爆誕!異世界の歌姫~チートもヒロイン補正もないので、仕方がないから歌います~

ロゼーナ

プロローグ

第一話 転移チートなんてなかった

 ――ああ、これはダメだわ。詰んでる。死ぬかも。


 三日も森の中を彷徨い続け、ようやく辿り着いた街でへとへとになるまで歩き回り、私は悟った。自分が確実に異世界に転移してしまったこと。そして、流行りのアニメや小説のようなチートが、どうやら私には実装されていないことを。



 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴

 

 私には数年前からちまちまとレベル上げを続けているオンラインRPGがあった。水曜日の日中の定期メンテナンス後に新エリアがオープンするため、溜まっていた有休から一日だけ消化し、メンテ終了までダラダラと過ごしていた。

 社員の権利のはずなのに、これまで有休を取るときにはいつもなぜか周囲に申し訳ないと気を遣っていた。しかし、今のブラックな職場とはあと二か月ほどでおさらば予定なので、最近は開き直って権利を行使し、のびのびと休日を満喫している。


 時刻は十五時少し前、メンテナンス終了の公式アナウンス前からログイン画面を起動し、F5更新を繰り返していたところ、ついにメンテが終わったようで、新しいパッチのインストールが画面が現れた。ようやくログインできるとわくわくしてエンターキーをクリックした次の瞬間…



 私は鬱蒼とした森の中にいた。



 PCの画面が白く光り輝くことも、けしからんスタイルの女神様やドジっ子のショタ神様に出会うこともなく、頭がくらくらするような衝撃さえもなかった。

 私はソファー代わりに使っていたベッドに腰掛けた姿勢のまま、今はなぜか大きめの岩の上に座っていて、右手はエンターキーを薬指で押した形のまま。左手で支え口に咥えていた苺ジャムとマーガリンの塗られた安いコッペパンもそのまま。


 とりあえず口に入っていた分の一口をゆっくり咀嚼して飲み込み、半分ほど残っているパンを包装袋に戻す。



 うん、よく分からないけど冷静になろう。焦るのはまだ早い。まずは服装の確認。


 足元には長年愛用しているスリッパ。下半身はもこもこ素材のボーダーのズボン。数年来パジャマとして愛用している品だ。ウエストのゴムを引っ張って中を覗き込めば、黒のショーツはちゃんと履いている。PCの前で座っていたときとまったく同じ。

 上半身にはだいぶくたびれて襟ぐりが伸びかけている濃いグレーのロングTシャツ。ブラは着けていない。これも部屋にいたときのままだ。


 うん、よく分からないけど、とりあえず十月の部屋着で良かった。夏は裸族だからね私。

 パンツ一丁で知らない森の中という最悪の事態は免れたのだ。ブラは着けていないけれど、幸いなことにペナペナよりは少し厚手のロンTだからそれほど透けてはいないはず。私ったらなんて幸運なんだろう!


 それに、ゲームをやる気満々だったから、ブルーライトカット仕様の青みがかった丸眼鏡をかけている。これに関しても幸運だと思う。裸眼視力だと本当に何も見えないから。それに、もしベッドでゴロゴロしているタイミングだったらスリッパも履いてなかった。いきなり裸足で森の中とか本当に泣けるから不幸中の幸いと言って良いと思う。


 食べかけだけど昨日コンビニで買ったばかりのコッペパンがある状態の遭難なんて、遭難のうちに入らないはず!しかも今日は寝るまでゲームしようと思っていたから、メンテ待ちの間にお風呂もドライヤーも済んでる完璧な状態!



 うんうん。よく分からないけど、自分の状況は確認できたし、怪我もないし、極寒でも猛暑でもなく悪天候でもない知らない森。良いぞ良いぞ、最悪ではないぞ、と現実逃避しながら自分に言い聞かせる。


 今度は周辺状況を確認するべく辺りを見回す。



 お尻の下には大きめの岩。スリッパの下はむき出しの土。一歩先は低めの丈の草むら。右に木。左に木々。正面に木々々。後ろに木々々々。上に…略。

 周りに生き物の声は聞こえないので、いきなり野生動物に襲われることはない…と良いな。


 

 まずはお約束を試すべきだろうと頬をつねってみるけれど、何も起こらない。ていうか私は夢の中でほっぺたを叩いたりつねったりしたこともあるけど、普通に痛いなーと思って終わりだったんだよね。つまりこれは夢オチ測定器の役割は果たさない。そもそも私、今日はお昼寝も済ませてバッチリ起きてたしね。


 そして、現状で推測できることから脳内で一つずつ可能性を潰していく。一問一答形式の自問自答で。



 ここは私の家ですか?


 ―いいえ、私の家ではありません。なんか英語の練習問題みたいになったな。



 ここは日本ですか?


