新入生歓迎公演『霍小玉伝』

しのびかに黒髪の子の泣く音きこゆる

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「本日は諏方よりかた高校こうこう演劇部・新入生歓迎公演、蒋防しょうぼうせんかく小玉しょうぎょくでん』にご来場いただき、誠にありがとうございます。開演に先立ちまして、お客様にお願いがございます。上演中の飲食はご遠慮ください。携帯電話・アラーム付腕時計などは他のお客様のご迷惑となりますので、必ず電源をお切りください。また、許可のない写真撮影・録音・録画等は固くお断りいたします。皆様のご理解・ご協力をよろしくお願いいたします。それではまもなく開演となります。最後までごゆっくりお楽しみください」


 かげアナを終えた部長はふわりと微笑み、愛らしく一礼した。

 普段とは大違いの様子に笑いを噛み殺す。


 その姿を見届けたぼくは、地歴ちれき公民こうみん教室きょうしつの蛍光灯を消した。

 黒板側の舞台に戻りながら、教壇きょうだんを組んで作った客席をそっと見やる。

 今回の観客は十三人、その内一年生は八人。

 大入りだ。


 客入れのBGMが煽られ、舞台上の灯りがフェードアウトしていく。


 暗がりに覆われゆく一年生らの横顔。

 その表情の陰影から読み取れる不安や戸惑いに満足する。


 これから喜怒哀楽に染めてやるのだ。

 抱き締めて頬ずりしてやりたいぐらいいとおしい。


 僕は舞台のバミリの位置に付く。


 完全に暗くなる前に今度は舞台を見回す。

 部員達も観客と似たような表情だ、きっと僕も。



 暗転あんてん

 BGMが急速にアウト。


 静寂。


 芝居しばいが始まる。







 カッカッ!


 照明がともるなり、僕はチョークを黒板に打ち鳴らしていた。

 合わせて2000Wワットの凄烈な光を浴びつつ口を開く。


「どうもこんにちは。今日は新歓公演。一年生向けなので、劇をしながらウチの部活の紹介も兼ねて行こうと思っています。だから、こんな感じにしてみました」


 こんな感じ、と自分のジャージの裾を掴んで見せた。

 黒地に白いライン、アディダスのロゴ、背中には『諏方よりかた』。


 他の六人の部員も同じく上下部ジャーだ。

 そして全員傍らに台本を携えている。


「まあ稽古中の姿そのまま。舞台もただの教室に、大道具は机と椅子が二つずつあるだけです」


 しかも、その椅子や机には部員が四人、座ったりもたれたりとダラけていた。


「こんなんでいいのか、そう思われるかもしれません。いいんです。演劇というと浮世うきよばなれした衣装や、大仰なセットを思い浮かべる人も多いでしょうが、こんな風にシンプルな方がかえって想像を掻き立てることもあります」


 僕がポンと手を合わせると、それが部員達へのキューきっかけ

 机に座っていた一人が机の上に上り、他の三人は距離を取って見守る。


 上った一人――部長――は額に右手の甲を当て、天井を見上げる。


「ここはどこだろう。彼女は我々より高いところにいる。しかし、実際には地下。深い竪穴の底かもしれない」


 フッ、と部長の脳天の電球だけを残し照明がアウト。

 電球は教室の端から端に渡したワイヤーに吊ってある。針金と黒の不織布ふしょくふで作ったシェードが被せてあって、床と机に一メートルほどの丸い光のエッジを刻みつけた。


「核戦争で世界は荒廃し、生き残った者は地下に潜んだ」


 白熱球の黄色い狭い灯りの下、最後の人類は唇をめ、涼やかな目を細める。


「今、地上を見つめる彼女は何を思っているのだろう。もう戻れない汚染された大地だろうか。それともかつての美しかった故郷だろうか」


 その台詞から一秒でキュー、他の照明が点いた。


「もしくは、ここは机より更に高いところ、雑居ビルの屋上かもしれない」


 部員の一人が床に置かれた照明――『ころがし』と呼ばれる――のレンズの前に、めちゃくちゃに色を組み合わせたゼラ――照明の色を変える透き通ったフィルターのこと――を付けた枠をかざす。


