第38話
もうあと一週間後に迫ってきたライブの後なら都合がつけられる。実のところこの一週間、ボクはあのスタジオに出来る限り顔を出してほしいと連絡が来ていた。作るだけ作った歌詞のタイトルを付け損ねているため、早急に決めなければならなかった。
とはいえ作詞さえ初めてのボクが、曲の顔とも言えるタイトルをすぐに決めることができず、やむなく曲を聞きながらなんとか決めなければならなかった。
あとボクが個人的にスタジオに行きたいとも思っていたのだ。いつの間にかあの大音量の空間が、ボクにとって居心地のいい場所になっていたのだ。
そんな訳でライブまでの時間、ボクは遊んでいる訳にはいかなかったのだ。そう断りを入れると二人は、主に葵がじゃあと日程まで取り付け、丁寧にLINEグループまで作り上げた。
窓の外はまだしとしとと雨が降り続けている。既にここに来てから二時間以上経っていて、時間の経過の速さに驚いた。外が雨模様じゃ時間間隔も狂ってしまうようだ。用事が終わってしまった手前、もうお邪魔することもないだろうと腰を上げた。
「あれ、小泉くんもう帰る~?」
「あぁ、そろそろお暇する」
「おいとまって、なに?」
「葵ちゃん、お暇って言うのはね」
凜がすかさず説明をしつつ荷物を持つ。
「凛も帰っちゃうのぉ? ま、しゃーないかぁ」
最後のポッキーをくわえると、葵も立ち上がって玄関まで見送ってくれた。帰り道大丈夫そう? と聞かれると、凜は大丈夫! と食い気味に答え、そ葵はやたらとにやけながらひらひらとボクらに手を振っていた。外へ出ると来た時よりも随分と小降りになった雨に迎え入れられ、濡れたアスファルトを歩く。
知らない町並みだけど、どこも同じような町並みなのだなと思うほど普遍的な町だった。だけどここが葵の住む街なのだ。
「ね、ねぇ、小泉くん」
「どうした」
「あ、えっとね? 課題、そう課題! 小泉くんはもう終わってる?」
「夏休み入ってすぐ終わったかな」
「そっか……。いや、葵ちゃんがね? 今度一緒にやろーって言ってて、よかったら一緒にどうかなって、思ったんだけど」
傘と傘が少しばかり触れる。その度に少しだけ距離を取るのに、それでも傘は時折ぶつかる。気が付けば駅についていて、改札をくぐった。
「終わってるボクが行っても邪魔なだけじゃないのか。」
「そんなことないよ! 小泉くんってほら、成績いいじゃない? だから例えば、教えてもらいながらやりたいなぁ、なんて……えへへ」
「中の下くらいだぞ、ボクは」
成績表は常に普遍的だし、何なら凛の方が成績はいい方だったはずだ。クラス順位だってボクより上でかなり上位のはずだ。
「だって現国と古文、いっつも満点近いじゃない? 私古文ダメなんだよね、あはは」
「そうなのか。でもまあ、手伝えることなら。ライブ終わってからにはなるだろうけど」
電車が入ってくるのと同時に腰を下ろす。行き道はスペースを空けて座れるほど余裕だったのに、町へ行く方面の車線になったからだろうか、ちらほらとしか座席に空きがなかった。
「あ、あそこ空いてるよ。行こ」
座席に座ると、個人的に連絡してもいい? と控えめに聞く凜に、何か用事があればいつでも、と答えると、さっき葵が組んだグループからボクを連絡先に追加していた。
そんな様子を眺めていると、凜はすぐにスマホをカバンの中に仕舞いこんだ。窓の向こう、流れる景色が葵と凜の話を思い出させる。凛は好きな人がいると言っていた。同じクラスの誰かに。
「なあ」
「ん? どうしたの?」
「恋って、どういう感覚なんだ?」
通過駅を発車し、ボクらの地元の駅が次の停車駅とアナウンスが流れる。まっすぐ外を眺め続ける。窓ガラスにボクらの姿が薄っすらと写っている。どちらも視線は窓の向こう側だった。
そうしてあれほど早かった景色の流れはもう停車寸前のタイミングで、凜は視線を逸らさないまま口を開いた。
「世界にたった一人だけいるその人を見つけられて、ずっと一緒にいたいなぁって思うのが恋なんだと思うよ」
完全に停車して扉が開かれる。二人して立ち上がり、改札を抜けてロータリーを抜けるまで、それに対する返答は出せなかった。雨ざらしの広場を横切ると、凜はこちらをのぞき込んでいた。
「きっと世界中を探してもそういう人と出会えるかわからないから、その人とこれから先ずっと一緒だったらいいなって思うんだよ」
「そういう、ものなのか」
「そういうものだよ」
最近の集会所になりつつあるファミレスの前で、葵は涼やかにまたね、と手を振ってボクの帰路とは逆方向へと帰っていった。
ヘッドフォンをかけ、道すがら歩く。耳元をくすぐるのは、最近もらったデモ音源だった。まだ歌詞がついていない、友紀のハミングで構成されている音源。
この曲についた歌詞はボクが最初に筆を走らせたものになった。あれはボクの気持ちそのものだった。
外へ飛び出せば
そこに広がるのは彩られた世界
その世界にあるのは無数の可能性
溢れる音 そこら中に散りばめられて
喧騒に飲み込まれる
繋がった世界
ハミングが歌詞へ変換される。自分の生きている世界にいる、たった一人。
もうボクは自覚せざるを得なかった。
興味のないふりをしながら、本当は渇望してやまなかった普通の生活。友人がいて、それなりに外へ出て、他人の視線を気にしないでいい世界。
よく間延びする声。すらりと伸びる手足。欠かさないメイク。弾ける笑顔。煌めく涙。全部すぐに思い出せる。
それらを思い出すたびに締め付けられるのに、それは幸福感としかいいようのない感情がボクを包む。それはつまり、つまり……―――。
灰色の世界を鮮やかにあの涙と笑顔で彩っていった葵に、恋を抱いた。
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