9 ケンカするほど?


 休日、午後になってからうちにゆたかがやってきた。

 約束などはしておらず、『くるるー、きたよー』という電話だけをくれて、彼女はすでに家の前にスタンバイしていたのだった。

 まあ、昔から割とよくあることだから驚きなどはしないが。


 玄関の戸を開けると、私服姿のゆたかが私を見上げてにこりと微笑んだ。


「やっほー。来ちゃったー」

「来ちゃったかあ」


「うん、くるるに会いたくて、ついね。大丈夫だった?」

「あら、会いたかったなら仕方ないねえ。ほら、入りな」


 そんなふわふわした会話をしつつ、ゆたかを家に招じ入れる。

 戸を閉めて顔を上げると、右手奥のドアの影からくららちゃんが顔を覗かせていた。

 ゆたかもそれに気がついた様子で、なぜかバンザイの格好をする。


 ……威嚇かな?


「くらら、おじゃまするよ」


 にこやかなゆたかとは対照的に、くららちゃんは口をへの字に曲げて眉根を寄せた。


「こんにちは。……割と本当に邪魔なので帰ってください」


 こらこら、しょっぱなからとばすんじゃないよ、この子はまったく。

 すると、ゆたかもゆたかで、右手を口元に添えて挑発的な表情を向けた。


「あれー、くららそんな態度とるんだ」

「うっ……すみませんでした」


 くららちゃんが謝って、後ろ暗そうに目を逸らせる。


 おっ、なんだなんだ、なんだか新しい展開だなあ。私の知らないところで一体ふたりで何をやっているんだ。

 もしかしてお姉ちゃんは仲間外れ? 寂しい、お姉ちゃん寂しいよ。


 くららちゃんがスッと身を引いて、音を立てずにドアを閉めた。

 ゆたかが拳を握りしめ、天を仰ぐ。


「ふっ、悪は去った」


 ゆたかがそう言った瞬間、ガチャリと勢いよくドアが開き、またくららちゃんが姿を現した。


「……ごゆっくり」


 そしてまた、引き返す。

 得意気に胸を張るゆたか。


「ふふふー、どんなもんだい」

「何なんだ一体……」




 

 絨毯に寝転んで、私の太ももを枕にするゆたかが、


「くるるとくららって、普段家ではどんな感じなの?」


 と尋ねてきた。

 少し考えを巡らせて、口を開く。


「うーん……相変わらず塩対応の冷たい義妹だよ」


 まあ、ある時間を除いては、だけれども。


「ふーん……私も早くくるると家族になりたい」

「早くって、そんな確定した未来みたいに言われましても」


 ゆたかは昔から、しきりにこんなことを言う。

 幼い頃から、私と家族になりたいと言い続けている。

 

 若干の間があって、ゆたかが身体を起こした。

 座ったまま、私に向き合って両手を広げた。


「ぎゅーする」

「うん、おいで」


 膝立ちになって抱きついてくるゆたかを受け止める。

 この小さな身体はいつになっても私の腕の中だなあ。甘えん坊で愛らしいこと。


 首に巻き付いたゆたかが、耳元に口を寄せ、「くるる」と甘えた声音で囁いた。


「くるるはゆたかを愛してる。くるるはゆたかを愛してる。くるるはゆたかを愛してる」

「催眠かな?」

「その通りだけど」

「えー、やめてよ」


 笑いまじりに言うと、ゆたかは私の側頭部にすりすりと頬擦りをした。


 とその時、部屋のドアがノックされた。

 今うちにいるのは私とゆたかを除いてはくららちゃんだけだ。

 ゆたかを腕に抱えたまま、「はーい」と返事をする。


 ドアを開けて姿を見せたくららちゃんが、あからさまにムッとした表情を浮かべた。


「へー、やはりお楽しみ中でしたか」

「私はくるると一緒の時間ならいつでも楽しいけど。ねー、くるるもそうだよね。ゆたかラブだもんねー」


 ゆたかが身体を揺らして、全身で私の反応を求めてくる。


「えっうん、まあ、そうね」


 私が答えると、くららちゃんは胸やけでもしたかのように顔をしかめた。


「そういうことじゃないです。本当ゆたかさんはおこちゃまなんですから」

「くららちゃん、ちょっと来なさい」


 ボヤくくららちゃんに私が手招きをすると、パッと顔を輝かせ、小走りで駆け寄ってきた。

 