 教室が緑やピンク、赤、ネオンのように猥雑にいろどられ、舞台の左右の端にあるスピーカーから車や雑踏、女の呼び込みの音が流れ出す。


「夜の繁華街、塾の後。彼女は裏口から一人忍び込み、階段を上った。扉には鍵が掛かけられていない。風がコウコウと吹いている」


 客席に対し横向きの部長は、左手の台本を丸めて握り、その腕を後ろ側に回す。

 台本は彼女の腰元辺りで水平に。僅かな揺れも無くピタリと固定された。


くろがねの手すりを片手で掴んで、思いっきり前に乗り出し、もう一方の手を空に遊ばせた。風がコウコウと髪を撫ぜる」


 背中まで伸びた黒髪は、実際には微動だにしていない。

 だが、彼女の所作は屋上で儚げに揺れる人間そのもの。

 肩は振り子のように落ち着かず、爪先はわなわな震え、しかも、手すりに見立てた台本はカッチリ動かない。

 観客達の目はあやうげな彼女に釘付け。きっと疑うことなく流れる黒髪を脳内で勝手に補っているだろう。


 そういうことができる奴なのだ、あいつは。


「あたしは――」


 色の薄い唇からか細く、しかしよく聞こえる低い声が響く。

 病んだ、しかし喜びに満ちた声。


 グラ、と体が傾く。


「こんなところにいなくてもいいの――」


 そして彼女はビルから解き放たれた。


 暗転。


 落下のSEサウンド・エフェクト



 音の後、三秒かけて明転めいてん

 役者たちはまた机と椅子でボケッとしている。



「ま、こんな感じ。劇は我々舞台側の努力と、貴方達観客側の想像力とで作るもの。今日は観る側にも色々知って考えてもらいたいし、できればその次はこちら側に回って欲しいと思います。その為に……」


 僕はおもむろに舞台の片端かたはじおく、機材に埋もれた部員二名の方を指し示す。


「特別に舞台側に照明・音響ブースを作ってみました。どうか役者だけじゃなくスタッフの活躍も見てください。そんなわけで舞台上にいるこの七人でうちは全員。みんな女子だが別に男子も熱烈ねつれつ歓迎かんげい。まあ詳しい自己紹介は後日にして、今は役名か部での役職だけ覚えてください」


 一呼吸、演技っぽく手を胸に当てた。


「ということで、僕は三年の演出です。劇を作る時のまとめ役だと思ってください。面白くしたい、感動させたいと、今日までみんなで頭を捻って作ってきました。その日々を全て見てきた人間です。だからきっとこの劇を見れば、貴方にも高校演劇が何なのかわかると確信しています」



 これでまえ口上こうじょうも後少し。

 僕が長く息を吐いている間に役者達が次の場面を準備し始めた。

 と言っても、机と椅子を動かすぐらいで、その後はもそもそと台本に目を落としている。


「さ、そろそろ劇を始めましょう。今日のお話は『かく小玉しょうぎょくでん』」


 黒板にタイトルを書く。


「知らない人も多いでしょうが、千年前の中国で書かれた恋愛小説です。若い男女が出会って、恋に落ちる。永遠とわの愛を誓い合うが、男が裏切り、女は狂い死ぬ。たたりで男も若干狂う、完。 ……? なんでオチまで話しちゃうんですかって顔ですね。考えてもみてください、我々演劇部員はオチまで知ってる状態で一月ひとつき二月ふたつきも練習し続けるんですよ? もう飽き飽きなんです。少しは同じ気持ちになって欲しい」


 客席から少し笑い声。

 いいぞ、笑いの沸点ふってんが低い客がいると役者も喜ぶ。


「それに名作とは飽きたって面白いもの。原作が良いんだから、芝居しばいだって良いはずでしょう。なあ君達!」


 アドリブで発破ハッパを掛けると、苦笑が返ってきた。

 ……大丈夫か、こいつら?


 不安に思いつつも、僕は両手を高らかに掲げる。


「稽古する時、役者やスタッフに出だしがわかるような合図が必要になります。声を出して、手を叩いて。これを我々は『キュー出し』と呼びます。キューってのはアルファベットのQじゃなくて三文字、CUEシー・ユー・イーと書く。なぜかは不明、とにかくきっかけってこと。キューは劇の段取りにも使われる用語です。場転ばてん……場面転換のキューはここで、この役者の動作が照明の変化のキューで、その二秒後に音楽のキューだ、みたいに。演劇はキューでできています。この台詞もキューです」


 役者達に急に真剣さが出て、すっと役に入り込んだ。

 これで場転が終わり、僕は両手を振りかぶる。



「じゃ、行きます。よーい、はい!」




 パン!





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