電車で眠っただけなのに

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第1話 終点

 私は、もうすぐ仕事を失う。

突然の解雇通知。合併の噂は聞いていたが、ただの噂だと思っていた。

まさか大規模なリストラが行われると誰が予想できただろう。

ただの事務員で何の資格もなく、ぼんやりと生きてきた私は真っ先に切られた。

現実を受け止め切れずに東京駅のプラットホームにぼんやりと立ち尽くす。

夏の蒸し暑い空気が息苦しい。

周りは音で溢れかえっているはずなのに自分の周りだけまるで音が無いようだ。

先ほどコンビニで買ったおにぎりと600mlのジャスミン茶がやけに重い。

「困った」

私の小さな呟きを拾う人は誰もいない。


 解雇を知った悪夢のような日。

ぼんやり書類のコピーをとっていた時、同期に声をかけられた。

「佐藤さん、課長が小会議室に来てって言ってたよ」

長く伸ばしたチョコレート色の髪に、大きな瞳の可愛らしい同期の女性。容姿端麗な上に仕事もできる、高嶺の花とひそかに言われている同期だ。社内の男性は皆彼女のファンである。

「ありがとう、すぐ行くね」

返事を聞いて、にこりと笑い彼女は去っていった。私もひそかに彼女の働きぶりに憧れていた。

私は別に今の仕事が好きなわけではない。ただ、生活費を稼ぐ為だけに選んだ事務員の仕事。

与えられた仕事を淡々とやり、終われば帰宅する。そんな生活を送っていた。仕事が特別できるわけでもない私の仕事は、誰でもできるようなデータ入力など単調なものが多い。課長に呼ばれるのはたいてい雑用を任される時だ。今日は何の雑用かな、軽い気持ちで小会議室へ向かう。

ちょうど私と入れ替わるように男性社員が青白い顔で小会議室から出て来た。

すれ違う際に虚ろな瞳と目が合った。体調不良で早退だろうか。

私が会議室に入ると椅子に座っていた課長が顔を上げ、向かい側に位置する椅子を指し示す。

目の前の机には会議資料と思われる書類が置かれていた。

私が椅子に座ると課長がおもむろに口を開いた。

「佐藤さん、大変言いにくい事だが。君はリストラの対象者に選ばれた」

「え…?」

私は課長の顔を凝視する。何を言われたのか理解ができなかった。

「うちの会社の業績が全体的に落ち込んでいることは知っているな?そして吸収合併される事も」

「た、ただの噂ではなかったのでしょうか」

私の声は情けなく震えていた。課長は表情無く淡々と続ける。

「残念ながら現実になる。そこで、人員の削減も同時に行う事になった。ここにある書類に名前が載っている者が全員リストラ対象者だ。私の口から言うのは辛いが、君の仕事は正直に言って他の人がやっても良いようなものばかりだ。それは君自身がよく分かっていると思う」

それは分かっていた。分かっていたけれど。私の頭はどんどん真っ黒に塗りつぶされていく。

課長の指が資料の上を滑り、私の名前の上で止まった。

「8月いっぱいでここを辞めてもらう事になる。それまでに引継ぎを行うように」

「…わかり、ました」

解雇通知書を受け取り立ち上がる。

あぁ、先ほどすれ違った彼も。私もきっと同じような顔をしているのだろう。

私は重い足取りで会議室のドアを開けた。女性とすれ違う。

彼女は私の顔を見てぎょっとした表情をしていた。

体が重い。ずるずると自分の席に座り、カレンダーを見つめた。

あと少しで、私は無職になる。

働かない頭でぼんやりと考える、また就活か。

隣の先輩が私を気遣って声をかけてきた。

「大丈夫?顔色がすごく悪いわよ。今日は早退したら?」

「そう、します…」

「私から報告しておくから、早く帰って休みなさい」

「ありがとうございます…」

消えそうなほど小さな私の声に先輩は心配そうな顔をした。

先輩にぺこりと頭を下げ、荷物をまとめて廊下に出る。給湯室の近くを通ろうとした時、ひそひそと会話が聞こえた。複数の女性の声、その中に先ほど私を呼びに来た同期の声もあった。

私は思わず足を止めてしまった。聞かなければよいのに。

「やっぱりね、佐藤さん仕事できないもん」

「私、いっつも彼女の分の仕事までやってるんですよ。あの人に任せるとすっごく遅いから」

「やっとイライラから解放されるわ」

私は知っていたかもしれない。見ないふりをしてきただけだ。

彼女たちがいつも迷惑そうに私を見て、小声で会話しているのを。

私が近くにいる時はにこにこと話しかけてきて、離れればひそひそと。

給湯室の前を足早に通り過ぎ、逃げるように会社を出た。

後ろから笑い声が聞こえた気がした。



『6番線に電車が参ります。黄色い線の内側にお下がりください』

無機質なアナウンスが流れる。ほどなくしてブルーの電車が滑り込んできた。

電車のドアに向け歩きはじめた私のつま先に、コンと何かがぶつかった感触がした。

ふと下を見れば直径5㎝ほどの丸いものが転がっている。きらきらと光るそれはとても綺麗だった。

落とし物だろうか。拾おうとかがみかけた時、後ろに並んでいた女の人が舌打ちと共に体をぶつけてきた。

「ひゃっ」

思わず足が前に出たせいで、丸いものを蹴飛ばしてしまい、それはちょうどドアの開いた電車の中へ転がってしまった。私も女の人に押されるように電車に乗り込む。確かに邪魔だったかもしれないが押すのは危ないのではなかろうか。

丸いものは私のちょうど足元に落ちていた。今度こそかがんで拾う。指先にひんやりと冷たさが伝わってきた。透き通った薄紫色、アメジストのようなガラス玉。

私はそれを眺めながら空いている椅子に座る。戻って駅員さんに届けてあげたい気もするが、もうその気力もない。自宅の最寄り駅で渡そう。

あと8駅、十分に寝られる。

椅子の背もたれに寄りかかり、ふっと息を吐く。目の前に座っているおじさんのマスクが膨らんだり凹んだりするのを見たのを最後に私はゆるゆると眠りはじめた。



 ゆらりゆらり、電車の揺れのせいか飛んでいる夢を見ているようだ。まどろむ中ぼんやり思う、早く起きなくては終点の大船まで行ってしまう。

『次は終点の_________です。この電車は折り返し運行は致しません』

ほら嫌な予感は当たるのだ。すっかり寝入って終点まで来てしまったようだ。

早く起きなくては駅員さんに起こされる。

目を開こうとした次の瞬間。

がくり、と体が大きく傾き落ちていくような感覚がした。ジェットコースターに乗った時に感じるお腹の奥がきゅっと縮むような。椅子から落ちてしまう、反射的に体が硬くなった。どさりと体が電車の床に打ち付けられる。思っていたよりも痛くない。

が、床の感触ではない。かさりと音のなる床、心なしか爽やかな香りがする。

「何だ…?」

 うっすらと目を開くと、頭上には満点の星空が広がっていた。

まだ夢の続きだったのか。体を起こすとそこは森の中だった。

解雇によるストレスのせいで、心が穏やかになる夢を渇望していたに違いない。

満点の星空に森林浴、これはストレスには効果的だろう。しばらく座りながらぼんやりと眺める。

夜風が心地よい。夢でも風を感じられるのかと新たな発見をした。

「ずっとこうしていたいな」

夢から覚めないで、このままずっと現実から目を背けたい。

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