第36話 守るべきもの

 大阪花街


 *明仁 side*


 あの後、宴会場ここへ来てからも、男同士の恋愛話は留まるところを知らず。例の四人で “ その手の話 ” は続いている。

「でよぉ、これは俺の勝手な推察なんだが、深雪太夫の妹である御考太夫も、近藤さんのことを狙ってたんじゃねぇかと思うんだよな」

 左之は空のお猪口を手にしながら、両隣にいる俺達だけに聞こえるような声で呟いた。

 近藤勇が深雪太夫を妾として囲ったという史実は知っていた。が、深雪太夫に妹がいて、しかもその妹までもが太夫として存在していたという話は初耳だった。

 左之の一言に、慎一郎も驚愕した様子で目を見開いている。

「だからよぉ、一波乱あるんじゃねーかと睨んでるんだが」

 言いながら、左之は手酌で酒を注ぐと、少し離れた上座にいる近藤さんをちらりと見遣った。続いて、一気に酒を飲み干し、助六寿司をつまんで口に頬張る。

「そんなの、初耳でした」

 総司も、同様に近藤さんの方を見遣った。

「ま、あくまで俺の見解だが、病弱な深雪太夫を選ぶくらいだ。よほど惚れてんに違いねぇ」

「左之助さんの見解は当てになるか分からないですけど、近藤さんらしいですね」

 と、少し澄ましたような顔で総司が言う。

 近藤さんたちの関係も気になるが、個人的には寺島をめぐっての三角関係の方が興味深い。左之曰く、慎一郎も総司も、恋愛に対し奥手過ぎることがネックとなっているというが、まったく同感だった。

「俺達も負けていられねーぜ。なぁ、総司」

 左之が隣で胡坐をかいていた総司の肩を抱き寄せる。と、総司はわざと女っぽくしなだれながら、大きく開いて見え隠れする左之の逞しい胸元に頬を擦り寄せた。

「左之助さまぁ」

「って、気色悪! 離れろ」

 言いながら、左之は尚もしがみついて来る総司から逃れようと抵抗を試みる。

 慎一郎も、卑猥ながら楽し気な二人につられ、声を出して笑っている。こんなふうに、慎一郎の無邪気な笑顔を目にするのはいつぶりだろう。

 悩み事は尽きないが、今夜は二日酔い覚悟で飲み明かそうと、俺は久しぶりにたがを外した。


 *

 *

 *


 旅籠屋


 *慎一郎 side*


 宿に戻ってからは、さすがにみんな疲れていたのか、風呂などを済ませた後は誰からともなく就寝していった。

 月明かりだけの薄暗くて静かな部屋。その中央に、二人ずつ隣り合わせに布団を並べ、頭部を向け合いながら横になっている。早くもそれぞれの寝息が聞こえてくるなか、僕だけが眠れずにいた。


(参ったな)


 疲れ過ぎて眠れないのか、さっきまで交わしていた男同士の恋愛話が原因なのかは分からないけれど、眠ろうとすればするほど目が冴えていき、これからのことを考えてしまう。

 隊士になったばかりの頃は、単純に、新選組と共に剣を振るえることが嬉しかった。でも、今は不安の方が大きい。


(これは、寝不足決定だな……)


 芹沢さんを殺めてしまってから、僕の中の何かが変わっていき、自分でも意識しないうちに人の死というものに慣れてしまったような気がする。そんな自分を批判する時もあれば、“ 仕方のないこと ” と、弁護している時もあった。

 そうしているうちに、どちらが本当の気持ちなのか分からなくなってしまい……。


(……ダメだ)


 気分転換にと、僕は掛布団の上に寝かせておいた羽織を肩からかけ、明仁さんたちを起こさないように部屋を後にした。

 すぐ近くにあるこじんまりとした庭前、縁側から見上げれば、星々が瞬く冬の夜空に綺麗な上弦の月が雲間から顔を出そうとしていた。

 仄かに紅く見える。ふわりとした白い息が闇へと消えていった。その時、「今夜も冷えるね」と、少し離れたところから沖田さんの声がして、僕は慌てて視線を向けた。

 起こしてしまったのかと思い問いかけると、沖田さんは、藍色っぽい羽織を肩に首を横に振る。

「私も眠れなくてね」

「沖田さんも……」

「好いた人に想いを伝えたいと思う反面、情を抱いている場合ではないのだと、そんなことばかり考えてしまってね……」

 沖田さんの心中を察した。次の瞬間、何故か幼い頃から耳にしていた父の言葉が頭をよぎった。

「僕も同じことを考えていました。でも、男は守るべきものがあると、より強くなれるらしいです」

「守るべきもの……」

「はい。これは父の受売りなんですけどね」

 言いながら、その意味をもう一度考えてみる。


 “ 自分の身は勿論、か弱い者を守る為に腕を磨いていけ。剣は決してお前を裏切らない ”


 剣の道を習いながら、男としての生き方をも教わって来たような気がする。


(そうだよな。そうなんだよな……)


 たとえ、何があっても、相手の気持ちが自分に向いていなくても、誰よりも強くなってその人を守ってあげればいい。と、素直に思える自分がいた。


(京香さんが誰を好きでも……)


「僕は……これからも、新選組隊士として、誰かの力になれたらと思います」

 そう告げてから、ゆっくりと視線を沖田さんに向けた。少し唖然としたような瞳と目が合う。次いで、沖田さんはいつものようにふっと柔和な微笑みを零し、「そうだね」と、呟いた。次いで、軽く咳込み始める沖田さんに部屋へ戻るよう促しながら、自分もくしゃみを連発して、互いに苦笑を漏らした。

