四次元パシフィカ

 エン・バーク捜査官とダイエル・クシー準捜査官の二人は原始犯罪課PCDの黒色の制服に身を包んでいました。翌夕一時二十六分、その二人が朝日の差し込むレベルC、新奇犯罪課NCDのオフィスビルに入るなり、ロビー階をうろついていた面々がちらと二人に目をやるのに、バークもクシーも勘付いていました。

「最近の〈スマート・スキン〉、視線を痛覚に変換する要らない機能をつけたみたいですね」

 クシーがぼそりとこぼします。彼女がPCDの制服を見にまとってNCDのビルに入るのは初めてのことでした。

「身から出た錆だ」

 バークは淡々と答え、足早にゲートを通過しました。アポイントメントは彼のパシフィカンIDと紐づいており、受付を介することなくゲートを通過できるのです。

「私ら、何をやらかしたんですか」

 十三階へと向かうエレベータの中でクシーが訊きました。

「思考も原始的な人間が多いんだよ、PCDは」

「バークさんにしては随分と毒っぽい」

「事実だ。原始犯罪のような非合理的ノン・パシフィックな事象を解析するのにも科学的な思考は一番マシな方法だが、それができる純然たるパシフィカンはどうにも原始犯罪に興味を抱く可能性が低くてね」

「私がもう三人くらい欲しいんですね」

「PCDの捜査官のなり手そのものが、平均的にノン・パシフィックになりやすいという傾向がある」

 バークは無視して答えました。

「尚更私がもう五人いるといいですよね」

「だから、PCDの捜査官ってやつはどうにも直情的で、感傷的なやつが多い」

 クシーは不満そうにバークの横顔を見上げましたが、バークは表情を変えずに、彼の視界の中で増えていく階数表示を眺めていました。

「おまけにPCDの予算が年々減る一方で、NCDの予算が年々増えることが気に食わないらしく、それで変な突っかかり方をする輩がいる――だからNCDに煙たがられてるんだ。PCDもNCDも、その最終目的はその課の消滅だというのに、予算の減額を喜ばない感性が、心の底から理解できない」

 エレベータが十三階に到着しました。

 廊下へ出てすぐのところに、クシーは最近覚えた顔を見つけました。

「お待ちしておりました。エン・バーク捜査官。ダイエル・クシー準捜査官」

 武田洋平です。


 今回のセッションは武田の方から持ち出したものでした。昨夜に武田からバークに連絡が入り、急遽このアポイントメントがセッティングされたのです。

「発話AIの開発元へのヒアリングと、それから量子交差検定法クォンタム・クロス・バリデーションお疲れさまでした。便乗型が発話主だったら話は早かったんですが、そう簡単には行きませんね」

「ええ、まったくです」

 バークは深く息を吐きました。創発性全覚文の発話に関わっていたAIは、すべからく他のAIに便乗していませんでした。創発性全覚文の発話主は見当たらなかったのです。

「ところで――」

「仮想ワークステーションを使わなかった理由はあるんですか」

 バークを遮ってクシーが言いました。パシフィカンは間の空いていない再会時には無駄な挨拶を完全にカットする傾向にあるのです。武田も、パシフィカへの移住当初はその傾向に慣れないところがあったようですが、ここ数年は全く気にする素振りを見せてはいません。

「今回の分析で使ったソフトウェアの一つ、高次元HD地理情報システム《GIS》のライセンスの問題で、ライセンスのないPCDのワークステーションでは使えないらしいんですよ。だから、分析のデモを見ていただくには、直接こちらへおいでいただくしかなかったんです」

「その発言、危険ですよ、タケダさん」

「え?」

 クシーの指摘に武田は眉をひそめました。

「一体、どういう……」

「PCDとNCDの資金格差をナチュラルにひけらかしている」

「クシー準捜査官!」

 バークのその声は、標準会話音量の基準値を遥かに超えていました。

「無関係な話は慎むことだ」

「いえ、いいんですよ」

 武田の控えめな声が間に入ります。

「そういえば、ここに来た直後、レンに注意されたことがありました。無暗に金の話はするな。特にPCDと話すときは、って。気に障ることを言ったのであれば、申し訳ありません」

