第2話 賢者は転生しました

 神々のもとで修業した後、俺は前世の死後百年経った世界に無事転生した。


「ちゃんと魔王こと厄災の獣の復活に全盛期が重なるように調節しておきますからね!」

 そういって、女神がどや顔していたのは覚えている。


 ウィル・ヴォルムス。それが俺の新しい名前だ。

 前世のエデルファス・ヴォルムスの遠縁の子孫らしい。


 俺が前世の記憶を思い出したのは、つい先日、八歳の誕生日のことだった。

 あまり幼い脳に前世の記憶を詰め込むのはよくないらしい。

 そんなことを、あの女神が言っていたと記憶している。


 それ自体はいい。八歳からでも身体と魔力を鍛えるのに遅いということはない。

 厄災の獣の復活時に、全盛期に持っていくことは可能だろう。


 神々との修行で、俺の潜在能力は限界突破している。

 加えて地上における身体と魔力の効率的な訓練法も神々から教えてもらった。

 今から訓練すれば、前世の力を超えることはそう難しくないだろう。


 いまの俺は神々の弟子であり、使徒らしい。

「神々の使徒として立派なふるまいをするのですよ!」

 とか女神が言っていた気もする。


 そして今、神々の使徒である俺は王都にあるヴォルムス本家の広い屋敷に雑巾をかけていた。

「掃除しながら訓練もすればいいか……」

「なに、とろとろしてんだ! ただ飯食らいが!」


 俺は背中を思い切り蹴飛ばされた。

 真面目に掃除をしているにもかかわらず、ただ飯ぐらいとは心外だ。

 犯人はヴォルムス本家の次男、十二歳のバカ息子だ。

 殴り返してもいいのだが、可愛い妹が俺の見てないところでいじめられたら可哀そうだ。

 だから、適当に謝っておく。処世術というやつだ。俺が腹を立てる価値すらない。


「あ、すみません。すぐ終わらせますんで」

「ふん! どうして父上はこんな役立たずを引き取ったんだ!」


 俺に跡取りの座を脅かされるのを恐れているのかもしれない。

 まったくもって杞憂である。

 記憶が戻る前からこの十二歳児のことをなぜか怖いと思わなかった。

 記憶がなくとも、魂が前世と俺の能力を覚えていたのかもしれない。


 俺は悪ガキを無視して雑巾がけに戻る。さっさと終わらせて妹と遊んでやりたい。

 俺の反応がつまらなかったのか、バカ息子は悪態をつきながら去っていく。


「ままならないものだなぁ」


 二年前、優しかった両親が事故で亡くなった。

 同時に俺は幼い妹サリアと一緒にヴォルムス本家に引き取られたのだ。

 それからは満足な食事も与えられず、子供の割に過酷な労働を課せられていた。

 食事に関しては自分でも確保してもいるので、妹も俺も飢えてはいないからいいのだが。


 記憶を取り戻した今となっては逃げてもいいのだが、可愛くて幼い妹を置いてはいけない。

 それにヴォルムス家は大貴族だ。楯突くと社会的にいろいろ面倒なことがある。


「俺には子供はいなかったはずなんだがな……」

 従弟の系譜が本家となって大層偉くなり大貴族として威張っているらしい。


「この調子だと、あの弟子たちもクズに……、いやあいつらはしっかりしているはずだ」


 信じているぞ。俺は心の中で記憶の中の可愛い弟子たちを思い浮かべる。

 どうやら、俺の弟子、四人はまだ生きているそうだ。

 ただの人族だった俺も百二十歳まで生きたのだ。

 百年前に二十歳前後だった弟子たちが今も生存していても何の不思議はない。


 弟子たち四人で賢人会議というのを構成し、救世機関という組織を指揮しているらしい。

 王や教皇すらしのぐ権力と権威を持ち、厄災の獣の復活に備えているのだという。


 俺には厄災の獣は消滅したと弟子たちは言った。

 おそらく、死ぬ間際の師匠に真実を言えなかったのだろう。


 そんなことを考えながら、手を動かしていく。

 並みの使用人より丁寧で速い雑巾がけだと我ながら思う。

 意外と掃除自体は嫌いではないのだ。きれいになっていくのは気持ちがいい。

 それに掃除しながらでも身体と魔力を鍛えることは充分出来る。


 訓練と掃除に熱中していると、俺の八歳の小さな身体に誰かが躓いた。

 躓いたというより、わざとあたりに来たといった感じの動きだった。


「痛ってえな、おい!」

「あ、すみません」


 俺に躓いたのはヴォルムス本家の長男、十五歳のガキだ。

