第20話 それが夏の大三角形

『あんた、今日でクビね』


 だが、店長の簡単すぎる言葉で、直後に店を追い出されてしまった。

 少女が一人で歩くには寂しすぎる、太陽が星の真反対にある時間帯だった。

 

「……はぁ」


 考えてみれば実に合理的なことだ。

 真偽はさておいて、西に協力的かもしれない危険因子を置いておくには、天使の名前はそれほどの価値は無かったという事だ。

 また今日みたいな客が来るとも限らない。

 代わりの踊り子なら沢山いる。トドメの台詞がそれだった。

 

 ミモザが嫌いそうな店長ではあるが、例えば自分が逆の立場でもそうしていただろう。

 残念なことに、フクリのいる世界というのはそんな曖昧な“可能性”だけで簡単に切られてしまうのだ。

 実質こんなスラム街の信頼など、糸より細く、干物よりドライに出来ている。

 

 フクリもそれは重々承知だ。

 生まれた時から、ずっとこんな浮浪者の様な生活をしているのだから。

 実際、こんな事は初めてではない。

 “寧ろ、街を追い出された事もある”くらいなので、正直のところ店をクビになったことに関してはそこまで重くとらえていない。

 既にフクリの思考は「次どうしよう」に傾いている。

 

 しかし、その心模様は決して晴れ晴れしいものとは言えない。

 フクリが見上げた、夜空のように。

 街の灯りで星が淡くなった漆黒なだけの風景のように、何も見えないからこそ怖い。

 

「……この分だと“一年間”もこの街にいれないかもしれない……」


 フクリには、街に居づらい事情がある。

 決して実は西ガラクシ帝国のスパイであり、実は当局から追われている、という訳ではない。

 特に愛国心なんてものはないにしろ、街に住み着いたからには平穏、平和への協力を惜しむつもりもない。

 しかしそれが朝の様に親友の命を奪ってまで、というのなら話は別だが。

 

 街に居づらい事情が浮き彫りになったのは先程フクリに瓶を投げた連中だ。

 あの時の表情は思想の違いを糾弾しようとしていたものじゃない。

 もっと根深い、“檻の中に入れるべき動物達が立って喋っている”事に対する嫌悪感。

 

「やっぱりさっきの人達……あの時過激派として来ていたわけじゃなくて、私の正体に気付いたんじゃ……」


 だとしたら、この街にも入れない。

 折角入学が叶った魔術学院にも、卒業した事で繋がるワンランク上の生活にも届かない。

 それでも、“フクリの正体に気付いた連中にされる事”を思えば、仕方のない事である。

 

(最悪だ……私。ミモザちゃんが私に怯えている姿、想像しちゃった……)


 自分の正体を知ったミモザが手のひらを返して、敵として見つめる視線。

 それを想像したら、ますますこの街に居られないと感じた。

 

(でも……ミモザちゃんにだけには、私を怖がらないで欲しい……そんな顔、見たくない)

 

 だって、そんな表情は十分学んだから。

 虹色の表情が、モノクロに冷めていく瞬間は何度も見てきたから。

 最後に、ミモザが入学できるように“最後の手”を打とうと思っていたけれど。

 

 丁度その時。

 

「おっ、奇遇だなぁ……、天使とやらにこんな所で出会うとはな」


 とても人なんて通らない筈の郊外。

 自分の“寝床”までもう少しという所で、物陰から足音。

 その正面に立っていたのは、先程店に押し込んできた奴隷商人だった。

 

「あ、あなたは……!」


「客の顔を覚えてくれているなんて踊り子の鏡だねえ。聞いた話、追い出されちゃったみたいだけど」

 

 誰のせいだと思っているんだ。

 そう憎むフクリの視界に、先程雨男エトセトラに倒された男達も映った。最も歩くのがやっとのボロボロの状態な訳だが。

 否、更に後ろに五人。

 

「……!」

 

 さっきまでいなかった筈なのに、もう仲間を呼んだのか。

 この奴隷商人の正体は不明だが、少なくとも組織で動いているらしい。

 

「俺は“アイス”。お前もにらんでいる通り、奴隷と金を生み出す奴隷商人だ。西ガラクシ帝国の協力者ちゃん」


「私は西ガラクシ帝国のスパイはないですし……ミモザちゃんだって、何の罪もありません」


「そうだな。俺は実質そこは興味はない。さっきああやって触れ回らせたのだって、プレゼンテーションの導入のつもりだったんだ」


「……どういう事ですか」


 愚問だな、とアイスは小さく嘲笑しながら質問に答えを返す。


「さっきも言ったろ。俺は奴隷商人だ。それがこんなシチュエーションで囲いに来た……年貢の納め時だ」


 五人の男達が滲みよってくる。

 当然武装しており、少女一人にやるには過剰戦力のきらいさえある。

 しかしフクリはそれに文句を言うことなく。

 

 逃げ出した。

 一目散に、いの一番にタイツに囲われた足を動かした。

 