「いや、私、厳密には準捜査官なんで、予算なんてどうでもいいんですけれどね」

 クシーはけたけたと笑います。

「クシー準捜査官」

 今度は基準値以下の声量ではあるものの、波長のパターンが明らかに変化していました。低く重厚な響きのあるその声調は、バークのフラストレーションの高さと相関があったのです。

「別に、私は気にしないがね。確かに気にする非合理的ノン・パシフィックな人間もいるにはいるが」

 バークは口元を緩めて言いました。

「PCDの目的は、犯罪と共に滅ぶこと。予算が減っているということは、目的に近づいていることを意味しているんだ」


 創発性全覚文の発話が過去にも見られたこと、その受話者の一人に話を聞いたことを説明しながら、武田は二人を十三階の仮想ワークステーションに案内しました。二人を用意していた椅子に座らせると、武田は言いました。

高次元オーバー・スリーの仮想環境に入ったことは?」

 二人は互いに顔を見合わせてから武田の方を向き直り、首を横に振ります。

「なら簡単に注意事項を。四次元の仮想環境は、あくまで擬似的なものです。脳内で情報処理した結果が四次元的に見えるような情報を視覚野に流すというものです」

「人間の脳は四次元を処理できるんですか」クシーがまっすぐと手を上げました。

「いいえ、できません」武田はきっぱりと首を横に振りました。

「四次元的に見えるように無理やり画像変換をしているだけです。脳に相当な負荷がかかります。慣れた人間でも、一日二十分が限界と言われています。今回は手短に、五分程で行きましょう。それと、注意点を一つ。四次元の仮想環境にいる間、ソフトウェアはあなた方の運動神経をロックします」

「四次元空間下では通常の反射が意味をなさないからか」バークが声を低くしました。

「ええ。人間は、何十万年という時を三次元世界で生きてきました。四次元情報をインプットとして運動神経に流す命令を決めることができるモジュールなんてどこにもないんです。つまり、本シミュレーション中はあなた方の実体は動かすことはできず、何らかの行動はすべて〈リュシャン〉を介して音声ベースでお願いします」

「分かった」バークは背もたれに体を預け、腕を組みました。

「始めてくれ」


 仮想四次元空間を浮遊する三人の前には、四機の四次元パシフィカが四面体をなすように並んでいました。四次元空間からでは、四面体の各頂点にあるはずの四次元パシフィカは皆同じ距離で同じ大きさで見ることができます。

「それぞれが、各創発性全覚文の全空間、全時間の発話点をプロットしたものになります」

 それぞれのパシフィカには、三つの空間座標と一つの時間座標を持つ赤い点が無数に散りばめられていました。

「時間がありません。説明は後程行いますから、各自気になる点を調べてください。音声インタフェースで〈リュシャン〉がパシフィカを回転させてくれます」

 それからの数分間、バークとクシーの二人は延々と声を発し続け、四機の仮想パシフィカを四次元空間の中で転がしていました。時に統計分析ツールを呼び出しながら、その傾向に存分に触れたのです。

