第5話 堀井愛莉は残念がる

「あのさ……この子連れてってほんとにだいじょぶなの?」


 日が沈みかけ大分暗くなった道を歩きながら、愛莉は腕の中の子猫を眺める。

 愛莉に撫でられて気持ちよさそうにしながら、それでも大地の方に行きたいのか子猫は愛莉の腕の中から大地の方に体を伸ばそうとする。 その度に大地が手を伸ばして頭を撫でると、うっとりした顔で大地の手に頭を預け大人しくなる。 そうしてしばらくはまた愛莉に撫でられるのだが、また大地の方に行こうとして、とさっきからずっと繰り返していた。

 大地に撫でられている子猫の姿は可愛らしすぎて思わず表情が緩んでしまう愛莉だが、自分よりも子猫を虜にしている大地に少し嫉妬してしまう。


 大地は明らかに猫の扱いに慣れていて、すでに猫を飼っているだろうことは想像ができた。 だからと言って、やはりいきなり連れて帰るのは大変なのではないかと心配になる。 電話で連絡はしていたが、一方的に言っただけで許可が取れたようには思えなかった。


「八坂が怒られたらさ、あたしが謝るから──」

「そんな心配いらない。 むしろお袋は大喜びだ」


 自分のせいで大地が怒られるのではと気にする愛莉に、そんな心配など無用なものと、大地は断言する。 大地の中ではそれが確たる事実なのだろう。


「八坂のお母さんってそんな猫好きなんだ?」


 話を聞く限りそうなんだろうと思って、別に深い意味もなく聞いただけだったが、不意に大地が立ち止まる。 口許を手で押さえ何やら呟きながら考え込む大地に、愛莉は面喰らってしまった。


「猫好き……」

「ちょっ……どうしたの?」

「いや……あれ・・は猫好きと言うより……名状しがたい何かとしか……」

「……ワケわかんないんだけど……どういうこと?」


 また大地の方に体を伸ばしてミーミー鳴く子猫を撫でながら、大地は考え込むのを諦めたように溜め息を吐く。


「堀井はさ、今まで100匹近く保護した猫の里親を探した上に、どうしても里親が見付からなかった猫を15匹も飼ってるやつを猫好きで済ませるか?」

「…………はいっ?」


 一体何を言っているのかと、一瞬、愛莉は考え込んでしまった。 しかし話の流れから大地の母親のことを言っているのだとすぐに気付く。

 無類の猫好きからしてもなかなか信じがたいことに言葉を失う愛莉に、大地はまた溜め息を吐く。


「保護団体でやってるのとは別に個人でそれだけな。 頭おかしいだろ? あれを形容するなら猫狂いとか重度の猫中毒患者って言った方が……いや……それでも足りないだろうな」

「……すごいお母さんなんだね。 てか八坂んちってお金持ち?」


 猫を保護するだけでも相当な金銭がかかる。 獣医に診てもらい病気の有無の確認に避妊手術、ワクチンも射たないとならない。 そうしてしっかりとケアをした上で里親には無償で引き渡すのだ。 金銭的に裕福でなければ到底できたものではない。

 おまけに猫を15匹も飼っているとなると、家も相当広いのだろう。 大地の家の裕福さ加減が窺い知れる。


「親父は公務員だよ。 お袋の方のじいちゃんが会社やってて不動産もそこそこ持ってる。 おまけにじいちゃんばあちゃんも揃って猫好きなもんだから猫の保護に関しては出してくれてるみたいだな」

「すごいんだね」


 色々な意味を込めて相槌を打ちながら、愛莉は大地に対して意外な感を抱いていた。

 公園で声をかけた時からあまり愛想のいい感じではなかったし、学校での大地もそんなに積極的に話すタイプではなかったはずだ。 だが、こうして話してみるとこちらから振った話には色々と答えてくれるし、思ったよりも話しやすい。 愛莉に対して興味がなさそうなのも愛莉としては安心できた。

 友達として、クラスメートとして男子たちとも普通に話す方だが、こんなに安心して男子と会話をするのはものすごく久しぶりな気がする。


「でもいいなぁ。 猫ちゃんが15匹とか天国じゃん」


 猫まみれの空間を思い浮かべ思わず笑み崩れながら、愛莉は横目でちらっと大地を見る。

 今までは誰かに誘われても断っていた。 しかし、今は家に誘ってくれないかとかつてないほどの強さで願っていた。 下心など欠片もなさそうな大地に誘われたなら愛莉も安心して猫と触れあえる。

 そんな至福の時間を味わえないかと、そんな期待を匂わせる愛莉に、しかし大地は愛莉の方を見もせず、そんな愛莉の内心に気付いた様子はなかった。 あるいは気付いているのに無視しているのかも知れない。


 本当に自分に興味がなくて家に誘ったりする気はないんだなと、天国を目の前にそこに辿り着けないことに愛莉は落胆してしまう。

 自分に興味を持たずに誘ってほしいというのは我が儘かなと愛莉も思わないでもないが、そう思ってしまうくらいに愛莉は男の下心に臆病で、そう思ってしまうくらいに15匹も猫がいる空間は魅力的だった。

 お願いすればひょっとしたら入れてくれるかも知れない。 しかし、大地が家にこられることすら好ましくなさそうにしていたのは分かっている。 子猫を拾ってもらえて、さらにそれ以上を望むことは愛莉にはできなかった。


 残念な気分になり、ならば、せめて今の内にと腕の中の子猫に思い切り甘えさせてもらいながらしばし歩くと、大地は一軒の家の前で足を止めた。

 子猫ともお別れかと寂しい思いに顔を上げた愛莉は、インターホンを押す大地の背中に目を向けて硬直していた。

 豪邸──とまではいかない。 しかし大地の家は思っていた以上に大きかった。 愛莉の家も普通の家と比べて大きめではあるが、大地の家の敷地はそれこそ普通の家の1.5倍近い大きさなのではないかと思われる。三階もあることから延床面積ではそれ以上にありそうだ。


「……すごっ」

「猫専用部屋が二部屋あるからな。 それ以外はそんな──」


 極端に広いわけではないと、そう大地が言いかけた時、玄関の扉が開き中から一人の女性が飛び出してきた。

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