第20話 究極の選択

 文久三年八月十四日

 枡屋邸


 *京香 side*


 ふと、暑さで目を覚ますと、部屋はまだ薄暗かった。

 もう少し寝ていられると思いながらも、薄らとかいてしまった首元の汗を拭い、そっと障子を開ける。


(今はまだ涼しいけれど、今日も真夏日になりそうだなぁ)


 私は、明け始めた空を見上げ、吹いて来る涼しい風に身を任せた。

 明仁さんたちが京へと戻って来たのは、力士乱闘事件が起こってしまった二日後の夕刻だった。乱闘事件の詳しい日にちまでは定かではなかったものの、藍に足を運んでくれた慎一郎さんからその一部始終を聞いて、また史実通りだったことに鳥肌が立つ思いでいた。

 あの夜、虫の知らせとでもいうのだろうか。私が割れたお猪口を片付けていた丁度同じ頃、慎一郎さんも胸騒ぎがしていたそうで、芹沢さんの一太刀によって、明仁さんが負傷したと聞かされた時は、ただ愕然とするしかなかった。

 それでも、腕の傷が浅く大事に至らなかったことだけが不幸中の幸いであり、明仁さん曰く、自分達の知らないところでどんなハプニングに見舞われるか分からないことから、これからは、知り得る限りの史実だけを当てにするのは止めようという結論に至ったのだった。

 文久三年の夏といえば、『八月十八日の政変』が有名だ。新選組も御所を守ることになるのだけれど、一昨日起こってしまった “ 大和屋焼き討ち事件 ” の一件もあり、会津藩との間に出来ていた溝を更に深くしてしまったようだ。

 史実でも、この “ 大和屋焼き討ち事件 ” に関しては、芹沢さんが勝手に起こしたことだと伝えられている。でも、その晩の芹沢さんはやけに機嫌が良かったらしく、とても焼き討ちなどという大胆な行動に出るとは思っていなかったのだそうだ。

 それが油断へと繋がったのか、この事件に関しても、前もって防ぎたいと考えていたお二人の想いは、易々と裏切られた。

 そして、もう一つ。勢いづいている長州藩は、長州系の公卿や孝明天皇自らの言葉を得ようと秘かに計画していて、攘夷を決行しない幕府の政策は天皇の意思に反しているという大義名分を得る。と、同時に、それを理由にして幕府を一気に滅ぼそうとする。

 一方、薩摩藩と会津藩はこれを機に長州藩士は勿論のこと、長州に味方する攘夷派倒幕論者たちをも、京都から追い出してしまおうと目論む。確か、この時初めて薩摩と会津が協力し合ったのではないだろうか。手を組んで、天皇を味方につけようとする長州の無礼な行為を止めさせようとするのだ。

 結果、長州の戦略は呆気なく崩れさり、それに敗戦したことが切っ掛けとなったのかどうかは分からないけれど、翌年の夏には『禁門の変』が勃発してしまう。

 そのせいか、最近の枡屋さんは朝餉を取る間もなく出かけてゆき、遅くまで家を空けることが多くなっていた。きっと、毘沙門堂辺りに古高邸なる屋敷があって、集まった勤王志士たちと一緒に、ひたすら自分の道を信じて邁進しているに違いない。


(その前に、池田屋事件がある。)


 何よりも気になってしまうのは、沖田さんの健康面だ。

 現代でも、肺結核患者の咳などによって空気感染する病気だという知識はある。ただ、感染しても発症しない人もいるそうで、そのあたりの医学的見解に関しては未だに謎らしいが、発症したとしても、治せない病気では無くなっている。

 『沖田総司は労咳ではなかった?』という史実も見つけていたことから、私は勝手ながら

“ もう一つの可能性 ” というものに賭けていた。

 永倉さんが後世に残したとされる『新選組顛末記』には、池田屋に乗り込んだ際、沖田さんが吐血したとは記されていない。

 倒れた原因は暑さと緊張によるものか、あるいは、池田屋事件前に発症していたとされる労咳の発作が起こっただけなのか。私は、そのどれをも否定したいと思った。

 もしも、本当に沖田さんが労咳にかかってしまうとしたら、いつどこで誰から移されてしまったのだろう。遺伝という可能性も含めたとしても、どうしてこの時期だったのだろうか。