 ―いいえ、おそらく日本ではありません。

 木の幹の太さと高さが、テレビで見た縄文杉の二倍くらいはありそうなので。しかも一本だけじゃなくて視界に入る木全部が。これが日本だったらとっくに自然遺産にでも登録されていて有名なはずだ。



 ここは地球ですか?


 ―いいえ、おそらく地球ではありません。

 視界に広がっているでっかい木の葉っぱが青緑系の色なんだ。それも、葉っぱ全部が同じ色じゃなくて、緑寄りの葉っぱから青寄りの葉っぱまである。中には水色の葉っぱもあって、集まればまあ綺麗なエメラルドグリーンのグラデーション!わずかに差し込む日の光が当たってキラキラと輝く、幻想的な森。



 私はタイムスリップをしましたか?


 ―いいえ、たぶん恐竜の時代まで遡っても、地球上の森はこんなんじゃなかったと思うの。



 ここは私がプレイしようとしていたゲームの世界ですか?


 ―いいえ、おそらく違います。

 なんでよ!普通は自分の大好きなゲーム世界に転移するのが様式美のはずなのに!私がハマってたゲーム、RPGだけど月面でギルド組んでドンパチするやつだからね。ちなみに今日実装されるはずだった新規エリアは火星。明らかにこんなファンタジー万歳な森じゃない。

 あ、でもいきなり宇宙空間に放り出されたら確実に死んでたから、不幸中の幸いなのかもしれないな。今のところ呼吸はいつもどおりできているから、空気中の酸素濃度とか大体地球と同じなんじゃないかな。



 私は異世界転生をしましたか?


 ―いいえ、死んではいないはずなので、転生はしていないと思います。確証はないけど、服装も変わっていないから生まれ変わってはいないでしょ。



 私は異世界転移をしましたか?


 ―いいえ…って流れで言いたいところだけど、今のところ無理やり納得するならこれだろうなあ…。やだなあ、いきなりサバイバルな感じ。何か使命を帯びたヒロインとしてお城で召喚されるとか、癒しの力を持った聖女として神殿に飛ばされるとか、そういうお約束展開ならせめて人里には出られたのに。



 自問自答による状況確認の結果、どうやら私は異世界転移したものと仮定して話を進める必要があるようだ。


 あ、でも、今からでもいつでも夢オチ大歓迎だからねどこかの神様!




 そしてとりあえず、次の行動を決めなくてはいけない。


 ここで死にますか?


 ―いいえ、まだ死にたくありません。難易度不明だけど、もしかしたらとっても生きやすい世界という可能性だってあるんだし。



 ここで第一村人に遭遇するのを待ちますか?


 ―いいえ、おそらくここには第一村人は現れないと思います。

 それよりも他のモノと出くわしたら怖いんだよね。可愛い小動物とキャッキャウフフできたら良いんだけど、熊とか猪系の物理的に絶対勝てない獣とか、魔物とか魔物とか、幽霊とか、鬼とか、魔物とか。


 ということは、自力で文明の香りがする場所に辿り着くしかない。


 人がいない世界だと本当に詰むから、人型で意思疎通が可能で、できたら正体不明の部屋着アラサー女を温かく受け入れてくれる広い心を持った生物に会えたら良いな。



 どの方角に向かいますか?


 ―全方向同じ景色なんだよね…。まずは現在地を中心にして周辺探索をしてから決めるしかないか。とりあえず川を探さないと。どうかこの世界にも川という自然の恵みが存在していて、お腹が壊れない程度には飲める水が流れていますように…。



 

 どうにか生きていくための方針を決め、私は周辺散策を始める。ちなみに、動き出す前に何か都合の良いチートやシステムサポートがないかは思いつく限り試したよ。その結果。


 火…出せない。


 水…出せない。


 その他属性魔法っぽいもの…出せない。


 空…飛べない。


 ジャンプ力や筋力…変わってない。


 神の声…聞こえない。


 ステータスオープン☆…子どもの頃に絵本の真似をして叫んでみた「開けゴマ」並みに何も起こらない。


 それぞれ無詠唱からお祈りスタイルから中二病っぽい詠唱からマジカル少女風まで思いつく限りのパターンは試してみたけれど、ただただ恥ずかしさで精神的なダメージを食らっただけだった。



 やはりチート的なものはなさそう。というか万が一何かあったとしても、今の私では発動コマンドが分からない。


 本当にいきなりなんなんだろうこの状態。か弱い乙女だったら泣いてたよ。説明書どこなの~?もしくは求む、攻略サイト!スマホもPCもないしたぶんWi-Fiも飛んでないけど。



 ということで、大人しくスリッパで歩き回ること体感三十分。最初に岩に座っていたときの位置から見て左側のエリアが、歩いてみるとゆるやかに少しだけ下り坂になっていることが分かった。


 地球と同じような文明があると仮定した場合、森の奥よりは、下って行った先の拓けた場所に村や街がある可能性が高いはず。というか、もう何も決めようがないので今はそれを信じるしかない。


 私は川を探しつつ、森の終わりを目指して歩き出した。


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