 ヴォルムス本家のやつらは才能もなければ性格も悪い。どうしようもない。


「どこみて掃除してんだ、このクソガキが!」

「すみません」

 悪いのは向こうだと思うが、適当に謝っておく。処世術というやつだ。


「なんだ、その反抗的な目は!」


 ――ガシ

 理不尽に殴られた。痛くはない。

 戦闘魔術で名をなしたヴォルムス家の者なら少しは鍛えるべきだと思う。


「ご気分を害したのなら申し訳ありません」

「なにさかしらぶってるんだよ!」

 なぜか激高して俺のことをボコボコ殴り始めた。めそめそ泣かないのがむかつくのだろう。


 十五歳にもなって八歳の子供を本気で殴るとは。大人げないにもほどがある。


「お、おやめください。ウィルさまが死んでしまいます!」


 家臣の一人が慌てて止めに入った。

 俺はヴォルムスの家名を持つので、家臣の中にはさま付けしてくれる者が少なからずいる。


 正直、まったくダメージは入っていない。だが十五歳が本気で八歳児を殴っているのだ。

 はたから見れば命にかかわるように見えるのだろう。


「はあ? こいつに『さま』をつけるな!」

「申し訳ありません」


 俺をかばったせいで、優しい家臣が叱られてしまった。将来恩返ししようと思う。

 家臣たちにはいい奴が多い。俺や妹にこっそりご飯を分けてくれたりする。

 ヴォルムス本家のクズどもが見ていないときは、仕事を手伝ってもくれるのだ。


「ちっ! 胸糞悪いぜ!」

 そういって雑巾用の水が入ったバケツを蹴っ飛ばしてひっくり返した。

 汚れた水が周囲に広がる。せっかく俺が掃除したというのに腹立たしい。


「さっさと綺麗にしろ!」

「……了解しました」

「チッ! むかつくガキだ! さっさと死ね!」


 そう言って最後にもう一発、俺の頬をこぶしで殴って去っていった。

 もちろん俺はダメージを受けたようなふりをして、大げさに吹っ飛んで床に転がっておく。

 上手に魔力で頬をガードして、身体をギリギリのタイミングで後ろにそらすのだ。

 手ごたえがなさすぎると、ばれてしまう。

 ばれないようにするには、繊細な魔力と身体の動きが必要になる。訓練にちょうどいい。


 十五歳児が立ち去ると、家臣たちが駆け寄ってきて言う。


「ウィルさま、大丈夫ですか? お怪我の治療をいたしましょう。こちらに……」

「いえ、怪我はしていないので大丈夫です」

「まさか、そんなわけ……」

 そう言って家臣たちは俺の身体を調べ始める。そして本当に怪我がないことに驚いた。


「あれほど殴られたのに……。一体どうなっているのですか?」

「えっと、……父に体術を習っていましたので」

「なるほど、さすがはクルジアさまとマリアさまのお子さまですね」


 クルジアは俺の父、マリアは母だ。


「クルジアさまは体術も魔法も凄腕でしたからね」

「マリアさまも素晴らしい体術の使い手でした」


 そう言って家臣たちはうんうんとうなずいている。どうやら納得してくれたようだ。

 それぐらい、俺の両親の体術を家臣たちは信用していたのだろう。


 その間に、ほかの家臣たちが十五歳児がぶちまけた汚水を掃除し始めていた。


「あ、後始末は俺がやりますよ、皆さんにもお仕事があるでしょう?」

 俺がこぼれた水を綺麗にしようと雑巾を手に取ると

「ここは我らにお任せください。御曹司たちはどこかに行きましたから」

 そう言って家臣たちが優しく微笑んだ。


 戦闘魔術で名をなしたヴォルムスの家臣たちは、全員ひとかどの武人たちだ。

 その誇り高い彼らが、本来の仕事でもないのに床にはいつくばって汚水を雑巾で拭き始める。

 申し訳ない気持ちになる。


「そんな、俺がやりますよ」

「いいですから、いいですから。ウィルさまはこっちで休んでいてください」

「いえ、ですが……」

「子供に労働させるってのは健全じゃないですから、お休みください」

 そんなことを言いながら、家臣の一人がやや強引に俺を休憩室へと連れていく。


 休憩室には、三歳の可愛い妹サリアとペットの犬ルンルン、それに数人の家臣がいた。

「あにちゃ!」

 サリアは大喜びでルンルンの背に乗って近寄ってくる。ルンルンの尻尾もゆっくり揺れていた。


「サリアいい子にしてた?」

「してた!」


 どうやらサリアは家臣たちとルンルンに遊んでもらっていたようだ。