「追いかけろ!」


 当然アイスたちは追いかけてくる。

 向こうは人攫い専門だ。フクリの脚力ではすぐに捕まってしまうだろう。

 それはフクリ自身も分かっていた。


 だが、ここはフクリが住んできたスラム街。

 無秩序で、崩落の恐れさえある建物が並んでいても、土地勘ならフクリにもある。

 だから、すぐ近くの路地裏に誘い込む事だけなら可能だった。

 

「馬鹿め! ここなら逃げられねえ……ぞっ!?」


 一番先頭にいた男の右肩に高熱の感触があった。

 路地裏に入った途端、踵を返し密着したフクリの両手に握られていたもの。

 短剣ナイフ

 その内、左手に握られていた刃が右肩に突き刺さっている。

 

「ぐあああああああああああ!!」


 悲鳴を上げる男から引き抜くと、蹴り押して転がす。

 痛覚に悶えてバランスが疎かになっているなら、非力なフクリでも可能な事だった。

 男にとって不幸なのは、その後アイスに喉を剣で貫かれたという事くらいだ。

 

「ぐぶ……」

 

「馬鹿野郎が! 悲鳴上げられたらやり難くなんだろうが! 使えねえ」

 

 文字通りの口封じ。

 叫び声に反応して誰かが来る事を嫌ったという理由だけで、アイスは仲間を殺したのだ。

 どうやらアイスという男は、僅かな可能性の為なら部下も使い捨てるらしい。

 

 首元に風穴が空いて、声の代わりに血を吹き出し、痙攣しながら屍になっていく様。

 フクリの顔が濁る。だがそれだけだ。

 それ以上の反応はしない。

 底辺での暮らしの中で、屍が腐る九相図など幾らでも見てきた。


 アイスも奴隷商人。宇宙の様な闇に生きる人間。

 それくらいの事はすることもフクリの想定内だった。

 それよりも目の前の敵達を警戒し、両手のナイフで構える。

 

「……ふん」

 

 アイスも、人が死んでいく様を見ても狼狽えないフクリを見て認識を改めたのか、必要以上に近づこうとしない。

 奴隷商人としてこれまでやっていけたのも分かる慎重さだ。

 

「……こう隘路だと、こちらも多数の利は活かせない。すぐにそこへ誘導する事を思いつくとは、随分と応用が利くな」


「……」


 返事をしないフクリの両手の刃を見つめるアイス。

 

「しかし、……男に腰振る事も出来ねえ天使と言われてた割には、随分と物騒なもの持ち歩いているじゃないの」


「外なら……こちらだって容赦しません……!」


「お前は性奴隷としては最高の値打ちになりそうだ。天使と呼ばれる体だけはある。小さい体、人形を思わせる幼顔、でかい胸。変態達の相手をしていれば、そんなもの持ち歩かなくても良くなるぞ。天使として抱かれてればな」


「伴侶は……私が決めます……!」


「お前に“その資格がある”とでも?」


 ぴく、とフクリの顔が反応する。

 嫌な予感は、ほぼ的中したと言ってもいいようなものだった。

 

(やっぱり……この人、私の正体に……!)


「さあ、ここから俺も含め五連戦。踊り子として鍛えたスタミナはどこまで持つか、な」


 指を鳴らすと、男の一人が前に出る。

 一瞬反応が遅れたフクリだが、振られた刃をナイフで受け流す。

 

「傷つけるなよ。戦う力を奪うんだ」


「おぉ!」

 

 あくまでフクリの武器を狙う男。

 奴隷としての価値を下げないために、五体満足でフクリを手に入れようとしているのだろう。

 

 フクリもそれが分かったからこそ、押されながらも確実に攻撃を捌いていた。

 そしてやっと出来た隙を目掛けて、踊り子の様に流動的な剣閃が不規則に描かれる。

 

「女ァ!」


 男は剣で防御する。

 甲高い音も、スラム街では日常茶飯事。あたりの家から様子を除いてくることは無い。


「随分固いナイフだな……」


 男が吐き捨てた通り、一連の斬り結びでも刃こぼれ一つしていない。

 右手でくるくると回転させている刃が“デネブ”。

 先程人体を貫いた左手の刃が“アルタイル”。

 仄かな光にも煌めく刃は、長年の旅で唯一恩恵に預かった相棒とも言える切れ味抜群の、フクリの護身グッズだ。

 まるで手足のように間合いも弁えた上で、フクリも男の戦力を奪うだけにとどめようと、両腕両足目掛けて舞い続ける。


 それでも、やはり地力の差は否めない。

 遂にフクリは、背に壁が近づいてきた事を感じた。

 

「これでどうだ! おらぁ!」


 下から振り上げられた力任せの一撃。

 デネブを持つ右手が耐えられず、小さなナイフが宙へ弾き飛ばされる。

 

「仕舞だ!」


「……」


 気絶狙いか、素手でフクリの腹目掛けて穿たれた正拳。

 しかしフクリの姿はない。

 小さいとはいえ、人体は人体。もはや左右後ろに逃げ場も無い筈なのに――。

 