 労咳。現代でいうところの結核が沖田さんの体を蝕み始めていたことに、この頃の僕はまだ気づいていなかった。というより、忘れていたと言ったほうが正しいだろうか。

 部屋へ戻ろうとした僕に、沖田さんは尚も咳込みながら言う。

「もう少しだけ、ここで月を眺めているよ」

「分かりました。無理をしないように」

「ああ」

 その病気のせいで、新選組は沖田総司という逸材を手放さなければならなくなるのだ。

 去り際、角を曲がろうとして再び沖田さんを見遣る。薄らとした月明かりに包まれながら佇む様は、とても美しく、どこか儚げだった。


 *

 *

 *


 元治元年二月九日

 寺田屋


 *京香 side*


 文久から元治へと年号が変わって間もなくのこと。いつもと変わりない日常を送るなか、懐かしいあの人を迎え入れた。

「龍馬さん!」

「久しぶりじゃのう!藍へ寄ったらここにおるゆうちょったき、人づてに何とか辿りついたがじゃ」

 明るく無邪気な笑顔はあの頃と全然変わらない。

 私は嬉しくて、すぐに部屋へと案内し、お茶菓子で持て成しながら、龍馬さんの話に耳を傾ける。

「いやぁ、参ったぜよ。まぁた脱藩せにゃならんようなってな……」

 龍馬さんは、両眉尻を下げながら小さく溜息をついた。

 どうやら、これまでにいろいろなことがあったようで、昨年十月に海軍操練所の塾頭となってからというもの、国元召喚(故郷へ帰ること)の延期が認められなかったが為に再脱藩を余儀なくされたり、『黒龍丸』の取り扱いについても嘆願書を提出しなければならなかったりと、相変わらず忙しない日々を送っていたらしい。

 他にも、黒龍丸という船についても尋ねたところ、ある計画の為に注文したのだという。

「話しちょらんかったか」

 そういうと、龍馬さんは足を組み直しながら満面の笑顔を浮かべた。

「いつになるか分からんけんど、京や摂津におる浪人どもを蝦夷地へ連れていこうと思うちゅう」

「蝦夷地?」

 一瞬、ぴんと来なかったのだけれど、蝦夷地というのが北海道のことだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

「おう、そん為に黒龍丸を手に入れたいがよ。けんど、それがまた難儀でのう……」

 今度は少し落ち込んだように瞳を曇らせる龍馬さんに、私は明るく微笑みかける。

「元気出して下さい! 龍馬さんなら絶対に出来ますから」

 そんな私に龍馬さんは一瞬、きょとんとするも、すぐに照れたように微笑んだ。

「ほうじゃな」

 その後も、龍馬さんたちの壮大な世直し計画を聞くことになったのだけれど、私が知り得る史実とは異なる部分もあった。私が先程の計画のことを知らなかったということは、何かが切っ掛けで失敗に終わるということだろうか。たとえば、龍馬さん自身か、同志の誰かがその切っ掛けを作ってしまうとか。そんなことを考えていた。その時、枡屋さんのことを問いかけられ、私は戸惑いながらも首を横に振った。

「私にも分からないんです……」

「ほうかぇ。いや、亀が連絡を取りたがっちょったき、京香ちゃんなら知っちゅうかと訪ねてみたが」

「亀って、望月亀弥太さんのことですか?」

 尋ねると、龍馬さんは大きく頷き、いつにない厳かな表情で言う。

「今京におったらいかんち、何度も言い聞かせちゅう。そんでも、なっかなか首を縦に振ってくれんがじゃ」

「どうして、京にいたらいけないと思うんですか?」

 再度尋ねる私に、龍馬さんは「過激な浪士やつらと熱心に付き合うちょるき」と、悲し気に視線を窓辺へと向けた。

「今の京は、いつ戦が起きてもおかしない」

「そう、なんですか……」

 知りながらも、私はそういって頷いてみせた。史実通りなら、望月さんも池田屋事件に巻き込まれることになっている。

あいつも頑固で融通が利かん男でな」

 望月さんのことを想い出しているのだろうか、ふっと瞳を細める龍馬さんの横顔は、少し愁いを帯びていた。

「それやき、もしも枡屋さんに会うようなことがあったら伝えてくれんかのう。わしが会いたがっちょったと」

「……はい」

「まだ京におるき、もういっぺん枡屋へも寄ってみるつもりじゃけんど」

 そういって、龍馬さんはまたニカッと笑って美味しそうにお茶を飲む。

「そろそろ戻らんといかんにゃあ……」

 言いながら、龍馬さんは背後に置いておいた二刀を片手にゆっくりと立ち上がった。そして、それらを腰元に携えながら、「また来るき」と、言って薄らと微笑んだ。

 玄関先、

「今度来る時は、泊まっていって下さいね」

 と、声を掛ける私に、

「おう、またおまんに土産話が出来るよう頑張るぜよぉ~」

 そう言って、龍馬さんは微笑んだまま踵を返した。

 去って行く龍馬さんと入れ替わるようにして、買い物から戻って来たお登勢さんを迎え入れる。

「ただいま。お客はんどしたか」

 お登勢さんは振り返ると、雑踏の中に紛れ始める龍馬さんを見遣り言った。

「はい。坂本龍馬さんと言って、とても素敵な人なんですよ」

「京香ちゃんのご友人?」

「と、言ってもいいのかな……」

 やっぱり恐れ多くて、躊躇いながら俯いてしまう。

「なんやの?」と、微笑むお登勢さんと一緒に中へと入り、新たに迎え入れたお客さまの接待をする。

 これから龍馬さんはどうするのだろう。本当のところ、新選組はどうなっていくのだろう。姿を消したままの枡屋さんは今、どこで誰と何をしているのだろう。

 池田屋事件まであと、四か月。お客さまを持て成しながらも、私は今もなお、同じ空の下で懸命に生きているであろう彼らに想いを馳せていた。

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