協力

 レベルHの白昼帯にある原始犯罪課PCDオフィスのすぐ近く、Co8区の緑地公園内に設営されたオープンカフェでエン・バーク捜査官とダイエル・クシー準捜査官の二人は昼の休憩をとっていました。

「そういえば、クシー準捜査官はどうして原始犯罪学を専攻しようと? 言いにくいことだが、あまり人気のある分野でも成長が見込める学問分野でもないだろう? 君なら他にも多くの選択肢があったと思うが」

 クシーはサンドイッチをトレイに置きました。

「以前、バークさん、言いましたよね。原始犯罪は非合理的ノン・パシフィックだって」

「ああ」

「私はそうは思いません」

「どういうことだ」

「何故、原始犯罪がなくならないか、バークさんは考えたことがありますか? 何故、原始犯罪のない社会が未だかつて一つとしてなかったか分かりますか」

 バークは答えずにコーヒーに手を伸ばしました。

「暴力、窃盗、強姦――それらはすべて人類が子孫を残すために進化によって与えられた力だったからですよ。敵が襲ってきた? 殴らなければ自分が死にます。飢え死にしそう? 肥えた奴から盗っちゃえばいい。パートナーがいない? なら、こっそり、そして大胆に――ってね。それも含めて人類なのにそれだけ禁止して止まる訳ないじゃないですか」

「成程。進化的には原始犯罪も合理的パシフィックな選択となる状況があると」

「私、元々人間社会や文明の進化、発展に興味があったんですよ。ただ、色々な文化や社会を俯瞰してみると、どこにだって姿を現すものがある。暴力、窃盗、強姦――そう、原始犯罪です。エッツィを知っていますか」

「雪山で見つかった昔の人間か」

「そうです。約五千年前の人間です。でも彼の肩に矢尻の痕があったそうです。彼は殺されていたんです。そんな時代から原始犯罪はあったんです」

「それで、君は原始犯罪をどうすべきだと思っているんだ」

「そうですね……そろそろ潮時じゃないですか。パラダイムシフトの」

「何を?」

「人類は長らく原始犯罪に対して、罰することで戦ってきました。でも、それでも滅することはできなかった。原始犯罪を病気とみなして、治療と新たにパラダイムシフトしたのが五十年前、東京でしたね」

「でも東京も原始犯罪に敗れた」

「そう、だって、根本的に原始犯罪は病気じゃないですもん」

「それで、どんなパラダイムが来ると」

「弔うことですよ」

「弔う?」

「原始犯罪はかつて、人類が子孫を残す上で役立った形質たちだった。でも、社会生活を送る上では不要になった――むしろ害にすらなった。だから、しっかりと敬意を持って、介錯すべきなんです。脳をいじって、それらを引き起こしうるモジュール群を取り除かねばならない。それが、原始犯罪の最期です」

「クシー準捜査官……」バークは頭を抱えました。

「君もまた、アリサ・ブルーム副長官みたいなこと言うんだな」

「社会技術省の副長官ですか?」

「従妹ですから」

 クシーはそうにやりと笑いましたが、バークの〈リュシャン〉がバークだけに囁きかけました。

『ダイエル・クシーは嘘をついています』

『言われなくても分かってる』

 バークは指向声で答えました。

「しかし、君も随分と異端だな。その話、他のPCD職員の前でするなよ」

「分かってますよ」クシーはけたけたと笑いました。

 そのとき、バークもクシーも、視界の端に一人の男性の姿が入るのを認めました。二人とも声を止め、そちらに目を向けます。ロイヤル・シルクの質素な仮想柄の実服に身を包むアジア系の男性の姿がそこにありました。