 五分後、三次元空間に帰投したバークとクシーの二人は椅子にぐったりと座ったまま額を手で抑えていました。

「体調はどうですか」

「立ち上がりたいが、立ち上がる方向が分からない」

 バークが震える声で言います。

「みっともない捜査官ですね」

 クシーは笑ってみせましたが、それでも顔の筋肉はひきつっていて、足も震えていました。

「さて」更に十分が経ち、二人がまっすぐと歩けるようになったところで武田が切り出します。

「本題ですが、何か気が付いたことはありましたか」

 バークもクシーもしばらく俯いたまま何も言いません。武田が言葉を続けようと息を吸ったそのとき、バークが口を開きました。

「四次元空間のパターン認識だろう? 悪いが、三次元空間に生きる人間には厳しい。とっくにAIに分析させたんだろ。何か分からないのか」

「残念ながら」武田は目を反らしました。

「各発話件数は十数件ですが、統計的な分析をするには件数不足です」

「面白いものを見せてくれたとは思うが、お手上げみたいだな」


 ビル三十五階からは林立する円柱型ビル群とその麓を彩る鮮やかな緑がよく見えます。そのスカイカフェの窓際の席に武田、バーク、クシーの三人は座っていました。NCD職員の専用カフェであり、PCDの黒服は奇異の視線を集めていましたが、肝心の二人はそれを気にする様子を見せません。

「これが、創発性全覚文の扱いの難しいところでして」

 今でも愛飲者を多く持つコーヒーを口に運んでから、武田は言います。

「創発現象は、現象の主体を持たないんです。アリ一匹一匹が最短経路を求めようとはしなくても、アリの集団が最短経路を見つけられるようにね」

「はい!」と無邪気を装うクシーが元気よく手を上げます。

「創発性全覚文は何者か――発話準人が発話したものでもなく、偶然創発されて生まれたもの――そういうことでしょうか」

「それは分かりません。ただ、複数の殺人事件が単一の有害全覚文によるものならともかく、四件の裏には四つの異なる有害全覚文がいた。偶然と片付けるには出来過ぎている。何者かが裏で糸を引いている――そう考えるのが妥当でしょう」

「同感だ」バークが頷きます。

「ところで、この創発現象とやらも狙って起こすのは不可能ではないはずだな、タケダ。創発子は明らかになっている」

 すると、武田は目を丸くしました。

「僕の論文を読まれていたんですね」

「全容を理解したとは言えないが」バークは控えめに笑い、かすかに白い歯を見せました。

「それを応用すれば、創発現象を――創発性全覚文を発話させることも可能ではないのか。たとえば、全覚文の発話AIの、構成素放出ロジックに作用を与える何らかの創発的な環境要因を用意し、発話AIが放つ構成素を変化させて、それ同士の創発によって創発性全覚文を発話させた、とか」

「その可能性は否定はできません。ただ、創発現象を引き起こすことはできても、その効果を予見することは難しいんです。進化は引き起こすことはできても、狙った方向に進化させるのは簡単じゃないんです。だから犯人が全覚言語環境(ASLE)を操ったとしても、人を殺す有害全覚文を四つも作れるとは、僕ですら、どうやればそんなことができるのか見当もつきません」

「エイドリアン・チェン教授の言っていた通りですね」

 クシーが唐突に口を挟みました。武田の表情の動きがすっと消えました。

「見たんですよ」クシーは続けます。

「全覚文に関するコラム記事を。『パシフィカ中央大学名誉教授にして、有害全覚文の発見者、エイドリアン・チェンが一連の殺人事件を語るって』」

「共有してくれ、クシー」

 バークの声に頷いたクシーは自分の右目の前でドキュメントを意味する四角形を指で描いてみせました。その軌跡が三人の眼には光って見え、やがてそれは一枚の光る紙片となりました。クシーがそれを掴んで投げる仕草をすると、二枚に分身下それはまっすぐ武田とバークの眼に飛び込んできました。

 武田とバークは目の前に浮かぶその仮想ドキュメントを読み始めました。

 離散殺人集合が創発性全覚文によるものであることは公式には発表されていませんが、共通性を見出した海外メディアが権威のチェンを訪れてつくったインタビュー記事です。

 有害全覚文をいち早く見つけた教授らしく、それは有害全覚文の脅威を忘れ、再び全覚文依存への道を歩みつつあるパシフィカの未来を憂う論調でインタビューは展開されていました。

