第10話 偉いのか?

 翌日。

 メルトが職員室に来るなり、一つの事実が言い渡された。

 最初は、グローリーのやっかみからベータ魔術学院をメルトが追放されてしまうのかと思い、反論の言葉を何通りか考えていた所で――それらの一切が無駄である事に気付くまで時間はかからなかった。

 

 

「……ちょっと待ってくれ。ミモザの入学を拒否するってどういう事だ……!?」


 その事実をメルトに話したコルニクスという男性教師は、メルトを毛嫌いするベータ魔術学院の教師陣の中でも年が近い事もあり、こうして普通に情報を話してくれている。

 しかし今日メルトに伝えた情報は、明らかに凶報とも呼べるものだった。

 

「これを見ろ、メルト」


 コルニクスからメルトに渡したのは、今日の朝刊だ。

 一面に記されていた文字を、コルニクスがそのまま読み上げる。

 

「リチャード=クレラス外交官が西ガラクシ帝国へ情報を流していることが分かった。現在軍はリチャードを追っているが、恐らくリチャードは西に逃げている、と」


「情報を流している……スパイだったという事か?」


「どうやら西と取引があったらしい。実際その情報のせいで西が有利なように戦力を整え始めている……完全に証拠は揃っちまってる」


 そこでメルトは昨日、ミモザと会話していた中で出てきたあるワードを思い出していた。

 『父親が外交官をしている』という事実を。


「……というか、“クレラス”と言ったな……ミモザのファーストネームだ」


「そうだ。このリチャードって外交官は、ミモザの父親なんだよ」


 朝刊を思わず握り締めるメルト。


「……ミモザがそのスパイ行動に加担したっていうのか」


 メルトの表情に沸々と刻まれていく焦燥と憤慨。

 コルニクスもそれを見た上で、なだめるように返答した。


「いや、その線は薄いそうだ。実際ミモザは政治の場にも出ていなければ、社交パーティーにも出ないような子だったらしい。情報を取りに行く場所がない……実際、ミモザは西に逃げていない」


 逆にこの状況で西に逃げていないとなると、下手すれば危機的な状況だ。

 自警団の暴走は、少女の命を簡単に貪り取る。

 

「まずいな……」


「入学が取り消されたのも、それが原因だ」


「なら何故ミモザの入学が取り消されなきゃいけない? 親が犯罪者だからと言って子が何故その咎を受けなきゃいけない?」


「……グローリー先生だよ」


 周りに他の教師がいないか確認してから、コルニクスが言葉を絞り出した。

 

「お前も知っての通り、ハーデルリッヒ家は筋金入りの西ガラクシ帝国への抗戦派だ。当然グローリー一族もな。奴にとっちゃ西に協力した男の子供を育てるなんて事、プライドが許さないんじゃないか?」


「ふざけてんのか……」


 忌々しそうにメルトが吐き捨て、コルニクスに尋ねる。


「この事、プトレマイオス先生は?」


「プトレマイオス先生は明日の夜までいない。グローリーはそれまでに準備を整え、ミモザの入学を取り消すよう直談判するらしい……担任のお前を飛び越えて勝手に事進めてるって事は、マジって事だろう」


「……グローリーと話してくる」


 おい辞めとけ! と制止するコルニクスの声も聞かず、一目散にグローリーの元まで向かうメルト。

 しかし職員室に入ろうとするところで、何やら少女の必死な声を耳にした。

 

「――お願いします……! ミモザちゃんを助けてください!」


「ええい、しつこいな!」


 途端、人が壁に激突するような音。

 その方向に、押し飛ばされたように尻餅をついて苦しんでいた少女を見た。

 黒髪のミドルヘアと、黒ぶち眼鏡に覆われた顔は少なくともミモザよりはあどけなく、その腕もタイツに覆われた脚も華奢の単身矮躯。しかし双乳の膨らみ具合はそれなりで、年齢は一見では測れなさそうだ。

 その少女を見下しているのは、おそらく彼女を押し飛ばした側であろうグローリーだった。

 

「ミモザという背徳者の娘など、我が校には存在しない!」


「そんな筈はないです! ミモザちゃんはここへ入学が決まって、あんなに嬉しそうだったのに……」


 明らかにミモザの味方をしている少女。

 また昨日の会話からピースを拾い上げる。

 

『心配だよ……難民キャンプに私の親友がいるの。ここの生徒なんだよ?』


 ミモザが人前で親友と豪語出来た少女。

 逆に目の前の存在がハーデルリッヒの人間だと知った上で、それでも親友を助けてもらう様直談判しに来た事実。


「……あの子か?」


 それら二つを結び付けるのに、時間はかからなかった。


「お願いです! ミモザちゃんがこのままだと……! 街の自警団に殺されちゃう……!」


「“フクリ”よ……それが背徳者の血を持つ人間の当たり前の末路だ。貴様も私の生徒ならまずその事を学べ」


「そんな……」


 フクリ――という名前を見たのは、確かグローリー級の生徒名簿にのっていた少女の筈。

 メルト級と、グローリー級の生徒は同い年。そうなると彼女もミモザと同じ今年で15歳。

 という情報が頭に過っていた一方で、メルトは足を速めていた。

 

