第17話 パンとサプリメントだけだなんて食事を侮辱している

 夜。

 寮のリビングでパンを貪りながら、思考を巡らせるメルト。

 反対の手で開いていたのは、今日の夕刊。眼鏡の奥の文字を流すように追っていく。

 

(今なお、ミモザの父親であるリチャードについては創作中。しかしガラクシの壁を越えて西ガラクシ帝国に亡命した可能性が高い、か……)

 

 この新聞の記者達は、厄介にも正確にかつ迅速に情報を追ってくれている。

 ミモザから聞いた朝の様子から見ても、リチャード=クレラスが何かしら東ガラクシ帝国の情報を横流しにしていた事は間違いなさそうだ。

 残念ながら『リチャードは無実で濡れ衣を着せられていただけ』なんてご都合主義な展開にはならないらしい。


(目下気にすべき問題は二つだ。一つは、あのグローリーがこの学院からミモザを追い出そうとしている事)


 グローリーも東ガラクシ帝国内ではかつては五指に入る程の権力を持っていた。

 戦争で有耶無耶になり始めた力も、だが白を黒にすり替えるだけのものはあるだろう。

 こちらは最悪“保険”があるが、それでも予め打てる手は打っておきたい。何としてもミモザをこの学院から追い出させるわけにはいかない。

 

 あんなに学校に行きたいと、楽し気に言っていた少女の未来が消える。

 それもミモザに、何の罪もないのに。

 そんな事は、会って一日とはいえメルトにはとても耐えがたい事だった。

 

 一人でに、自動的に。

 メルトの視線が酷く凍てつき始めた。

 

(最悪……グローリーを消)


「あー! またパンしか食べてない!」


 喧しい指摘が飛んできて、我に返ったメルトはその方向を見る。

 一先ず学校で余っていた制服を与えたミモザと、後ろからフクリに廊下から覗かれている。

 

「いやミモザ、君は傷が酷いんだから寝てろって言ったろ?」


「寝てなんかいられないよ! 泊めさせて貰ってるんだし!」


「泊まるんじゃなくて、今日から一年間。ここが君の家だ。朝まで住んでいた家じゃ、プロキオン以外にもきっと過激派達が襲ってくる可能性がある」


「だったら確か生徒手帳には寮を利用する場合は、生徒が率先して家事を行うんでしょ? 寮生活遵守事項の第3条にちゃんと記載されてるんですけど!」


「……まさか生徒手帳に書いてある事全部暗記したのか」


「当たり前じゃない! これから楽しい学院生活! ちゃんと守るべきルールは守らなきゃ」


 流石にメルトも黙るしかなかった。

 生徒手帳は何かあった時に読むものであって、最初から暗記するものではないのだが……。

 

「で、さっき部屋の掃除してきたよ。お風呂もトイレも」


「ちょっと待て、だから傷は!? 痛くないのか!?」


「ごめんなさい先生……私も寝るように言ったのですが……」


 フクリが申し訳なさそうに口にする一方で、ボロボロの筈のミモザは一層元気になっていた。

 

「寝てたら逆に傷が痛むよ。それより体動かしてた方が気が紛れるの」


「まあ、お前がそうだって言うならいいが……」


「それよりもさ! 先生昨日もパンだけだったじゃん! まさか食生活ずっとそんな感じじゃないでしょうね!」


 テーブルにまで迫ってきて、物凄い近い距離にミモザの膨れっ面があった。

 しかも食べかけのパンを取り上げられた。

 

「いやパンだけじゃないさ。ちゃんとさっき、僕は栄養が偏らない様にサプリメントを――」


「食事を何だと思ってるのさ!」


 怒られた。

 何故かミモザの説教が始まる。


「いい!? サプリメント飲んでれば栄養なんてオールオッケーだとか思ってるみたいだけどね! どうせ栄養がどれだけ取れるかなんて計算して無いんでしょ!? 栄養の過剰摂取とか、微妙に取らなきゃいけない要素の不足とか発生するんだからね! 先生みたいに仕事人間ほどそのせいで過労死する人がどれだけいたことか! それに咀嚼力だって減って、お爺ちゃんになる前に固いもの噛めなくなるし、大体――」


 以下省略。

 とにかく分かったことは、ミモザの女子力とか、健康に対する想いとかが恐ろしく高かった事だ。

 

「という訳で! 先生の献立は今後私が考えるからね!」


「えっ」


 流石にここまでは聞き流せていたが、流石に声が漏れた。


「当たり前でしょ!? こんなパンだけで全栄養を取れるとか勘違いしている人、放っておけない!」


「いや、そこは放っておいてくれると……」


「いーや。間違いなく先生はこのままじゃ早死にする。私が暫くは先生の献立考えます!」


 反論しようとしたメルトに、止めを刺すようにミモザが生徒手帳に記載されていた内容を復唱するのだった。

 

「寮生活遵守事項、第3条。健全な精神を育む為に、寮に籍を置く生徒諸君は家事を積極的に行う事……これ、学校の方針みたいですけどぉ?」

 

「……」


「んじゃ! 明日一緒に食材買いに行こうね! 私の家から教科書とかも取ってこなきゃだし!」


「……とりあえず、君が何ともないようで僕は何よりだ。流石にいつもそのテンションだと僕、焦げ死ぬ自身しかないけど」


 満面の笑み。太陽の様にすら感じた。

 なんというか、底なしの燦燦な心を感じた。

 

