかった気がした。

 別に結衣に昔付き合っていたことが引っかかったわけではない。かっこいい人はモテるし、そういう人を好きになるのは自然だろう。だが、またなんとも言えないモヤモヤが胸に溜まった気がした。


「よかったね、仁。これで、仁は自他ともに認めるイケメンだよ」


「褒めてくれるのは嬉しいが、どさくさに紛れて俺をナルシストにするな」


「残念、バレたか」


 しっかり指摘するとちろっと舌を出して見せてきた。まったく懲りない奴め。


 ♦︎♦︎♦︎


 授業が始まれば後はいつものように日常が過ぎていき、何も起こることなく放課後がやってくる。

 残念ながら澪と関わらないと決めたところでどうしても逃れられないものがある。それが放課後の集まりだ。たまに開かれ会議室で行われるこの集会に行かないわけには行かず、今日も澪と一緒に参加していた。


 前から先生が何かを話している声が聞こえてくる。そんないつものつまらない連絡事項を軽く聞き流しながら、隣の澪を盗み見る。

 さらりと艶やかな髪の間から何度も見たことがある横顔がちらりと覗く。憎らしいほどに綺麗でつい見惚れそうになる。呆けそうになり、一瞬頭を振って意識を戻した。


 澪は俺の幼馴染で嫌いな奴。澪にとって俺は気まずい幼馴染。互いに避け合い最低限の関わりしか持たない。それ以上でもそれ以下でもない。澪が変わったとしてもそれは変わらない。

 なぜこいつは変わったのだろうか。何を考えているのだろうか?そんなことを思いながらぼんやりと澪を眺めていると、澪が俺の視線に気づいたらしくこちらを向いた。


「なに?」


 不思議そうにこちらを見つめ、ぱちぱちと二度瞬きをしながら首を傾げた。よく手入れされているのか、煌めく長めの黒髪が滑らかにさらりと流れるのが目に入る。


「……なんでもない」


「そう。これ、明日みんなに知らせてくれる?」


「なに、これ」


 澪は俺の返事に特に気にした様子もなく、一枚のプリントを渡してきた。タイトルを見ると『体育祭について』と書かれていた。

 全然話を聞いていなかったので尋ねると、少し呆れたようにしながらも、俺の持つプリントの一列を指さしながら教えてくれた。


「やっぱり、聞いてない。体育祭の参加競技についての希望調査。この部分を明日みんなに伝えてくれればいいから」


「ああ、そういうこと。了解」


 人前で話すのが苦手で俺に頼ってきたのだろう。まあこういうのは俺の方が得意だし、話を聞いていなかった負い目もあるので承諾する。

 話すことはそれだけか確認する意味でプリントから澪に視線を戻すと、澪は少しだけ視線を斜め下にずらしてポツリと小さく言葉を零した。


「……ありがとう」


「別に」


 やっと少しだけ慣れたとはいえまだ違和感が残る。別に「ありがとう」と言われるのは悪くないし構わないが、これまでこんなに言われたことがなかったのでどうしても不思議に思ってしまう。

 ただ淡々とした事務的な会話でさえ昔と比べてしまい妙な感じだ。


 ちらっと澪を見るが相変わらずいつも通り無愛想で無表情。長年見てきた変わらない表情になんとも言えない気分のまま、澪から視線を切って前に向き直した。

 

 その後は特に会話を交わすこともなく連絡事項は進行し、集会が終わる。持ってきたのは筆記用具だけで荷物を教室に置いてきたので、無言のまま一緒に荷物を取りに教室へ戻る。


 カツン、カツン。


 2人分の靴音が廊下に響く。既に放課後で人気は少なく、普段は聞こえない靴音が廊下に木霊し耳に届く。

 なんだろう。やはり最初の頃ほど2人でいるのが気まずくない。もちろん、それはこうやって2人でいることに慣れたことが理由だと思うのだが、それ以外にも澪の雰囲気が柔らかくなった気がするのだ。

 前ほどの刺々しさがなく、普通の距離感で居心地が悪くない。俺と澪の間に以前あった張り詰めた空気が少しだけ緩んだ気がする。

 不快ではない無言の空気を身に感じながら、教室まで歩き続けた


 教室に着いたところで、荷物をリュックに詰め背負いながら声をかける。


「今日は一緒に帰るか?」


「別にいい。もう少し勉強していくつもりだから」


「そっか」


 俺が声をかけると澪はふるふると首を横に振った。澪らしい理由が相変わらずだ。幼い頃、澪はそこまで勉強が出来るやつではなかった。それが今では学年一位になれたのは、単に努力の賜物だろう。


——努力は誰にでも出来る事であって、誰にでも出来ることではない。


 それだけ一つのことを突き詰められるのは素直に凄いと思うし、昔からそこは尊敬している部分でもあった。


「……仁は胡桃さんと一緒じゃないの?」


「いや、今日は集会があるから特になにもない」


「そう……ねえ、仁」


「ん?なんだ?」


 澪に名前を呼ばれて目を合わせる。澪は目が合うと困ったように瞳を揺らした。視線を左右に彷徨わせて、何かを言いかける。それはきっと伝えたい何かなのは雰囲気で分かった。じっと黙って待つが、澪は結局視線を落として小さく儚い声で零した。


「……ううん、なんでもない」


「……」


 普段の俺なら別に澪の言葉を突き詰めようと思わなかっただろう。別に今更澪が何を伝えたかったなんてどうでもいいし、気にする必要もない。いつもならそう思っていたはずだ。


––––ただ、今日だけは気分が違った。


 単に澪の言いかけたことが何か気になったというのもある。だがそれ以上に気分を変えたのはさっきの雰囲気のせいだろう。


 ほんの少しだけ居心地がよかった。確かに相変わらずの無表情で口下手ではあるが、雰囲気が柔らかくなっていた。

 さっきも「ありがとう」と言われたし、これまであった刺々しさが減った。一緒にいるときの息苦しさが安らいだ。その雰囲気に当てられたせいか、気まぐれにも、澪の言葉の続きを尋ねてしまった。


「なんだよ。言いたいことがあるんだろ」


 俺の問いかけに澪は目を逸らして俯く。そのままどこか言いにくそうな雰囲気を漂わせながらも、ぽつりと言葉を零した。


「……胡桃さんとデートするの?」


「するよ」


 俺の返事を聞いてゆっくりと顔をあげ、こちらを向く。真剣さを宿らせた瞳をゆらりと揺らし、細く小さな声で言葉を続けてくる。


「そっか……仁は胡桃さんと一緒にいて楽しい?」


 凛と響き耳に残る声。澪の質問の意図はわからない。ただその声音に大事なことを聞いているのは伝わってきた。だから俺は誤魔化すことなく素直に答えることにした。


「……ああ、楽しいよ」


「それならよかった。…………デート上手くいくといいね」


「っ……」


 息を飲む。


 呼吸を忘れる。


 久しぶりに見た澪の笑顔。柔らかい微笑み。見守るような細められた瞳。背中を押すような切なく温かな声。不覚にもきゅっと胸が締め付けられる。何か心の奥が揺れた気がした。


「それだけ伝えたかった。じゃあね」


「あ、ああ。じゃあな」


 澪の言葉に押されて教室を出る。人気のない廊下を1人で歩く。教室から離れ、だんだんと吹奏楽部の楽器の音、校庭からの運動部の声が耳に届き始める。


(なんだよ……)


 どこまで歩いてもさっきの出来事が何度も頭のうちに蘇ってくる。振り切ろうにも振り切れない。眩しく痛々しい澪の笑顔がいつまでも脳裏に残り続けた。

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