2:ゲームと現実 その1

「ちょっと待ってください」


 そう言って美姫は濡れたスーツの内ポケットに手を入れる。そこでクシュッと小さくくしゃみをした。

 川に落ちて濡れたままだったのだ。


「乾かさないと」

「服脱いで火をおこして干すんですか?」と美姫はすでに怯えている。

「あ……いや、期待はしてないです。じゃなくて! 魔術を使いましょう!」

「魔術で?」

「ちょっと実験していいですか?」

「……それって服を乾かすとか言いながら、服を吹き飛ばすとか燃やすとかじゃありませんよね?」

「なんですか、そのお約束的なサービスシーンは!? というか、そんなことする人間だって思われてるのか、僕は……」

「冗談です。やっちゃってください」

「真顔で冗談言うの止めてください」


 真二郎はげっそりした顔で応じる。

 このノリは確かにこなもんさん独特のノリだ。やはり本人なんだろうなという実感がある。


「ごめんなさい……。ちょっとはしゃいでました」

「こんな状況で冗談言えるなら大丈夫ですね」

「こんな状況だからなんだけど……」


 口の中でむにゃむにゃ言う美姫。真二郎はすでに術式に入っていた。

 この世界の魔術――つまり、真二郎がSLOで覚えた魔術は呪文と術式がワンセットになっている。正しい呪文と正しい術式が正しく連動しないと発動しない。


「メル・アクラル=ムヴィーレ・バキューテ・フラギルオ・ナルド」


 美姫のスーツを示して水を吸い出すイメージで呪文を並べる。自信がないので力は弱めで範囲も狭く。

 黒のスーツから立ち上る蒸気がはっきりと見えた。


「どうです?」

「あ……乾きましたね」

「熱なしで大丈夫でしたね。ハプニングがなくてよかった……」


 ほっとした真二郎と対照的に美姫は不満そうにつぶやく。


「ちょっとくらいならあってもよかったかな」

「え?」

「いえ、こちらのことです。ありがとうございます。では」


 冷静な顔でそう答えると、美姫はいきなり両手両足を広げた。


「さあ、一気にやってください」

「……えっと、なにしてるんです?」

「この方が効率がいいかと」

「そうかもしれないけど……」


 大真面目な表情で大の字になって立っている美人というのはシュールな光景だ。

 笑うわけにもいかず、真二郎は同じように真剣な顔で美姫にもう一度魔術を使う。コツがつかめたので、今度は一気に全身を乾かす。広く、素早くを意識して呪文を変更。

 シュゥゥ……と蒸気が美姫の全身から噴き出し、まるでスモークの中から現れたような絵面になった。髪をまとめるピンはどこかに飛んでしまったため、軽くウェーヴしたままだ。おかげでお堅いイメージは吹き飛んでしまった。


「どうです?」

「大丈夫。魔術って凄いわ……」


 スーツやシャツを確かめると、美姫はスーツから折りたたんだ紙を出して、広げた。

 地図だ。とはいっても、この世界で手に入れたかなり大雑把な――つまりゲームやファンタジー小説でよくある代物だ。山や森、川、街道、街や村がイラストで描かれている。


「森が見えますね。ですから、おおよそ、この辺りでしょう」


 美姫は地図にとんと指を置いた。シャルッドの森と書かれた木のイラストの端っこだ。


「どこかで見たような……って、SLOの地図ですよね」

「そのオリジナルです」

「ちなみにこれより詳しいのは?」

「残念ながらありません。ドローンを飛ばして測量できたのは門の周辺だけで、それより遠くに飛ばしたドローンは途中で故障したのか墜落したようです」

「墜落?」


 不穏な言葉が出てきて、真二郎は顔をしかめる。魔術で撃墜したのか。それこそ、真二郎たちを攻撃した何者かが。


「まあいいや。現在地について確信がありそうだけど?」

「門があったのはこの地点です。そこから南西に向かって飛んでいました。その途中の森ですから、時間的に考えてもここしかないでしょう。それに川との位置関係があります」


 美姫が門があったところと言って示したのは、イルミティ平原とあった。ゲームでは序盤にスライムを狩っていた辺りだと真二郎は思い起こす。つまり、さっき、あの辺りをぶらついていたらスライムと対面出来たかもしれない。

 それにしても、あの混乱状態で方角や時間をチェックしてたのはさすがだと真二郎は感心する。


「なるほど~。じゃあ、僕たちを飛ばしたヤツはこの延長線上のどこかにいるのかな」

「可能性はありますね」


 飛んで来た進路を真っ直ぐ延長すると、村や町が点在している。ここで絞るのは難しそうだ。


「これは街道だよね?」


 真二郎は川に沿って描かれた線を指さす。距離的にはかなり近そうだ。


「そうですね」

「じゃあ、とりあえず、街道に出て、どこかの町に行くか~」

「それが賢明ですね」

「よし、行こうか」

「そっちは逆です」


 歩き出した真二郎を美姫の声が止める。


「え? あ、そうか? 地図だとこう……」


 真二郎は地図を回して風景と合わせようとした。


「ひょっとして方向音痴ですか?」

「いや、方角がわかったら迷わないよ?」

「それを方向音痴と言うんです」

「んぐ……。だいたいなんでパッと方角がわかるんだよ?」

「太陽の位置は元の世界と変わりませんから、見れば南はわかるでしょう?」

「わかんねーよ。あ、そうだ。木の切り株を見て年輪の感覚が広い方が南だろ?」

「それはウソです」

「え~? 僕、そう教わったよ?」

「広く信じられているからと言って正しいとは限りません。後の研究で否定されることもあります」


 美姫の声はどこかおもしろがっているように聞こえる。とはいえ、バカにしている様子ではない。


「そっか~。なんかショックだなぁ」


 真二郎はがっくりと肩を落として、思い出したように尋ねる。

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