 だけど、“まだ元気を装えるだけ”なのかもしれない。

 こういった精神的な傷は後から来る。

 

 特に。

 世間からの眼を思い知った時、ミモザの太陽は枯れ果てるかもしれない。

 ミモザの心。

 それが、メルトが最も懸念している事だった。

 

「でも……ミモザちゃんが退学にされるかもっていうのは……あるんですよね」


 恐る恐る、フクリが訊いてくる。

 しかし渦中のミモザは、未だギリギリの綱渡り中である事実にも笑みを崩さない。

 

「大丈夫。私は何も悪い事、してないんだから!」


「……」


 そんなミモザを見て、フクリは僅かに伏し目がちになる。

 

(……なんとかしなきゃ)


 と、小さく呟いた声は、ミモザの上機嫌に掻き消されていた。

 

「あっ……そろそろ時間……」


 気付いたかのようにフクリが言うと、一目散に玄関に向かう。

 追いかけてきたメルトとフクリにペコリと小さくお辞儀をする。

 

「メルト先生。今日は本当にミモザちゃんを助けてくれてありがとうございました……」


「いや、フクリも泊まっていきなよ。まだプロキオンみたいな連中がいるかもしれない」


「いえ。私はメルト先生のクラスじゃないので……」


 まるでメルトの生徒だったら良かったのに。

 教師がグローリーじゃなくて、メルトだったら良かったのに。

 そう代弁するかのような、後ろめたい声だった。

 

「それに、今日は私仕事なんです」


「でもメルト先生の言う通り、今日は危険だよ……今日くらい、いいじゃない」


 ミモザも止める声を出すが、逆に心配させまいという微笑を見せるフクリ。

 

「大丈夫。これでも治安の悪い難民キャンプで何とか今日まで生き延びてます……どっちにしても、学校が始まったらお金稼ぐ仕事、夜にしか出来なくなりますし、この仕事を手放すわけにはいきません」


 フクリの様な経済事情を抱える生徒は多い。

 学校も破格の低価格な費用のみで通えるわけだが、特待生でもない限りは少なくとも生活費まで面倒見てくれるわけではないので、フクリの様な親を持たない少女は何かしら稼ぐ行為に走らなければならない。

 

「ではメルト先生。ミモザちゃんをよろしくお願いいたします。ミモザちゃん、またね」


 戸が閉まった後で、メルトはミモザに聞いた。

 

「で、フクリは何の仕事をしているんだ?」


「ん? 踊り子だよ」


「踊り子……!?」


 メルトが訝し気な表情をした。

 どこか心配も籠った顔だった。


「あ、先生今エロい方想像したな」


 仕事の一つではある踊り子にも千差万別、種類はある。

 メルトがもしや、と恐れたのは“客引きとして踊り、そしてそのまま夜伽をする事で稼ぐ方”の踊り子だ。

 流石に生徒が体を商品にしていると分かっては止めざるを得なかった。

 今にも空間を飛び越える“猫の解ボックスオープンを発動してフクリを追いかけようとしたメルトを止めるように、ミモザが説明する。

 

「言っとくけどフクリは全くそういう援助交際はしてません。あの子がそんなことすると思う? “ちゃんとした”踊り子の方だよ。踊りだけでお金稼ぐ子!」


「……本当か」


「天地神明に誓って、親友の為にも嘘はつきません! 何度も店に行った事あるけどね、めっっっちゃ、踊り上手いんだから! ちゃんと踊り専門のお店の、ちょっとした看板娘なんだから! “ちょっと店長が嫌な感じだけど”……それでも子供が働いても問題ない感じのお店ですぅ」


「ほーう」


「あの子、この筋じゃ“天使”なんて呼ばれ始めてる踊り子からね。もしかしたら世界を代表するダンサーになるかもなんだし! 今度その固い頭を少しは柔らかくするためにも、見に行かせたい」


 

 フクリの事は実際、この夜は過激派の活動が心配なこともあったが、ミモザの言葉を信じ一旦は様子を見る事にした。

 

「……さてと」


 再び、一人でリビング。

 珈琲を煽りながら、メルトはもう一つ無視できない問題があったことを思い出した。

 

 

 “もう一人の白日夢オーロラスマイル”の存在。

 

 

 プロキオンのメンバーが最後に言っていた、とある事実。

 それは、白日夢オーロラスマイルにプロキオンの殆どの支部が滅ぼされている、という身に覚えのない出来事だった。

 確かに白日夢オーロラスマイルの偽物は地方であちこち登場しているらしいが、それでも“銀河魔術”を扱えるらしき偽物は初めてだ。

 

 ……この星に残ったインベーダだろうか。

 あるいは、銀河魔術の研究に成功した魔術師だろうか。

 

 それとも、自分の様に何かの因果で銀河魔術に習得した、普通の人間だろうか。

 その答えは、意外にも早く明らかになることになる。

 

 

 

 そして、実は結論を言えばこの時メルトは、フクリの様子を見に行くべきだったのかもしれない。

 それは決してフクリが危険な目に合うから、という訳ではない。

 

 

 “確実に、もう一人の白日夢オーロラスマイルと今日時点で会う事が出来た筈だったのだから”。

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