6.遂舉酒數巡。生起,請玉唱歌。初不肯,母固強之。




「ああ?」


 せっかく元の流れに戻せそうなのに、何を言うだコイツは。


「先輩、部長のバッグにミルクティー入れたんでしょ?」


「入れてませんけどー?」


 否定しても後輩の目は確信に満ちている。

 それは音響以下他の部員、観客に至るまで同じ。

 衣装に掘り返されて疑惑が再燃してしまったようだ。


 んだよダリいな僕もピイピイ泣けばええんか、ああん!?


 なんて、言わないよ? 本番中だからね。

 ただ菩薩のように慈愛に満ちたまなこで呪殺しようと邪視していたが、衣装は動じない。まあ稽古中さんざんイビってきたしなあ。


「演技で良いんでしょう? ミルクティーぶちまけた演出が部長と仲直りするエチュードしておいた方が今後の為にもいいんじゃないですかぁ? 」


 !?


 このガキ、僕にも“恥”ィ掻かせようとしてやがる……!

 思わず歯ぎしりすると、衣装は勝ち気に笑って胸を反らした。


 ハメられた、この提案にノれば罪を認める事になるし、イモ引けばシャバゾウの烙印を押される。

 上手いこと考えたな。


「そうだね。じゃあ、やっておきましょう」


「!?」


 だが、青い。

 こっちはお前より一年半多く恥掻きまくってんだよ!


「部長君も、ちょっと付き合ってくれるかな?」


 部長は無言で舞台の真ん中にやってくる。

 僕も彼女と三歩の位置に立ち、向き合った。

 ……こうして正面から向かい合うのも最近は久しぶり。

 衣装も観客達も、意表を突かれた顔で成り行きを見守っている。


「じゃ、行きます。よーい、はい」


 手も合わさずにキュー出し。

 と、同時に僕は頭を九十度下げる。


「ごめんね。ムカついたからやっちった」


「いいけど」


 即座に後頭部へ赦しが降り注ぐ。

 パッと顔を上げると、部長は目を細めて左の肘を右手で擦りながら、そっぽを見ていた。僕と劇の話をしている時、特に意見が対立してクソミソに言い合った後、彼女はよくこうしている。

 一年の、お互い入部して初めて演劇というものに触れた瞬間から、何度その仕草を見てきたか。その仕草に何の意味があるかさえ未だにわからない。そのくらい多くの回数、そのくらい色んな状況で見てきた。


 見たか衣装。

 僕らの紐帯はこれほど強靭なのだ。


「えへへ、マジでごめんねマジでマジで」


「後で損害は弁償させるし、ペヤングの獄激辛ごくげきからを食べてもらう」


 チェッ。

 まあいいや、と終わりのキューを出すか、と思ったところで僕らの間に邪魔者が入る。


「でも、演出ちゃんは何でそんなことしたん?」


 僕はチカに手でシッシッと追い払う動作をした。


「だからムカついて衝動的に。朝一で覗いた窓の外で鳩が交尾してたら誰だって理由なく手首切りたくなるでしょ? それと同じ」


「ウチは嫌いやないで、鳩の血は美味いねんな。それに推理の為にも動機は大事やから、掘り下げさせてもらうで!」


 まだ探偵やる気なのかよ。

 僕は取り合うのを止め、手を合わせた。


「はい、ここまで。劇を続けましょうか」


「ねー教えてやー」


 ダル絡みのチカを振りほどき、頭の中に次のシーンへ繋ぐ段取りを思い浮かべる。


「さて。小池先生の解説はひとまずここまでにしておきましょう。李益のように将来有望なおのぼりさんが遊び……とまでは言わないが軽率に女をゲットしようとするのはまあよくある話だったらしい。霍小玉もお姫様とは言え、最早実家に頼れるような身ではない。名家の才子と婢の娘。二人の関係は最初からどこか不幸の匂いが漂っていた。しかしだからこそ燃える恋もある、初めての晩は特に。では、行きます、よーーーーーーーーーーーーーーー」


 僕がひたすら『よ』を伸ばしている内に役者達が配置につき、準備を整えた。


「い、はい!」


 パン!







