3.遲明,巾幘,引鏡自照,惟懼不諧也。




 役者から客席まで室内の全員が僕を見ていた。

 僕は、と言えば、助手を睨みつけている。


 目だけで射殺せるじゃんないかって程に。

 ていうかマジで射殺さないとヤバい。

 助手は蒼白になって震えている。

 いいぞ、このまま震え死んで有耶無耶になってくれ!


「止めろバカ」


 ギリギリ眼からビームが出せそうなところで、頭をはたかれた。

 気付くと右隣に部長が立っている。

 ヤ、ヤバ……!


「で、どうする?」


「ど、どうって」


 ……とりあえず彼女は怒っていない。柳眉も薄い色の唇も静かに凪いでいる。


 どう、とは『どう収拾を付けるか』という意味だ。まあまず客は大丈夫だろう、いきなり言われて何のことやらって感じだろうし、後は部員への対応だけ……そう思った瞬間。


「あの事件の犯人、やっぱり君やったんやなあ!!」


 左隣からバカみたいにデカいエセ関西弁がして、僕は嘆息した。

 振り向く必要もない。左にいるのは『最低最悪』の擬人化だ。


「客席のみんなにもわかるよう解説するとな! 先週の月曜の練習の後、部長ちゃんのスクールバッグん中がミルクティーでヒタヒタになってるのが発見されたんや! ノートから文房具まで薄茶色の海に沈んどってなあ! 部長ちゃんは今もカピカピのノートと甘い匂いがするクルトガで授業受けとるんやで! 状況的に犯人は内部の線が濃厚やったんやけど、アリバイ突き合わせようとしたら演出ちゃんが『もう時間だから』て止めてなあ! 必死やから怪しいと思っとったわ、なあ!」


 全部喋んじゃねえよアホ!


 肩に手を置かれて嫌々左を見ると、案の定チカのバカが満面の笑みを浮かべていた。こいつはこの部に憑りついた悪霊みたいなものだ、相手にしてもしょうがない。

 バカの手を無言で払いのけ、僕は考え込む。


「なあなあ! 実際のところどうなん? 君なん!?」


 舞台上に重苦しい沈黙が立ちこめる中、チカだけが平然と小柄な体躯と短い二つ結びを揺らして囃し立てていた。


 一気に噴き上がった反動で頭が冷静になってくる。

 ミルクティーの件が暴露されたのは、問題の本質じゃない。助手のボケカスは台本を見てわざわざあの発言をした。だから台本に暴露情報が書かれていた可能性が高い。

 台本は全員が本番用に新しく刷ったものを使っている。僕の台本の該当箇所を見ても、リプトンなんて一文字も書いてない。きっと何者かがピンポイントで助手のページをすり替えたのだろう。

 だから、この場の収拾なんて最早些事で、本題は――


「おい、早くしろ」


 右から急かされる。


「あー……」


 クソ、考えをまとめる暇もない。


「あー、今のは実験的な演出でした」


 この場の収拾なんて最早些事だから、取り繕いなんてこんなもんでいいだろ。


「私達にも秘密で、助手と組んでやったってことですか?」


 ちょっとキツい性格の衣装が眉を顰めていた。


「あー……劇を続けます」


「てか先輩、ミルクティーのことは」


「行きます、よーい、はい!」


 パン!