「貴様は私に従っていればいいのだ……親も分からぬ貴様みたいな下民がのし上がるには、私に取り入るしかガッ!?」


 大言を放つ口ごと、グローリーの頭が壁に押さえつけられた。

 突然の衝撃に、混沌とした目でその右手の主に目を向ける。


「め、メルト……!」


「偉いのか?」


「な、なんだと……!?」


「教師ってのは、威光を振りかざす称号なのか何かなのかって聞いてんだよ」


 グローリーが振り払うと、メルトはフクリを庇う様に位置を取り、静かな憤怒をぶつけ続ける。


「おたくの生徒が、助けてって単身乗り込んできてんだろ。それを門前払いだなんて随分見下げた真似するもんだな……」


「……貴様、落ちこぼれの分際でこの私に暴力を振るったな!」


「ふざけんな!!」


 雷鳴の様にメルトの声が辺り一帯に響く。

 遠くで歩いていた教員もビク、と足を止める程の衝撃だった。

 

「暴力振るってんのはどっちだ。あまつさえ自分に従っていればいいだと……? 生徒はあんた操り人形でも、部下でもないんだ……それが教育者のいう事か?」


 ぴく、ぴくと顔を痙攣させながら、しかし言葉に詰まるグローリー。

 しかし次にグローリーが向いたのは、尻餅を着いたままのフクリだった。


「……フクリ、聞こえの言いこの男の言葉に惑わされるなよ。こいつは魔術師の風上にも置けやしない、教師とは名ばかりの屑だ! 頼ったって何も出来んぞぉ……!」


「教育者の風上にも置けないあんたよりはマシだ……そんなアンタと会話している時間さえ惜しい。ミモザが危ないらしいからな」


 再びメルトがグローリーに近づくと、今度はネクタイを掴んで顔をぐい、と持ってくる。

 

「だが昨日言った通り、こんなモラルって奴を欠いた事してるようならな、生徒に手を出したり、不当に退学させようなもんならな」


 一瞬、グローリーの表情が凍り付いた。

 昨日、メルトに抱いた恐れよりも深い深い恐怖。

 二つの眼球の中心、宇宙の様に底知れぬ漆黒に飲み込まれそうな気がして、思わず喉を鳴らして言葉を待つことしかできなかった。

 そしてメルトは、まるで獲物を喰らわんとする顎で、小さく、どす黒く言い放った。

 

 

「潰す」



「……!?」


 グローリーが次に気付いた時には、メルトはフクリを連れて外へ向かっていた。

 メルトとフクリの背を見ながら、脳内が驚愕で麻痺していく。


(この俺が……気圧され……意識まで奪われていた、だと……)


 冷や汗。

 手に張り付いた嫌な感覚を思い知ると、噴火前の火山の様に沸々と激昂し始める。

 

(あの程度の……男に)

 

 怒り。

 怒り。怒り。怒り。怒り。怒り。怒り。怒り。

 ハーデルリッヒ家として生まれたことが場違いな落ちこぼれに、ここまで虚仮にされた怒り。

 何より、あの程度の男に意識まで奪われる程に圧倒された自分への怒り。

 

 ありとあらゆる角度から傷つけられた誇りが、無限連鎖のように憤怒の熱を押し上げていき、微かな理性を簡単に突き破る。

 気付けば、右手に魔法陣を集約していた。

 

「メルトォ!!」


 メルトが振り返った時には、既に発動していた。

 基本属性である火の玉よりも、数百倍もの灼熱が圧縮された光球。

 例外属性“陽”。

 

 勿論殺すつもりで。

 フクリごと消滅させる気で。

 数多のインベーダと人間を葬った、地獄の窯を凌駕する魔術を全身全霊で穿つ。

 

「“太陽球アポロン”!!」


 変則的な軌道を描きながら、しかし恐ろしい速度で、確実に迫る必殺の灼熱。

 フクリは目を背けた一方で、メルトと言えば――右手を向けるだけだった。

 

 

「“重縛サイコキネシス”」



 次の瞬間、グローリーは走馬灯が見えていた。

 メルトに直撃する筈の太陽球アポロンが、まるでメルトにジャックされたかのように逆走し、目前まで迫ってきていたのだから――。

 

 

「行くよ」


 フクリはそうメルトに言われて、ようやく目を開けた。

 明らかにグローリーの大魔術が近づいてきて死んだはずなのに、という顔でキョロキョロと周りを見渡していた。

 

「今……何が?」


「さあ。先生も魔術をミスる事があるって事だね」


 結局、その廊下には膝を着いたまま、立ち上がれないグローリーしかいなかったという。

 まだグローリーは知らない。

 今、自分が戦った存在が“白日夢オーロラスマイル”だったことを。

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