第38話 存在意義

 壬生寺


 *慎一郎 side*


 翌日。

 久しぶりに、午前中の見廻りから戻った明仁さんと、いつもの場所へとやって来ている。

 小鳥の爽やかなさえずりに包まれるなか、境内裏に辿り着いて間もなく、明仁さんは枡屋さんの元を訪れた時の事を淡々と話し始めた。

 枡屋さんが、池田屋事件の発端とならないように事を進めてくれているとしても、もう二度と以前のような関係には戻れないという現実に、自然と寂しさが込み上げて来る。

 それでも、枡屋さんの命を救う事が出来て、枡屋さんを支持する人達や、京香さんを傷つけずに済むのならと、半ば無理矢理納得させていた。

「それと、もう一つ。千頭屋って知ってるだろ」

 と、明仁さんは周りを見回しながら言った。

「呉服屋さんでしたっけ? 四条通りにある」

「ああ」

 丁度、僕が沖田さんに付き添っていた頃、見廻り中だった明仁さんは、偶然、見知らぬ女性を引きつれた枡屋さんが、『千頭屋』へと入っていくのを見かけたらしい。その後、当たり障りのない程度に千頭屋を調べた結果、以前より枡屋さんと関わりがあり、一緒にいた女性はそこの一人娘であることが判明したのだという。

枡屋あいつは、やっぱナンパ野郎だったってことだな」

 と、不敵に微笑いかけてくる明仁さんに、僕は呆れ顔を返す。

「きっと、あんさんには言われとうないって、言うだろうな。枡屋さんがここにいたら」

「……どういう意味だ」

「そういう意味ですけど」

 今度は苦虫を噛み潰したような顔で、腕組みしながら明後日の方向を見遣る明仁さんが面白くて、声を出して笑ってしまう。

 器用で知識人である枡屋さんを、周りの女性が放っておかないはず。けれど、何か腑に落ちないとでもいうか、それが何なのかは分からないけれど、心にもやもやとしたものを感じていた。

「そんなことより、俺に話したいことってのは?」

「あ、それなんですけど……」

 促されて、今度は僕が沖田さんと病院へ行った時のことを話し始める。すると、明仁さんは本殿の手摺りに背を預けながら、こちらに厳かな視線を向けた。

「それで?」

「沖田さんは、僕に風邪だと診断されたって言ってたけれど、なんていうか、どこか空元気のように思えたんですよね」

「疑ってるわけか」

「……はい」

「なら、直接昨日の病院へ行って確認してくればいい」

「それも考えたんですけど……」

 僕は沖田さんの言葉を信じたいと思った。だけど、もしも沖田さんが重病だとしたら、無理をして悪化させた結果、死期を早めることになってしまうに違いない。

 そんなことを考えながら俯いた。その時、不意に頭上に温もりを感じて顔を上げた。

「しょうがねぇから、俺も付き合ってやる」

 それは明仁さんの大きな手の平だった。一瞬で、すぐにまた腕組みをする明仁さんの、普段とは違う対応に少し戸惑いながらも、僕は素直に頷いた。

総司あいつは新選組にとって無くてはならない男だからな。こればかりは、はっきりとさせた方がいい」

「……だよなぁ。やっぱり」



 その後、僕は明仁さんと一緒に昨日の病院を訪ねた。

 待合室に明仁さんを残し、僕が診察がてら、漢方医である小野田鉄心先生に尋ねた結果、沖田さんの本当の病名を知ることとなったのだった。

 門前、改めて人気の無いことを確認した明仁さんの、真剣な眼差しと目が合う。

「やっぱり、史実通りだったということか」

「最初、労咳ろうがいって言われてピンと来なかったんだけど……」

 労咳が現代でいうところの肺結核であることは、さっきの医者からの説明を受けた時点で理解していた。

 けれど、認めたくないという想いのほうが強くて、伝える言葉もどこか緊張を伴ってしまう。逆に、担当医から沖田さんの様子を尋ねられ、始めはどう返答すべきか考えあぐねてしまった。

「もう、喀血かっけつしているそうです」

「……そうか」

 ゆっくりと歩き出す明仁さんに送れないよう、自分もそれに合わせながら重たい足を進める。

「先生から、死なせたくなければ無理だけはさせないでくれ。と、強く念を押されてしまいました」

「と、言っても総司あいつには無理だろうけどな」

 明仁さんはほんの少しこちらを見ながら、薄らと悲しい微笑みを浮かべた。

 この時代では不治の病とされているけれど、現代では治せない病気ではない。今すぐ沖田さんを連れて現代へ戻ることが出来れば、助けられるかもしれない。ふと、そんな想いが頭を過ると同時に、本来の目的を思い出して深い溜息を零してしまう。

「それにしても、いつになったら現代へ戻れるんだろ……」

「いつだろうな」

 と、明仁さんは立ち止まり、傍を流れる小川を見つめた。

 空を厚く覆っていた灰色の雲間から差し込んでいる日差しによって、ゆっくりと流れる川のせせらぎが微かな音と共にきらきらと輝き始める。

 川辺のひんやりとした涼しさに、少しずつ汗が引いて行くのを感じた。

「仮に、今すぐ現代へ戻る方法が見つかったとしたらどうする」

 不意に尋ねられ、僕は以前のように “ 即行で現代へ戻る ” と、答えようとした。何故なら、それが当たり前だと思って来たからだ。でも、どういう訳か言葉を呑んでしまった。それだけ、僕にとっても新選組は特別な存在となっていたということだろうか。

 それでもやっぱり───

「本来あるべき時代へ戻らなければと思う」

 少し躊躇いながら答えると、明仁さんは軽く鼻で笑った。

「そう言うと思った」

 新選組隊士として生きた日々を振り返ってみれば、「無責任」という言葉が真っ先に浮かんできて、僕はそれ以上何も言い返せないまま、続く明仁さんの言葉に黙って耳を傾けた。