 キューを出して強制的に劇を再開。

 照明が再び、舞台の客席から向かって右側だけになる。


「え? え……うー、うっうっうっ……緊張してきた」


 戸惑いながらも棒立ちだった李益が動き始めた。

 自分の顔をピシャピシャ叩き、衣服を気にし出す。


「ぼく、大丈夫かな。イケてるかな?」


 客席側に鏡があるかのようにポーズを取り、ヘアピンで留めた長い前髪を整え直すとうろちょろし、また鏡の前に戻ろうとしたところで、灯りの外から下男の声が掛かる。


「李益様、時間です」


「え、もう!?」


 主人が驚くのと同時に照明が全て点灯。

 キョロキョロする男の元に、ブースからやって来た照明が恭しく頭を下げる。


「この古寺曲に見慣れぬ風趣な出で立ち、李益様とお見受けしました。私は桂子、お嬢様にお仕えする者。お嬢様のところまでご案内いたします、どうぞこちらへ」


「あ、あ、どうも……どの辺なんですか」


 李益の問いに、桂子は彼の手を取り、膝を少し折ってみせた。


「はい、せーの!」


 掛け声とともに召使はジャンプ、つられて李益も飛ぶと照明変化。

 部長がころがしに種板たねいた――照明に模様を付ける為に穴を開けた板――が入った枠を取り付け、建物をイメージした四角いエッジの入った灯りができた。


 臨時で照明を操作し終えた音響=鮑がいそいそと李益の元にやってくる。


「あらまあ、李益さん! いきなり入ってくるなんて!」


「え、ええ!? こ、こっちだっていきなり……」


 李益は何か言いかけたが、鮑に笑い飛ばされ背中をバシバシ叩かれて閉口した。


「こっちこっち、この門の中ですよ!」


 と、彼女に背中を押し出されるまま舞台中央に行く。

 すると、周囲に居た部長と衣装が手を高く上げて組み合わせて門を作った。

 鮑と桂子はその門を狭そうにくぐり抜け、二人で李益を手招きする。


「えー、何か……通りにくっ」


 物怖じする男の元に、更にチカがヒラヒラ手を振りながらやってきた。


「バサバサ」


「あ、鸚鵡オウム


 チカ鸚鵡は右手を口元に当ててくちばしのようにし、千鳥足で李益の周りを歩く。

 やがて、足を止め、くちばしをカパっと開いた。


「誰カ来タ! 誰カ来タ! すだれ下ロセ!」


「ウワッ、喋った!」


 原作に出てきたから出したけど、チカの演技がマヌケで面白い以上の意味無いんだよな、ここ。


「誰カ来タ! 誰……ん? おー」


 甲高くご機嫌な鸚鵡は李益に追い払われそうになる間際、ふと左手の台本に目を落とす。

 猛烈にイヤな予感。

 鸚鵡は笑みを強め、叫ぶ。


「……『演出ハ前ノ公演デ書キ割リ壊シタノ黙ッテル』!」


 畜生、やっぱりか!


「書キ割リッテイウノハ舞台用語デ、大キイ木ノ板ニ背景トカ書イタヤツノコトヤネ!」


 解説すんな!


 劇は中断、室内の全員の視線が再び僕に集中する。

 僕は目を閉じてストップ・モーション。

 落ち着け、考えろ。


 想像通り、やはり暴露は複数あった。下手人はおそらく複数名の台本に暴露を仕込んでいる。芝居が続けば続くほど暴露が続くに違いない。


 目蓋を開け、部員達の様子を窺うと、全員不安げな表情(チカを除いて)。

 当然だ。もう既に公演はメチャクチャになっている。暴露は無視すればいい、というわけでもない。何しろ暴露の内容は僕達に関すること、無視なんてできるはずないのだ。台本を渡されたのも本番直前だから、いつ暴露が来るか仕込んだ本人以外誰にもわからない。


 ……ここはみんなを安心させなきゃ。

 チョークを手に取り、黒板に向かう。



※デマです



 そして、自信に満ちた笑顔をみんなに見せた。

 部員達はお互いの顔を見合わせ、代表して部長が手を上げる。


「いや、あれは私もお前だと思ってたけど」


 僕は演出助手を睨みながら板書した。



はやく 門を くぐれ



「う、うわ~ここが屋敷か~」


 李益は露骨に首を反らせて屋敷を見上げてみせる。

 他の役者達も配置に戻り、衣装もまた咄嗟に自分の役に入った。


「ようこそ、李益様」


 漢服の袖の長さを思わせる冗長な動作で頭を下げる彼女の名は、浄持。


「私が小玉の母でございます。本日はよくぞ娘の為に、このようなところまで」


「あ、いえいえ」


 李益もペコペコ平伏し、自分より頭半個背の高い浄持を見つめる。

 母親は台本をチラリと見てから、しっかりと男と見返し、長い睫毛を瞬かせて男に語り出した。


「以前から李益様のお噂はよく聞いておりました。今、その典雅なお姿をこの目にして、その噂は間違いなかったと感服しました。私には娘が一人います。教育は足りていませんが、見目は悪くありません。貴方のような立派の方の側に置いてくださったら、こんなに素晴らしい二人はいないでしょう。鮑さんからご意向は十分伺っておりますので、今からでもお仕えさせます」


 李益は感激、跪いてお礼を述べる。


「私のようなつまらない者に目を掛けていただき望外の喜びでございます。もし娘さんをくださるのでしたら、死んでも光栄に思います!」


 浄持は満足げに頷いてその場に坐すると、照明のエリア外にいる照明(人間)の方を見た。


「桂子、もてなしの準備をなさい。それから小玉を呼んできて」


「はい! お嬢様、どうぞこちらへ」


 エリア内に入った桂子は膝を付き、部長に手で入るよう示す。

 彼女は台本を扇のようにして顔を隠したまま、楚々とした歩みで母親の元に行った。母の側に座ると、台本を下げ、上品な白い顔を男に見せる。


 李益はポカンと口を少し開けた。閉じるとポツリ、モノローグ。


「まるで部屋の中で瓊林けいりん玉樹ぎょくじゅぎょくでできた林が互いに照り輝いてるようだ……」


 女たちは口元を抑えてケラケラ笑い、母親が娘に向き直った。


「お前がいつも愛誦あいしょうしている『開簾風動竹すだれをひらけばかぜたけをうごかす 疑是故人来うたがうらくはこれこじんきたるか』というのはこの方の詩なのよ。日がな詠って懸想し続けるのと実際にその目で見ると、どっちが良かったかしら?」


 小玉は長い髪を揺らして、ふわりと微笑んでそっと答える。


「お顔を見るのも巷に轟く評判には及ばないわ。それに才能のある方なら美男に決まってるのだし」


 そう言われて、のぼせ上った李益は立ち上がってお辞儀を何度もし、胸を張って口を開いた。


「お嬢様は才を重んじ、私は美を重んずるわけです。私たちが一緒になれば才色が一つになることになります!」


 前途に満ちた若者特有の傲慢にも思えるプロポーズに母娘は顔を見合わせて微笑む。


「李益様、わたくしも」


 女は清楚に粛々と返事を待つ男を見上げ、返事した。


「わたくしも『演出はみんなから徴収した部費で呪術じゅじゅつ廻戦かいせんの新刊買ってた』ですの!」




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