Crow and Eagle

野間戸 真夏

第1話 スーサルモの死

 2020年2月27日日本時間5時17分、一通のメールが私のパソコンに届いた。

 “Dear NOMAD,”の書き出しからして、メールはカナダからのものだと察しがついた。普段から研究に追われ夜が明けてから床に就く毎日、寝ようか読もうか迷いはしたが、まあそう頻繁に彼から連絡が来るわけではない。メールを開いてみた。

 差出人はエマニュエル、自称音楽プロモーターの男だ。昨年晩夏に彼に招かれた私は、ラップのライブに参加するためカナダに赴いた。またライブを開催するにあたっての召集のお達しかと、それくらいの軽い気持ちでメールを開いた。

 しかし一行目を見た途端に世界が凍り付いた。

“Susarmo died.”

 たったの2ワードが、私の魂をいとも簡単に打ち砕いてしまったかのように思えた。何の予兆もなく、私の最も尊敬し、また最も軽蔑する親友が死んでしまった。

 彼がドラッグの常習者であったのは知っている。彼は数え切れないほどに大勢から恨みを買っていた。彼の住む街には「ろくでなし」で溢れてる。ここでは敢えてその街の名称は伏せておくが、ギャングや所謂「半グレ」が至る所に居座っており、法外の地域であった。だから彼が長生きできないことは勿論よく理解していたはずだった。それでも彼は突然その生涯を終え、まして死因は“overdose”となると、もはやお笑い草だ。

 結局その後も一睡もできず、正午過ぎには行きつけのバーのカウンターでウイスキーに入り浸っていた。かといってこれは特段変わったことではない。基本的に私は日夜問わず酒に溺れている。ちょっとでも気を抜けばゲロじゃなく血を吐くほどにだ。だからこの日もただ安定のルーティンを果たしに来ただけだった。

 しかし結局はガラにもなく、一風変わったことをしてしまう。結局のところ私も人の子、哀愁なのか、単なる動揺なのかは分からないが、心の何処かに穴が開いてしまっていたのは確かだ。

「“ROLLING-K”を2つ」

 2つの透明なグラスに、琥珀色の想い出が注がれて運ばれる。

 そそくさと香りを楽しむはずであったが、まだ揺れの止まない水面をじっと静かに見詰める。マンガみたく隣に人の気配なんて全くと言っていいほどしなかったよ。それでも不思議と左隣を振り向いた。当たり前だけどそこには誰もいない。だけど両手にそれぞれグラスを掴んで乾杯させてみた。アイツと乾杯を交わした、胸の奥は確かに少し熱かった。

 アイツは私にオススメのウイスキーを飲ませるのが好きだった。正確に言えば、先に飲んで欲しがっていた。ガキみたいに眼をギラギラさせて、“great?”って訊いてくるんだよな。だから今日もこっちが先に戴くよ。あの日と同じように右側のグラスを手に取って、わざと香りも嗅がずに飲んでやった。別にもう40度程度じゃ喉は燃えないんだ。それなのにヒリヒリ感じるのは何故なのだのう?

 今思えば、“ROLLING-K”は“OLD CROW”を日本人向けに改良したものだから、アイツなりの私への配慮だったのか。“OLD CROW”を初めて口にしたのは帰国してからだった。

「今日は珍しいですね」

 馴染みの店員が声を掛けてくれた。いつもだったら喋って止まらない自分を心配してくれての事だったのだろう。

「友達が死んだんですよ」

「あぁ...、なるほど...」

「別に落ち込んで泣き崩れてる訳でもないんで、大丈夫ですよ!」

 謙虚さとか、包み隠すとか、そういう日本特有の文化は生憎苦手だ。言葉にした後に後悔することなんて山ほどある。今回は親切な店員さんを無駄に心配させてしまったことへの後悔だ。

「一応追悼のつもりでね、オレの分とアイツの分の2杯、頼んだんすよ」

 もっと落ち込んだ方がいいのかい?

 立ち直れないほどに泣き崩れてやった方がさ?

 問うだけ無駄なのなんて知ってるよ。「枯れて死ぬなんてダサいよな、咲き誇ってる今引っこ抜いてくれよ」なんて叫んでたお前のことだ。不謹慎にも案外喜んでるんじゃないのかとか、思ってしまう。

 今度は左に置かれたグラスを口に運ぶ。アイツの代わりに飲むのでなくて、自分の魂にこびりついて離れないアイツに飲ませてやる、そんな感じだよ。

“Susarmo, is it great?”

 囁きか、もはや声にもなっていなかったのかもしてない。少なくとも心の中では尋ねてやった。

 瞼を閉じてみると、真っ暗な世界に不意に光が差し込んできて、既に見慣れてしまったカナダの風景が浮かび上がった。そこにはエマニュエルがいて、ファンがいて、ベアトリクスもキマイラだっていて、そしてスーサルモ、お前もいる。


 これから話すのは有名でもない、そこらのゴロツキともなんら変わらない連中の物語だ。たまたまラップという共通項で繋がっただけの、私たちの人生の一部である。読者の皆様にはこの物語を通して、こんな人間がいたのかと、ただそう感じ取って頂けるだけで私は本望である。本作を執筆する動機は、スーサルモという一人の偉大で愚かな人間を、少しでも多くの人々に知ってもらいたいというだけなのだから。これは私だけでなく、スーサルモと関わった全員からの願いである。

 それではまた次回、読者の皆様と文字越しではあるが出会えることを心より楽しみにしております。

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