 史実も変えられるか分からないし、ここにいるはずのない自分達のせいで、とんでもない事件を引き寄せてしまう可能性もある。けれど、最期まで幕府の為に戦い抜くことになるだろう近藤さんたちを放って行くことは出来ない。人の生き死にを真剣に考えたり、自らの命の尊さを痛感したり、今までこんなにも心を揺さぶられたことはなかった。

「どうする事が一番なのかは分からないけれど、現代へ戻ることだけは絶対に諦めない」

 僕は、無言で頷く明仁さんに念を押した。



 間もなくして、突然の大雨に見舞われてしまった僕らは、一度路地裏に連なる民家の軒下へと避難した。

「ったく、なんだってんだ」

「通り雨だといいんだけどなぁ……」

 互いにぼやきながら肩などの雨雫を払っていると、女性が一人、袖を頭上にかざしたままこちらへ駆けこんで来るのを見とめる。

 綺麗な花びらが誂えられた薄桃色の着物姿で、軽く息を弾ませながら全身の雫を払っている女性に見覚えがあるような気がして、思わずじっと見つめてしまう。

 袖に隠されていたせいで分からなかったけれど、昨日病院ですれ違った京香さん似の女性だと気づくのにそう時間はかからなかった。

 明仁さんも、女性の動向を窺っている。その眼がこちらへと向けられ、あとは暗黙の了解である。きっと、明仁さんも目の前の女性が京香さんに似ていると思っているに違いない。

 こちらの視線を感じたのか、女性はまだ息を弾ませたまま、ため息混じりに言った。

「降られてしまいましたなぁ」

「え、あ……そうですね」

 慌てて返す僕に、女性は優しく微笑みながら帯の隙間から白い手拭いを取り出し、「これ、どうぞ」と、言ってこちらへ差し出した。

 勿論、受け取れないと丁重に断ったのだけれど、女性は満面の笑顔で半ば強引に手渡してくる。

「ええから、遠慮せんと使うて下さい。昨日、小野田先生のところでお会いした方どっしゃろ?」

「あ、はい……」

「どない病で行かはったんかは分からしまへんけど、雨に濡れてこじらせでもしたら、治るもんも治らへんようになるさかい」

 僕は手拭いを受け取りながらも、沖田さんに着き添っただけで、自分はどこも悪くはないのだということを丁寧に伝えるも、女性は、それでも夏風邪など引いたら大変だから。と、念を押すように言った。

「せやから、そちらのお侍さんと使うて下さい」

 聞けば、女性はあの病院の近所にある薬屋の一人娘だそうで、たまに薬を届けに病院を訪れているらしい。しかも、先日、四条通り付近で起こった捕り物の最中、偶然、僕と沖田さんの姿を目にしていたという。

「新選組、どっしゃろ?」

 不意に尋ねられ、僕は明仁さんと顔を見合わせた。次いで、すぐに頷いてみせると、女性はほんの少し顔を強張らせながら、遠慮がちに視線を泳がせ始める。

「安心して道を歩けるようになったんは、あんさんらのおかげやと、そう思うてます。ほんに、おおきに」

 そういって、可愛く微笑んだ。どうしてかは分からないけれど、僕はその笑顔に親しみを感じた。

 そして、自らを相原琴あいはらことと名乗る女性に、僕らも簡潔に自己紹介を済ませる。

 その後も、何となく会話が弾み、互いの国などの話をしているうちに、気が付けばすっかり雨も上がっていた。

 呉服屋へ新調していた着物を引き取りに行くところだったという琴さんと別れて間もなく、手にしたままの手拭いに気付く。

「これ、しっかり洗って返さないと……」

「しかし、特に目元が似ていたな。寺島に」

「そうなんですよね」

 明仁さんに昨日の出来事を話し、感じたままに心の中の声を伝える。と、不意に明仁さんは眉を顰めた。

「さっきの子、薬屋の娘だって言ってたよな」

「それがどうかしたんですか?」

 厳かな眼はそのままに、今度は何かを考えるかのように腕組みをする。

 はっきりとは思い出せないらしいのだけれど、新選組ファンの親戚から沖田総司にも憧れの女性がいたという話を聞いたことがあったという。

「で、その時、確か医者か薬屋の娘だって言ってた気がするんだよな」

「じゃあ、もしかしたら……」

 おもむろに顔を上げる僕に、明仁さんは琴さんが去って行った方を見遣りいった。

「あの娘ってこともあり得る」

 誰かが作ったフィクションかもしれない。でも、もしもそれが真実なら、二人はどのようにして互いを想い合うようになるのだろう。

「今の時点で、沖田さんの気持ちは京香さんにあるから……」

「もし、俺の聞いた史実が事実なら、付き合うはずだった二人の邪魔をしたことになるな」

 僕は力なく溜息を零した。

 それだけじゃなく、彼らの子孫にまで影響を及ぼすかもしれないと思うと、自分達の存在意義に躊躇いを抱かずにはいられない。

「これからどうすればいいんだ……」

 しばらくの沈黙の後、明仁さんは静かに口を開いた。

「今の俺達に出来ることっていえば、この戦乱の世を無事に生き残ること以外に無い」

 幕末時代ここにいる存在意義を見出すことが出来たら、現代へ戻る方法も自ずと分かるようになるのだろうか?

 僕は明仁さんに頷き返し、雲間から見える青空を見遣った。

 どんなに頑張っても覆せないことだらけで、心が折れそうになる。この現実から逃げ出すことも、しっかりと向き合うことも出来ないまま、僕らは、あの事件を迎えようとしていた。

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