君の声を探して 〜Your voice〜

誠奈

第1章 misterioso

1

偶然降り立った駅…


特に理由なんてない。


もしあるとすれば…


それは酷く雨が降っていたから…、それだけだ。


その日俺は、長年付き合って来た彼女に、プロポーズをした。

給料の三倍…とまではいかなくとも、一目見てブランド物だと分かるような婚約指輪を用意して…


でも振られた。

高校時代からだから、もう八年の付き合いにもなるのに、だ。


どうして振られたのか…、その理由は知らない。

ただ一つ分かるのは、結婚を前提に付き合っていると思っていたのは、“俺だけ”だったってこと。

彼女は俺との結婚なんて、最初から考えてなかったんだ。


ショック…だった。

八年だ…、当然彼女だって俺との結婚は考えてくれていると思っていたから。


だから…かな…


勇気を振り絞って差し出した指輪を手に取ることもなく、たった一言「ごめんなさい」と頭を下げられた瞬間、俺の視界が真っ暗になり、足元はグラグラと揺れた…ような気がした。


その後のことは…正直あまり覚えていない。

気付いた時には、それまで見事なまでに晴れていた空から、大粒の雨がアスファルトを濡らしていて…


ああ、そうだ…


突然降り出した雨から逃れるように、タイミング良く駅に停車していた電車に乗り込んだんだ。

泣きたいのは空よりも、俺の方なのに…って心の中で悪態をつきながら…

そうして降り立った駅が、この駅だった。


大型ショッピングモールが隣接していることもあって、タクシーが捕まりやすいのも理由の一つだ。

普段利用している駅には、タクシーを捕まえるどころか、バスすら通っていないから…


改札を出てから、ショッピングモールへと続くアーケードを抜け、丁度ショッピングモールの入口に差し掛かった時だった。


どこからともなく、歌声が聞こえて…

俺は雨に濡れるのも構わず、声の聞こえた方に足を向けた。


空耳…


一瞬はそう思った。

アスファルトを叩く激しく降りつける雨音の中、歌声なんて聞こえる筈がない、って。


でも俺の耳にはハッキリとその声が聞こえていて…、それは俺の肩が濡れれば濡れる程に、近く、より鮮明さを増して行き…


そして俺は見つけたんだ。

濡れたアスファルトに両足を投げ出し、キャップの鍔(つば)先から滴る水滴を気に留めることなく、瞼を固く閉じ、歌い続ける彼を…


とても綺麗だった…


雨音と雨音の合間をすり抜けて響く透き通った声もさることながら、淡いブルーのTシャツを、肌が透ける程雨に濡らし、それでも尚雨粒を全身に受けて歌う彼の姿が、とても綺麗で…


多分、見蕩れていたんだ…と思う。


気付けば、元々役不足だった折り畳みの傘は手から滑り落ち、降り注ぐ雨の中、俺は一人声を殺して泣いていた。


八年も付き合った彼女に、理由もなく振られたからじゃない…

ただ、どう言うわけだか、彼の歌声を耳にした瞬間、勝手に涙が溢れ出して…、止まらなかった。


俺は静かに彼に歩み寄ると、ポケットの奥に忍ばせたままだったリングケースを、そっと彼の前に差し出した。


どうしてそんなことをしたのか…、やっぱり理由は分からない。

でも俺は、彼が俺の存在に気付くまで、ずっとそうしていた。


そして、ピタリ…と声が止んだと思った瞬間、それまで固く閉じていた瞼が開き、長い睫毛に縁取られた目から、一筋の涙が零れた。


いや…、もしかしたら頬を濡らす雨だったのかもしれないけど、俺の目には、確かに涙の雫に見えたんだ。


「お兄さん、風邪…引くよ…?」


それが、初めて聞いた彼の“声”だった。


「えっ…、あ、ああ…うん…、君こそ…」


歌声とは全く違う印象を受けるその声に、内心戸惑いを感じながら、漸く言葉を絞り出した。

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