雨の国のアリス

comyou

プロローグ

黒馬のゆりかご

 目が覚めたとき、少女は馬に乗っていました。

 艶のある真っ黒な毛並の馬は、静かに蹄を鳴らしています。

――ほんもののお馬さんって、すごくゆれるんだなぁ。

 寝起きのぼんやりとした頭で、少女はそんなことを考えました。

「起きたか?」

 少女の背後から、低い声が聞こえます。少女が後ろを向くと、真っ黒なマントをまとった男が手綱をにぎっていました。

 無愛想で少し怖い雰囲気ですが、男の眼は透きとおった青色で、少女は思わず手を伸ばしたくなります。

「わっ」

「……座ってろ」

 バランスを崩しかけた少女を、男の腕が支えます。よくよく見ると周りは雨が降っていて、男は少女が濡れないようにマントで守ってくれていました。

「ねぇ、どこにいくの?」

 男は答えません。辺りは霧雨で白く煙り、木々の下を歩いている、ということくらいしかわかりませんでした。

「わたし、なんだかおかしいの」

「なにが?」

「だって、なにも思い出せないの。名前も、なにもかも」

「……いいさ、覚えていなくても」

「どうして?」

「なんだって、いつかは忘れる。それはどうしようもないことだ」

「……でも、なんだか悲しいよ」

 少女は自分が着ているワンピースの裾をにぎります。とても綺麗で、可愛くて、大好きな服だった気がしますが、それを見ても心は晴れません。

「……忘れることが、自然だとして」

 男の声は、やはりぶっきらぼうです。しかし、少女には不思議と心地好く響きました。

「思い出そうとすることも、また自然なことだ」

「でも、なにもわからないもん」

「ちょうど、おあつらえ向きの話がある。旅もまだまだ長いしな」

 雨の音も、馬の揺れも、男の声も、すべてが優しくて、少女はどこか夢見心地です。

「どんなお話?」

「お前と同じ、忘れたものを巡る話さ」

 雨と土草の匂いが、少女の胸を満たします。

「これは、雨の国の物語――」

 二人を乗せた黒馬は、霧に紛れていきました。

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