 そして、奇兵隊を結成したという高杉さんの活躍は、『吉田屋』の御主人から聞いていた。

 店を訪れる長州藩士から、高杉さんたちの活躍を聞くそうで、総督となった高杉さんの下で隊士たちは著しい働きを見せつけているという。

 その時、高杉さんからの手紙を受け取ったところまでは良かったものの、文面が難しすぎて解読できず。今更と、思いつつ恥を忍んで枡屋に読んで貰うことにした。結果、最後のほうの文面で、厳かに眉を顰めながら、言葉を濁していた枡屋さんが気になったのだけれど、どうやら高杉さんは、大活躍を遂げているらしい。

 御主人から高杉さんと友好のある長州藩士が訪れた際、本人に手渡して貰うことが可能な為、返事を書くのなら、いつでも引き受けるとも言って貰っていた。


(高杉さんも労咳に倒れてしまうんだよなぁ。沖田さんとほぼ同時期に。)


 現代に伝えられている史実の全てが真実だという証拠がない為、ただ漠然と “ こうなるはずだ ” としか考えられない。

 そもそも、本当に高杉さんも沖田さんも労咳が原因だったのだろうか?と、疑問に思うこともある。

 それに、明仁さん曰く、自分達が思い描いていたイメージとは異なった部分も多かったことから、どれだけ彼らが誇張されて伝えられたかが窺える。

 衝撃的だったのは、あの芹沢さんが為三郎くんらと、壬生寺へ行って遊んでいたことだった。何故なら、芹沢さんは子供でさえも寄せ付けないイメージが強かったから。その様子を目撃した慎一郎さんは、“ こんな優しい表情もするのか ” と、驚かされたらしい。

 そんな、壬生浪士組と勤王志士たちを支える中立の立場として共に過ごす中。私は、また運命の出逢いを果たすことになるのだった。



 夕刻。

 いつものように藍から戻った時のこと。自分の部屋へ戻ろうとして、湯呑を乗せたお盆を持ってこちらへやって来るお遥さんから、上京して来たという、中村隼人さんのことを聞いた。何やら、これから暫くの間ここに滞在することになったのだとか。

 それだけではよく分からなかったけれど、枡屋さんの部屋で、中村隼人さんらしき男性と対面することとなったのだった。

「お帰りやす」

 枡屋さんがいつもの笑顔で優しく微笑んでくれる。その傍ら、お遥さんが手早く枡屋さんと、中村さんであろう男性の前にお茶を置いていき、私に手招きをしながら言った。

「京香はん、こん人が中村隼人くんや。以後、仲良うしたってね」

「初めまして。半年くらい前からここでお世話になっている寺島京香と言います。あ、遅ればせながら、ご結婚おめでとうございます!」

 お遥さんの隣に腰を下ろし、そう伝えた。途端、三人の呆気に取られたような視線をいっぺんに受けとめた。

「あ、あの、何か不味いことでも言いました?」

って、どない意味どす?」

 お遥さんから尋ねられ、逆にこちらがぽかんとしてしまう。


(ま、まさか! この時代では、まだ『結婚』とは言ってなかったとか?!)


 私は、焦りながらも思い浮かぶ言葉を挙げてみた。

「えーと、その……しゅ、祝言っていうんだったかな?」

 他には言葉が浮かばなかった為、苦笑いしながらまた俯いていると、中村さんは「ありがとう。無事、所帯を持つことが出来ました」と、言って朗らかに笑った。

「もう一つ言うと、その場合は、『慶賀慶祝の至りにて、誠に喜ばしく存じ奉り候』と、言えば確実です」

「あ、そうなんですね。覚えておきます」


(中村さんって、しっかりしてそう……)