「馬鹿野郎! 上だ!」

  

 見つけるよりも先に、音がした。

 タタタン、と駆け抜けていく短い足音。

 しかし足音は地面ではなく、壁からしていた。

 

「壁を駆けあがって……!」


 たったの数歩。

 しかしフクリはそのバランス神経と、身軽さを象徴するかのように壁を伝って男の上を取っていた。

 

 更にその途中で弾かれた“デネブ”も手に取ると、“アルタイル”の柄とくっつける。

 たった一秒。

 それだけの動作で、二つのナイフは一つの“弓”になる。


 ただの丈夫なナイフ、という訳ではない。

 ギミックナイフ――二つのナイフを合わせる事で“大三角”と呼ばれる弓に仕立て上げる事が出来る。

 そしてフクリは、ナイフとして扱うよりも“大三角”として弓矢を放つ戦法の方が得意だ。

 

「“ベガ”……っ!」

 

 フクリが短く叫ぶと、体内の魔力で編み、矢という形で発現させた魔術――“ベガ”を大三角の中心に沿わせる。

 同時に、空中で左側が真下に来るように体勢を取る。

 ベガの矢羽を掴み、全身でギリギリまで反って、解き放つ。

 その一瞬止まった時間で、矢尻の先にいた男は呟いた。

 

 少女が上空で弓矢を構える姿を見て。

 

「天使……?」


 直後、ベガが放たれる。

 あくまで魔力の塊。貫通能力は弱くとも、男の近くに着弾するだけで十分だった。

 練り込んだ“風”の魔力が暴走し、爆風のように男を何十メートルも吹き飛ばす。

 今度は悲鳴もなく気絶してしまったために、アイスからの粛清の心配はなさそうだ。着地しながら、それだけは良かったとフクリは安心した。

 

「ふぅん。流石にやるねぇ……さて、後四人だぜ」


 アイスが予定調和と言わんばかりに呟くも、他三人の士気が落ち込んでいたのはフクリにも見て取れた。

 

「アイスさん……あいつ、飛び道具だぜ……」


「こんなの聞いてねえよ……本部の戦闘専門を呼んできてくれよ」


 仲間達からの懇願すらもふん、と跳ねのけるアイス。

 

「見た感じそこまで威力ある訳じゃねえだろ。見てくれに惑わされんな。例えやるっつったって、子供にしては、だぜ」


「けどよぉ」


「おら、いけ! 最初の二、三発さえ我慢すりゃこっちのもんだからよ……行かねえってならお前も死ぬか?」


 先程のアイスの殺人は、仲間達への発破という面もあったようだ。

 男も覚悟を決め、フクリの前に立つ。


 確かにフクリの魔力では、こうして矢にしなければ威力がある魔術を放つことはできない。

 それに、アイスはフクリが人の死には耐える事が出来ても、人を殺す事は出来ないと睨んだらしく、急所に放てない事も分かっているようだ。

 

 だが、フクリの大三角という弓の扱いは、不安定な空中でもブレない命中率にこそ神髄がある。

 向かってくる男の両足を射抜けば、それだけで戦闘は続行不可能。

 明らかに恐れのある敵の両足の位置を見逃さない様に、眼鏡の奥の眼をしっかりと見開く。

 

「う、うわっ!」


 しかし、そんなフクリの思惑をアイスは超えていた。

 何せ突然男の挙動がおかしくなったかと思うと、“アイスが男を盾にして突き進んでいた”のが分かった。

 

「えっ、えっ……!」


 惑うフクリ。

 どっちの足を狙えばいい。

 そもそも、後ろに隠れている足は狙えない。

 

 その迷いが仇となった。

 前に突き飛ばされた男に押し倒されて、フクリはそのまま押さえつけられてしまう。

 

「しまっ……」


「ひひ……やった……」


 大三角も手放してしまった今、単純な力比べではどうしようもない。

 それが分かっていながらも、必死に抵抗するフクリ。

 だがそんなフクリを見下し、あざ笑うアイスと満月が重なった。

 

「ところでフクリとやら……君は俺達がただの人間を奴隷に変える、そんな血も涙も通わない集団とか思ってないだろうね?」


「……!」


「今の奴隷市場に置いておける商品はな、人間じゃない。“インベーダ”だ……“例えば君がさっき踊りで使った魔力の粉”、あれの応用で髪の色やら目の色やらを変えているインベーダを、我々はそれこそ目の色変えて追っている訳で」


 アイスがフクリに掌を翳す。

 その右手に込められた魔法陣は、“その魔術の迷彩”を無効化させてしまう効果がある。

 

 結果、真っ黒に迷彩されていたフクリの髪と目の色が戻っていく。

 人間と同化するための黒から。

 

 

 インベーダの証拠である、銀に。

 

 

「ほらやっぱり。君は“インベーダ”なんだろ。フクリちゃん」

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