「さあさあ、李益様、どうぞ一献」


 舞台の中央では座り込んだ李益、霍小玉、浄持の三人。


「おっとっとっと……グイー」


 男が調子に乗った顔で、存在しない盃から存在しない酒を飲む。

 ここは二人の出会いの後、宴の場面だ。


 重要な展開とか後に掛かる伏線も無く、歌ったり冗談を言ったり、ただただ楽しいシーン。

 でも、それを作る為に全員つまらない人間の僕らがどれほど苦労したか。夢に出るぐらい悩んだし、稽古中演出助手を二度泣かせたし。

 だが、今はその出来栄えを気にしている場合ではないのだ。


 今後の為に状況と目的を整理する必要がある。


 まず状況だ。

 僕の作り上げた完璧な劇は現在、謎の暴露犯に蹂躙されている。

 複数名の台本に仕込まれていて、今のところ法則性など無く不意にそれはやってくる。


「いけないわ小玉、淑女がそんなにはしゃいでは。『演出助手は演出の指示により一年で三回骨折させられている』んだから!」


 こんな具合に。

 まあこれは大したことないな。客席の、特に一年の顔が引きつっているが、『別に? そんなものですけど?』的な顔をしてやり過ごす。


 情報の性質上暴露を伏せることはできない。僕が凄んでみんなが元の台詞を喋ってくれるなら世話ないが、自慢じゃないがそんな人望はないので。


 暴露犯の正体はわからないが、まあこの中にいるな。これまでの内容から明らかに僕への恨みが強い。クラスでは空気みたいな存在だし、学内に他に人間関係はないので、僕が嫌いな人間は部内にしかいないだろう。


「さあさあ、お義母様も。何せ『この部活では今の演出になってから十二人の部員が退部している』んですよ?」


 別に? そんなものですけど?


 次に目的。

 これは簡単、劇を終わらせることだ。それも観客を満足させる形で。

 サブクエストとして、暴露犯をとっ捕まえること。


 この二つを組み合わせて最高のエンディングを作り上げるのが演出のミッション。

 二年共には任せられない。チカもダメ。頼りになるのは自分と……。


 僕は彼女を――舞台上で上品に膝を折って盃を啜る新婦――を見やる。

 彼女は杯を干すと頬を上気させて笑み、唇をゆったりと開いた。


「いいえ、李益様。『部長でさえこの公演を最後に退部しようとしている』んですから!」


「チッ」






 すぐに口を抑える。

 いけない、ちゃんと舌打ちしてしまった。


 俯いてキョロキョロ周りを窺うと、みな発言の主に注目していて、僕を見ている人間は……いや、二つ結びの女が一人。

 チカは舞台の隅から僕の顔をしっかり見て、ニヤニヤ笑う。


 クソッ! お前が暴露犯じゃないだろうな!?

 叫びたい気持ちを抑え、深呼吸。


 落ち着け落ち着け、頭を使え。

 今のは三年と顧問しか知らないはずのこと。だから二年はみんな驚いている、いるが、別に来るとわかっていれば演技できるから、これは当てにならない。むしろ暴露犯がどうやってこの情報を掴んだかを考えるべき。出所は限られている。顧問は多忙で部員とほぼ接点が無いから違うな。僕も話した覚えはない。


 チカか、部長か。この二人に尋ねれば何かわかるかも。


 けれど、部長の顔を見るとみるみるその気持ちが萎えてくる。三月にあいつが初めて退部のことを言い出してから、二人で散々揉めてきた。だから……もう口に出したくない。(チカについては聞いても碌な答えが返ってこないとわかっているのでどうでもいいです)


 僕が口をまごつかせている内に飲み会は終わろうとしていた。仕方ない、ここは保留にして劇の進行を優先しよう。

 頬を叩いて気合を入れ、舞台に目を戻した。



 宴もたけなわ、酔客三人がオクラホマミキサーをBGMにマイムマイムを踊っている。

 曲が終わったところで、花嫁の母親が花婿から離れ、急に頭を下げる。


「李益様、今日は大変楽しゅう夜でございました」


「え、ええ。こちらこそありがとうございます」


 李益がまたペコペコバッタになる前に、彼女は爆弾を投下した。


「もう遅い時間ですので、どうぞ今日は泊っていってください」


「ええっ!」


 後退る男の背後から小玉がその袖を掴む。

 浄持は口元を抑えて、ホホと笑った。


「後はお若い二人だけで、ね?」


「ええー!」


 彼がビックリしているうちに姑は去り、転がしには新しい種板、障子のような格子の入った灯りが灯る。全体の光量も落とされ、小玉が色っぽく座り込む。


「え、え、あの」


「では、李益様、お召し物を」


「え、え!?」


 と、突然出てきて男のジャージの上を脱がすのは召使の桂子と何故かいる鮑だ。ジャージを引剥ぐとそのまま嵐のように去っていく。

 小玉も熱い息を吐き、覚悟を決めた様子でジャージを脱いだ。


「え、あの……」


 状況についていけないのは李益だけ。

 しかし、流されるまま自分も彼女の横に座り込む。


「さ、旦那様」


 そう言われて、男は生唾をゴクリと呑み、女の両肩に手を付いた。

 見つめ合い、沈黙しながらも二人の距離は詰まっていく。

 二人のおでことおでこが付きかける、その瞬間。


 李益は僕の方を見て叫んだ。


「す、すいません先輩! は、恥ずかしくてできないです、こんなこと!」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る