「な、なんですか姉さん。姉さんから私をお部屋の中に呼んでくれるなんて」

「そこに座りなさい」


 私に抱きつくゆたかの背後を指差して言うと、実に素直に「はい」と返事をして指示に従った。

 ゆたかが怪訝にくららちゃんを振り返る。

 そんなゆたかの背中を優しくポンポンと叩き、


「ゆたか、少し離れて」


 と言うと、不思議そうに小首をかしげながらおずおずと身体を離した。

 その瞬間、くららちゃんが瞳を煌かせて両手を組み合わせた。


「ももももしかして私の番ですか?」


 ゆたかが大慌てで立ち上がり、くららちゃんに詰め寄る。


「そんなわけあるはずないけど!」

「ゆたかさんには聞いてません」

「くるるにぎゅーしていいのはゆたかだけなの!」

「そんなのゆたかさんが決めることじゃないですー」

「決めることなんだけど! くるるはゆたかのものなんだけど!」

「姉さんはわたっ……誰のものでもないですけど」

「“けど”はゆたかのなんだけど!」


「あーあー、やかましいやかましい。もうほら、丁度いいからあなたたちふたりで抱き合いなさい」


 私の言葉に、一瞬で場の空気が凍った。

 え、何よこの空気は。こころが凍えそうだわ。


「嫌です、どうしてゆたかさんとそんなこと」

「それはゆたかのセリフなんだけど! くるるもどうしちゃったの! 私がくららとぎゅーしても平気なの?」


「いやあ、あなたたち似た者同士だし、仲良しだし、いいかなー、って。あと個人的にちょっと見てみたい」


「別に仲良くないけど!」

「そうです、もっと言ってやってくださいゆたかさん」


 ゆたかに追従して、くららちゃんが何度も首を縦に振る。


「おや、私がアウェーかな? 結託してやっぱり仲良しじゃん」


 ゆたかが不満気に口で「うぬぬぬ」と唸り、くららちゃんは澄まし顔で腰を上げた。

 

「では私はこの辺で失礼しますね」

「何しに来たんだよーもー、出てけ!」

「何しにって、おふたりの甘々オーラを感じ取ったので少しばかりお邪魔をしに」

「出てけ!」


 んー、今日も喧嘩して仲良しだなあ。いいことだ。


 しかしアレだ、本気でふたりが抱き合うところを見たかったなあ、なんて。

 半分冗談ですよ、半分ね。

 

 



 ゆたかが帰ってすぐ、くららちゃんが部屋にやってきた。


「姉さん、今日は早めに」

「そう、どうぞ」


 私に歩み寄って、さっそく胸元をクンクンと嗅ぎ始めるくららちゃん。

 これに慣れてしまっている自分が怖い。

 

「いつもよりもゆたかさんの匂いが濃いですね」

「あのあとずーっとしがみつかれてて大変だったんだから」


「私のせいですか? 姉さんがゆたかさんの気持ちに無神経だからいけないんですよ。きっとその反動ですね」

「邪魔をしにきたとか言ってた口で何を言うか。というか、いつもゆたかの匂いついてる?」


「はい、学校帰りの姉さんは、割と」

「ふーん……ゆたかといい、あなたたち鼻が効くのね。犬かな?」


「天敵の匂いですから」

「あはは、前にゆたかもあなたのこと敵って言ってたわ」

「はあ、やだやだ、勘弁してくださいよ」


 文句を垂れながら、くららちゃんは私の肩に鼻を押し付けてくる。

 目を細めて、どこかうっとりとした表情をする。


 ……そこは今日ずっとゆたかが頭を乗せていたところなんだけどなあ。


「くららちゃんってさ、実はゆたかのこと」

「そんなわけないです」


 すごい反射速度だ。


「ま、嫌いではないですけどね」


 私の全身をむさぼるように嗅ぎながら、くららちゃんが言う。

 ダメだ、さっきの会話のせいでゆたかの匂いを探してるようにしか見えなくなってきた。


 そう思うとなんだかワクワクドキドキしますねえ。

 この高揚感は一体何なんだ。

 

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