第17話
「まあさ、他人の恋愛なんて大したもんでもねえよ。ごく普通、ありきたり。そんなもんっ」
ボクの心を見透かしたようにそう話す倫太郎は、またライターをかちりと鳴らした。コロコロとシャーペンを転がしながら、ボクは倫太郎がエスパーかと思いながらも何を話せばいいのか迷っていた。
「要するに、この話を大恋愛と取るか、ありふれてるもんって取るかはダウン次第ってこったな」
「まあ、そうだけど」
「俺も仕事柄他人の恋愛事情はよく耳にするけど、やっぱりダウンと同じこと思うぜ? そりゃそうじゃん。だって他人なんだから」
他人だからわからない。他人だから共感できない。ボクには経験がないから余計にその気持ちがわからない。
なら葵の話を聞いても、同じなのだろうか。倫太郎の話を聞いて思ったように、葵の話もこんなものかと、思うのだろうか。
あの日カラオケで聞いた話は、ほぼ話半分でほぼ覚えていないが、ボクはあの時そう思っていたのだろうか。
「ダウン、お前はこれから嫌ってほど人と関わることになる。それはこれから社会に出ていくからだ。だからこそ、ダウンは今いいチャンスの中にいる。友達だろうが彼女だろうが好きに作って幸せになっちゃえよ。彼女が出来たら教えて欲しいけどな」
「あり得ないかもしれないが、まあ頭に入れておいてやらんことも……ないな」
「んだよ、どっちだよー。っと、そろそろ俺も動き出さねえと。じゃ、またな!」
「長い時間ありがとう。また連絡する」
切れた通話画面の代わりに待ち受けと時計が映し出された。時刻は既に十七時を回っていた。やれやれ、これだから夏休みというのは時間感覚が狂って困る。
乱雑に書かれたノートのストーリーを新しいページへ綺麗に清書していく。その作業を終えて、もう一度曲を聞いてみても、辞典を引いてみても、やっぱりぴったりと浮かぶ言葉は浮かんでは来なかった。
倫太郎の話がつまらなかったとか、参考にならなかったと言えば嘘になるが、それでもやっぱり実体験じゃないこの話をどう持っていけばいいかわからなかった。
携帯をもう一度開いてみると、葵からの返信が一件来ていた。
四日の集合は十四時ジャスト。その日は一日予定が空いているから始まる前でも終わった後でもいい、だそうだ。
しかもその日は自分の知り合いにPVの助っ人を頼んでいるから、クラスメイトの仲の良い友達を連れてくるそうだ。
ここ数日ですっかりボクの『なるべく人と関わらない』というスタンスが打ち砕かれている気がする。そもそもそのクラスメイトって、誰だ? 葵の友達なら、一軍の誰かだろうか。
まだ人と話すことにさほど慣れていないボクにとって、初めて話す相手がいるとなると、まだ少し緊張の念が消えてくれない。別の日にずらすことも一つの手だろうが、そうなると提示されている日にちに間に合うか微妙だろうか。
ボクに足りない決定的なもの。それは経験。人と違う目を持ち、父親を憎むということで自分を肯定しつつ、でもそんな自分が嫌いだから周りを妬んで僻んで、誰とも関わらないようにしてきた。
今もこの眼鏡がなくなったらうまく話せるかどうかもわからない。葵と面と向かってご飯を食べたり、ピエロのメンバーと話している時ですら、ボクの心臓は破裂しそうなほど波打っていた。
だからこそ初めて話す、それも徹底的に避けていた同学年の人物が加わるとなると、約束を取り付けるのは恐怖でしかなかった。
LINEを凝視し、そしてノートに目を移す。そして零れたため息。
うんうんと唸っていても始まらない。一旦葵との約束を考えるのは後回しにして、今は目の前の課題をこなすことを考えればいい。最悪葵からは倫太郎のように電話で話を聞けばいいのだから。
まずは何を主題とするかを決めることからだ。一くくりに恋愛と言ってもそこから再分割化できるだろう。片思い、両想い、結婚、失恋……。ピエロはどちらかと言えば片思いや失恋系が多いが、そこを主軸とすると歌詞が被るリスクもある。
スマホで作詞の基本を調べよう。今思えばボクは基本のきの字も知らないのだ。ノートに走り書きしていく。
たくさんのページを開いてはメモし、検索ワードを変えて別のページに飛び、そんな作業を続け、とある作詞家のブログを流し読みしていると、ある一文に目が留まった。
『大切なのは作詞者が何を言いたいか。言いたいことを言うこと』
言いたいこと?
ボクの言いたいことって、なんだ?
自分の生まれが憎い。ボクだけが違うこの世界が忌々しい。
だけど今の状況はどうだ?
ボクを友達だと呼ぶ葵。半ば友紀の強引でだったけど関りの出来たピエロ。今まで増えなかったLINEの友だち欄には未だかつてないほどの人数表記。
ボクは結局のところ、楽しいと思っているんじゃないのか?
裏切られるかもしれない。また馬鹿にされるかもしれない。それでもボクは成り行きとはいえ友達が増えたこともまた事実だ。
友紀の言葉を承諾し、柄にもなく他人の恋愛話なんか聞いて、ノートに必死にメモをして。そして夢にも思っていなかった作詞という挑戦に、ボクはちゃんと楽しいと感じていた。
あぁ、それなら恋愛話なんてどうでもいいじゃないか。言いたいことを言うことが大切なことなら、恋愛に固執する必要も本当はないのではないだろうか。
恐る恐る思いつく限りの詞を書きはじめると、思ったよりも筆が乗っていく。ノートを埋め尽くしていく言葉は、インストのメロディにリンクして、たくさんの言葉が溢れて止まらない。さっきまで何も出てこなかった自分が嘘みたいだ。
これがピエロの世界観に合うかどうかなどわからない。なんならきっと合わない。まるきり恋愛要素など含まれていないのだから。
けれどボクなりに出した結論は、この歌詞だった。
殴り書きされたものをルーズリーフに清書し、軽く伸びをした。もう夕焼けがやけに眩しい時間だった。ノートを閉じる前に汚くメモされた倫太郎の恋愛談を見て、ボクは何の気なしに新しいルーズリーフを一枚取り出して詩を書き始めた。
空想の恋愛話だ。倫太郎の恋愛話が主軸の失恋系。そこらへんにある比喩表現なんかでは、倫太郎に失礼だろう。ボクの知る綺麗な言葉で、倫太郎の幸せを祈るようにシャーペンを走らせる。
そうして一番部分が完成されたものの、どこかしっくりとは来なかった。このまま捨ててしまおうかとも思ったが、人の恋愛話を捨てることに少しばかり気が引けて、そのままノートに挟み込んだ。
閉じたノートをしばらく眺め、ようやく葵に返信をした。
『なら撮影前に会おう。十二時に前のファミレスで』
返信はOKのスタンプ一つだった。そのスタンプは可愛らしい猫のスタンプで、名前を自由に設定できるらしい。あおい、とひらがなで猫の下段に書かれていた。
今まで買ったこともないスタンプショップを覗き、いくつかいいなと思ったスタンプを購入するか少しだけ悩んで、決済ボタンを押さずにスマホをロックした。
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