「ところで、晴乃さんは一緒じゃないんですか?」

 私が、中村さんに尋ねると、お遥さんが楽しげに口を開いた。

「あの子も元気でやっとるそうや。どうやら、赤子を授かったようでね」

「そういう訳で、今回は俺だけお邪魔することになりました」

 照れたように微笑う中村さんと、満面の笑顔のお遥さん。枡屋さんもそんな二人を見ながら薄らと微笑んでいる。

 中村さんは枡屋さんが言っていた通り、顔立ちがどこか慎一郎さんのように柔らかく、特に目元が凛々しいながらも、優しさを醸し出している。武士らしい袴姿に、程好い前髪を垂らし長い後ろ髪を一つに結っているのだけれど、それは、この時代の男性が作っている髪型とは少し違う気がした。

 と、その時。枡屋さんが静かに口を開いた。

「隼人はんには、土方はんらが居た部屋を使うて貰うことになったさかい、京香はん……」

「はい」

「すんまへんが、またよろしゅう頼みます」

「あ、はい! しょ、承知しました」

 一瞬、何のことか分からなくて戸惑ってしまったけれど、また部屋が狭くなるという意味であると理解した私は、慌てながら頷いた。

 次いで、これから出かけるという中村さんと、夕餉の支度の途中だったというお遥さんを見送り、私も手伝いに行こうと立ち上がろうとして枡屋さんに呼び止められる。

「京香はん」

「はい?」

「あんさんに一つ、確認しておきたい事があります」

「はい、何でしょう」

 今まで目にしたことのない程の深刻な視線とかち合う。


(確認したい事って、もしかして……)


 私は、どこかいつもと違う枡屋さんに戸惑いながらも、その想いを聞くこととなった。

「壬生浪士組が、会津藩と与したことを知った時からずっと、あんさんのことが気がかりどした」


(やっぱり、あのことだったか……)


 長い沈黙。

 ドキドキと高鳴る鼓動。

 ここは倒幕派が集う場所だし、長州の元締めである枡屋さんにとって、壬生浪士である明仁さんと慎一郎さんはもう、敵でしかないということも分かっている。

 理解しているけれど───

「あんさんも、土方はんらと同じ想いなんやとしたら、これ以上、引き留める訳にはいかへん思てな」

 枡屋さんの、伏し目がちな顔を横目に、私は思わず視線を泳がせた。

 これからの事を考えると、不安で堪らなくなる。それでも、明仁さんたちとの話し合いで、枡屋さんの運命を変えられるかもしれない。という、期待感は増すばかり。

 ふと、慎一郎さんの言葉を思い出す。


『……もしかしたら、時が来れば枡屋さんのことも……』

『いくら土方さんが説得しても、このまま枡屋さんが志を改めてくれなければ……池田屋事件を防ぐことは出来ない』

『そうなってしまったら、僕らは多分、枡屋に踏み込むことになるでしょう。その時、京香さんはどうしますか?』


 未来が明るいものだと、この時代の人達にも分かって貰えさえすれば、無益な争いなんて無くなるかもしれない。

 そう願っている反面、人の心を動かすことの難しさに直面して、今にもギブアップしそうになっていた。

 本音は、枡屋さんたちのことを見守りながら、壬生浪士組を応援して行きたい。

 行く当てのない私達を信頼し、快くここに迎え入れてくれた時のこと。熱を出して看病して貰った時のこと。私が注いだお酒を、美味しいと言ってくれた晩のこと。

 藍という素敵なお店と、お凛さんや由太郎さんを紹介してくれたのも。毛筆や難しい言葉の意味などを丁寧に教えてくれたのも枡屋さんだった。

 けれど、ここでの想い出と同じくらい、憧れの新選組隊士となった、慎一郎さんたちの事を思わずにはいられない。

 お店へ顔を出して下さった試衛館のメンバーからは、それぞれが出会った頃からのエピソードなんかも聞けたりして、とても楽しい日々を過ごして来た。


(もしも、私がここに残ることになったら……明仁さんや、慎一郎さんとも会えなくなる。と、いうことなんだよね。)


 究極の選択に、私は暫くの間沈黙した。

 そして、考えに考えた結果、私が出した答えは……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る