 俺はサリアをルンルンの背から抱き上げる。サリアは栗色の髪を俺の胸にくしくしと押し付ける。

 甘えているのだろう。俺はサリアの柔らかい髪をやさしく撫でた。


「ルンルンは、いつもいい子だな」

「わふ」

 嬉しそうに尻尾を振る。

 ルンルンは銀毛のとても大きな犬だ。体高が俺より大きいぐらいだ。

 歳は八歳。俺が生まれた日、その屋敷の庭に迷い込んでいた子犬だ。

 ちなみにいまだに成長している。謎な犬だ。餌も自分で採ってくる。

 俺たちに採った鳥や小動物をよく分けてくれるほどに、狩りがうまい。


 御曹司たちは何度も捨てようとしたが、いつの間にか戻ってくるのであきらめたようだ。


 最近、昼間はルンルンにサリアの護衛をしてもらっている。

 おかげで御曹司たちもサリアをいじめることは出来ないでいるので非常に助かる。


 ルンルンを撫でていたわった後、俺は家臣たちに頭を下げた。


「サリアのこと、いつも面倒見てくださってありがとうございます」

「なんもなんも! クルジアさまとマリアさまのお子様ですからね」


 そして、家臣たちは遠い目をして語り始める。

「クルジアさまは、それはもうご立派なお方で……」

「ああ、身分の低いものにも分け隔てなく接してくれました。本当によくできた方でした」

「魔法の才能もずば抜けていましたよ」

「私たちもよく指導していただきました」


 俺やサリアに家臣たちが同情的なのは、父のおかげらしい。


「本当なら、クルジアさまがこの家を――」

「やめなさい!」


 家臣の一人が口を滑らせかけて、年長の家臣に慌てて止められていた。

 俺は聞かなかったことにする。


 だが、俺は何を口を滑らせかけたか、すでに知っている。

 様々な世間話を総合すれば、事情を把握するのは難しくない。


 伯父と、父クルジアのどちらが当主になるかもめたらしい。

 最終的に妻の実家の力で現当主が勝ち、父は辺境に飛ばされた。

 そして、魔物の大発生から領民を守るために死んだのだ。


 ヴォルムス家の後継者問題に、俺の前世の弟子たちは口を出さなかったのだろうか。

 そもそも、弟子たちは一体今どういう状況なのだろう。会ってみたい。


 だから、俺は家臣に雑談の途中で尋ねてみた。


「賢人会議の方々には、どうやったら会えますか?」

「さあ……我々下々の者たちにはどうすればいいのか、想像もつきません」

「おそらく御当主さまでも、容易くは会えないと思いますよ」

 御当主様というのは、ヴォルムス家の現当主、俺の伯父で十五歳児たちの父のことだ。


「勇者の学院に入って優秀な成績を修めれば、救世機関に入れますしその時に会えると思います」

「勇者の学院?」

「次代の勇者を見出して育成するための学校ですよ。賢人会議のみなさまが作られたのです」


 俺の弟子たちが作ったということは、魔王である厄災の獣対策の一つだろう。

 弟子たちはまじめにしっかりと働いているようだ。何よりなことだ。


 俺は家臣たちに学院について詳しく話を聞いてみた。彼らも武人だけあって詳しいようだ。


 勇者の学院に入るには、非常に難しい入試を突破せねばならないそうだ。

 その代わり学費はかからず、在学中の生活費も支給されるという。


「生活費もいただけるのですか?」

「はい。ペットの持ち込みも可ですし、家族も数人なら一緒に寮に住めますよ」

 それならば、サリアとルンルンと一緒に暮らすことも出来そうだ。


 そして勇者の学院の試験に落ちても、成績次第で別の学校に入学できるのだという。


「別の学校というと、どのようなものが?」

「賢者の学院とか騎士の学院とかですね」


 前世の常識では、賢者の学院も騎士の学院もスーパーエリートの行くところだった。

 ちなみに前世の俺も賢者の学院出身である。


 その賢者の学院が滑り止め扱いされるほどの難関ということだろう。


「クルジアさまのお子様であるウィルさまなら、勇者の学院でも余裕ですよ!」

 家臣たちは期待に満ちた目でこちらを見てくる。


「余裕かどうかはさておき、入学試験は受けてみようと思います」

 俺がそう言うと、家臣たちはとても嬉しそうにうなずいた。

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