「どなたですか」バークが声をあげました。

「PCDのエン・バーク捜査官ですね」

「何故私を?」

「僕は全覚言語管理局ASLAの研究員、武田洋平といいます」

「タケダ――悪童を解決に導いた、あの?」

 バークが目を見開きました。

「ただの偶然ですよ」武田は曖昧な笑みを浮かべ、後頭部を掻きました。

「バーク捜査官。あなたからの再調査依頼を受けました。あの状況で文意喪失を疑うとは、PCDにも全覚言語オールセンスのリテラシーが高い方がいたのですね」

「会えて光栄だ、タケダ。しかし、わざわざ何故こちらに?」

「上の直々の命令ですよ。捜査を手伝うよう指示が来ましてね」

「何か見つかったんですね」クシーが口角をあげました。

「ええ」武田が頷きます。

「僕は四件すべての全覚言語環境ASLEを再調査しました。その結果、四件すべてに有害性全覚文の存在が見受けられました」

 バークとクシーは顔を見合わせました。

「それは意志の不在性を催すものですか」クシーが訊きます。

「それは何番目の全覚文に対する質問ですか」

 含みのある笑みを浮かべながら武田が訊き返しました。

「何番目?」クシーは目を丸くしました。

「全覚文は一種類じゃないっていうこと?」

「その通りです。四件の殺人事件には、それぞれ全く別個の未知有害性全覚文の発話があったんです」


 * * *


 エン・バークはPCD内の仮想ワークステーションに武田洋平の仮想体を案内していました。

 マハ・ユールを快楽殺人犯にせしめた〈逝き果てるまで〉。

 キリフ・アイルセンをして、友人を実験台に使わせた〈サイエンス・ファースト〉。

 アトラシア・キムを常軌を逸した賭けに及ばせた〈命賭けで〉。

 フラ・マサ・シンの論理を崩壊させた〈逆は必ず真である〉。

 それらが、それぞれの殺人事件を起こした全覚文です。仮想ワークステーションの四方の壁には四つの事件当時の映像が投影されており、それぞれの有害性全覚文の構成素たちが羅列されていました。

「でも、一体どうやって見つけたんです。それも、四つも」

 バークが訊きました。

「全覚文の抽出方法をご存知で?」

「〈シェン・ルー〉による脳神経反応特定法と、パシフィカ中の無数の構成素ログと人間の行動パターンを統計的に処理した、統計的抽出法があると聞いている」

「基本はその二つです」

 仮想体の武田が穏やかに笑いました。

「基本じゃない第三の抽出法を今まで全覚言語管理局ASLAがやっていなかった理由はコストパフォーマンスですか」

 クシーが横から聞きました。

「ダイエル・クシー準捜査官ですね」武田が彼女に目を向けました。

「鋭いご指摘ですね。それもあります。実際、その第三の抽出法もまた無数のデータを使います。そして無意味と思われる構成素同士の組み合わせをすべて検証する訳ですから、量子サーバの使用料が嵩むという点ではコストは高いです。でも、実際は、第三の抽出法での全覚文発見例はただ一例しかない――それが一番の理由です」

「創発性全覚文か」

 バークが渋い声で言いました。聞き覚えがなかったのでしょう、クシーは怪訝そうに横目でバークの顔を見ましたが、バークはまっすぐと武田を見ていました。

「ご存知でしたか」

「悪童症候群には苦しめられたからな。我々にとってあなたは英雄に等しい」

 武田は恥ずかしそうに破顔した。

「やめてください」

「しかし、三年前のそれきり見つかっていない創発性全覚文がここに来て、四件同時に見つかったというのか。俄かには信じがたいが」

「それは、僕自身が一番実感しています。ですが、数式は確かに、創発性全覚文の存在を示しているんです。その過程を少々お話しましょう」


 武田が創発性全覚文〈あらゆる声に耳を傾けるな〉を発見し、悪童症候群を解決に導けたのは、創発現象の元を、システムに創発をもたらしうるエージェントのふるまいの特徴を導出することに成功したことが大きいでしょう。

 武田はそれを創発子と呼んでいました。単独では機能せず、複数の創発子がそろって初めて創発現象を引き起こすもの。とある創発現象を引き起こす創発子をすべて集めることで、創発現象は初めて予想可能になるのです。

 この創発子探しを全覚言語体系で行えば、創発をもたらしうる全覚文を、あるいはその構成素を見つけることができます。そしてそれら創発子をすべて見つけることができれば、創発性全覚文を発見できるのです。

 けれども、そもそも創発子は滅多に見つかるものではありません。創発子の特徴はあくまで数学的なふるまいの一部を表現したもので、既知の全覚文か、未知の全覚文か、潜伏全覚文か、全覚文の構成素かを一切指定するものではないのです。つまり、環境に存在するあらゆるものが創発子の候補であり、それは砂漠の中から特定の形状の砂粒を見つけ出すも同じことでした。

 しかし、今回の場合、創発性全覚文があると仮定した場合、その影響下にあった人間が確定できた点が武田に味方しました。事件の犯人です。効力の強い全覚文程見つけやすいというのは実際真実で、犯人の周辺環境だけに絞って創発子のチェックを行えばいいのですから、武田の作業量も決して多くはなく、量子サーバの使用料も大して嵩みませんでした。

 犯人たちの周りにあった、全覚文にすらなれない何らかの刺激たちには、恐ろしいくらい創発子の特徴が見受けられました。それは全覚文発話AIが進化の過程で放射していた無意味なはずの刺激の数――それは光素フォトニムだったり、音素フォニムだったりしました。