「しかし、よくこんなの見つけて来たな」バークが感心したように頷きます。

「〈ジャッジメント〉ですよ」

「〈ジャッジメント〉?」

 武田が首を傾げると、彼の視界にそのアプリケーションを説明した仮想ポップアップが浮かびました。価値観模倣AI〈サイ・ファン〉演じる仮想政治家に質問ができるアプリケーションとまとめられています。

「そこで、私、ファルシードを血祭に上げようとしたんです」

「自由意志党の党首に何の恨みが?」

 バークの問いを、クシーは鼻で笑って受け流しました。

「恨む? そんな感情的ノン・パシフィックな動機じゃありませんよ。ただ、今これだけ支持を伸ばしている自由意志党の党首がどれだけ理性的パシフィックな人間か知りたかったんです。そうすれば、パシフィカ人はまだ理性的で、この街が東京の二の舞にならないことが分かるし、何より私の中で渦巻く生理的ノン・パシフィックな嫌悪感を取り除けるから」

 そのセリフの最中、武田の顔の筋肉が強張るのをクシーもバークも見ていませんでした。

「それで、エイドリアン・チェンとどう繋がるんだ?」

 バークが訊いた。

「で、私質問したんですよ。自由意志が第一義というのなら、犯罪はどう抑止するのか、と。思っていた以上に、彼は手強い論客でした。そもそも知識が豊富だし、ニュートラルで分析的な思考が相当に得意な輩です。原始犯罪ゼロ、とか最小化だなんて安直なことを言わずに、極小化と言った訳ですからね」

 この場合、極小化は最善を尽くすことを意味していました。

「それでも手を変え品を変え攻めていったんですが、そんなときに彼が証人を呼んだんですよ」

「エイドリアン・チェンの仮想体か。でも、二人に繋がりがあるとは思えないが、〈サイ・ファン〉は随分と適当なAIだな」

「いえ、二人は本当に知り合いのようですよ。いや、知り合い以上と言った方が正しい」

「詳しく教えてくれませんか」武田が体を前に傾けて訊きます。クシーは頷きました。

「有害性全覚文発見以来、エイドリアン・チェンは全覚文に対して慎重な意見を取っているとのことで、その点に関してはファルシード率いる自由意志党と意見が合致したみたいなんですよ。今度の公開演説では応援演説としてチェン教授が登壇するとも聞きました」

 武田は小さく噴き出しました。

「それで」再びバークです。

「〈サイ・ファン〉はエイドリアン・チェンの人格をも模倣していたと」

「いえ、実態は〈サイ・ファン〉による人格模倣ではなく、コラムを読み上げるという簡素なものでした。さすがに政治家以外の模倣ができる程余裕はないんでしょう」

「それで、読み上げられたというのがこのコラムか」

 バークは再び空中に浮かぶ仮想ドキュメントに目を通しました。

 結論にはこうありました。

 ――ASLEを人間が管理することなどできはしない。人間が自然を管理し制御することなど不可能であることを、歴史が語るように。

「自然を管理し制御することは不可能、ねえ」バークが呟きました。

「自然」と唐突に、武田が自らに言い聞かせるように口を開きました。バークとクシーは彼に目を向けます。

「そうだ、自然と同じなんだ」

「何がですか」

 クシーの問いに武田は答えません。尚も一人で言葉を続けていきます。

「創発性全覚文は制御できない――の言った通りだ。自然と同じなんだ。けれども、自然の造形にはパターンがある。生物界の現象を説明する言語が」

「一体何を、タケダ?」

 バークの声に武田はハッとして、バークを見返しました。

「創発性全覚文を統計的に分析しようとしていたから、データが足りずに悩んでいたんです。でも、違う! これは生物の示すパターンです。創発性全覚文の発話パターンこそが創発現象なんですよ」

「どういうことだ?」

 バークが左目を細めました。

「一緒に来てください。この現象のパターンを解明できる人を知っています」

「誰だ」

「数理生物学者、アルジ・クワッカです」

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