 あとはその創発子同士を紐づけるナカジョウ=クライスラー変換を用いてやれば、創発現象の挙動が判明します。学習しただけの〈シェン・ルー〉には再現できないものです。

 マハ・ユールの周りに飛び交っていた創発子を変換してやれば、それは飛び出る血は高い血圧の証――興奮の証だと論理の飛躍を許容させる効果が見受けられました。

 キリフ・アイルセンの周りを漂っていた創発子を変換してやれば、それは人間が認識する物事の優先順序を大きく乱す効果がありました。

 アトラシア・キムの周りを這っていた創発子を変換してやれば、賭け事に勝つことで得られる報酬を過度に見積もる効果が見られました。

 フラ・マサ・シンの脇を渦巻いていた創発子を変換してやれば、そこには論理の逆転が起きていました。

 こうして、武田は四つの創発性全覚文を見つけたのです。


「――まだ、信じられませんか」

 唇を噛んだまま微動だにしないバークとクシーの顔を交互に見ながら武田は言いました。

「全覚文発話AIの発売元が仕組んだ策謀の可能性は」

 定まらない目線で、武田の後ろで繰り返しカルタリに殴りかかるマハ・ユールの映像を見ながらバークが言いました。

「ないとは言えません」

 武田がそう言うと、四方の壁に写っていた殺人の映像が消え、四種の創発性全覚文のレポートが表示されました。

「創発性全覚文は、従来の全覚文を構成していた様々な刺激、全覚素を構成素としていたのみならず、全覚文そのものを構成素とし得るという特徴があります。文が新たな文の礎となる――言うなれば文素センテンシムです。実際、これら四つの創発性全覚文は〈わたしと共に歌いましょう〉を文素センテンシムとしていて、この発話が最後のキーとなっていたようなのです。通常の全覚文はせいぜい数種の刺激を組み合わせるだけでしたから、多くの全覚文の開発元は独自にその組み合わせをAIに見つけさせ、発話に至っていました。でも、これを見てください」

 創発性全覚文のレポートには、それぞれを構成する十近い文素センテンシムとその開発元の企業名、そして開発AIの名が記されていました。

「開発元が軒並みバラバラですね」

 クシーが半笑いで言います。

「全部で――」何社、と聞こうとしたところで彼女の〈リュシャン〉が全員に聞こえるように言った。

『九社になります。パシフィカの全覚文の開発元の実に半数の企業名がここに記されています』

「この九社が共同で仕組んだ策謀という可能性は」バークが訊きます。

 武田が言葉を続けた。「その可能性は低いと思います」

「けれども、偶然にしてはできすぎている。何者かが裏で糸を引いている――そう考えるのは決して非合理的ノン・パシフィックではあるまい」

「僕も同意見です」

 武田が頷きました。

「タケダ、創発性全覚文を操ることはできるか? あなたが三年間見つけられなかった創発性全覚文を四件も用意した者がいたとしたら、並大抵の技術力の持ち主ではないだろうが」

「その通りです。まして、創発性全覚文は制御がほぼ不可能に等しいじゃじゃ馬なんです。発話AIと制御AIの共進化が起きる全覚言語体系の中にあって、全覚文同士の相互作用で新たに生まれた創発性の全覚文。これはまるで、カオス系の渦の中に現れた滞留のようなものです。決して予測はできず、制御もできない」

「でも、犯人は確かに四人の人間を殺人犯に仕立て上げた――こんなの、原始犯罪じゃない」

 クシーが震える声で言いました。

「クシー?」

 バークはクシーの意図を掴み損ねたようでした。

「原始犯罪は、人間が、自らの意志で奪取によって自らの適応力を高めるためのもの。だから人のものを奪うし、敵の命も奪う。でも、これは人間の本能に刻まれた原始犯罪の機能を無理やり呼び覚ました。原始犯罪に対する冒涜だ!」

 バークは肩を竦めました。

「クシー準捜査官、悪いがこの事件はPCDだけの手に負えるようなものじゃない。全覚言語体系を乗っ取って悪事を働こうとしているのなら、それは明らかに新奇犯罪の分野にも跨っている」

 バークはまっすぐと武田の目を見据えました。

「手を貸してくれるか、ヨウヘイ・タケダ」

 バークはピンと筋を張り、手を前に差し出しました。

 武田は一瞬ひるみましたが、彼もまたすぐに手を出します。

「ええ、協力いたしましょう、エン・バーク捜査官」

 彼らの視覚に入った僅かな光素フォトニムがピンポイントに触覚に共感覚的に作用します。互いは離れたところにいながら、確かに相手の力強い手の圧素プレッシャレムが互いの神経をひた走っていたことでしょう。

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