#2 幕末時代へ

第2話 まさかのタイムスリップ?!

 翌朝。

 ホテルの朝食を済ませ、晴れ渡る空を仰ぎながら近くにある光縁寺へと向かった。

 当時、門前には新選組の馬小屋があり、毎日のように隊士らが行き来していたそうで、住職である良誉上人りょうしょじょうにんは、同い年の山南敬助と交流を持っていたらしい。やがて、その仲は深まり、屯所内で切腹した隊士らの亡骸を弔って欲しいという山南敬助の想いを聞いていたという。

 自らも、このお寺に眠ることになるとは、きっと思っていなかっただろう。そんなふうに思いながら、門をくぐる。すると、30代後半くらいだろうか。すぐに作務衣姿の、住職らしき品の良い男性がお屋敷の奥から顔を出し、柔和に微笑みながら朝の挨拶をくれた。

「おはようさん」

「あ、おはようございます。受け付けはこちらでいいんでしょうか?」

「はい」

 笑顔で歩み寄って来てくれた男性に供養料を納め、奥にある墓地へ向かうと、すぐに数々の墓石が見えて来る。

「一番乗り、かな」

 新選組隊士の墓石は、入口付近から見て左奥に並んで建てられており、まず、一番初めに目に入ったのは山南敬助のものだった。ネットで見た通り、名前の部分がほんの少し剥離されているけれど、しっかりと読みとることが出来る。


(ここに、彼らが眠っているんだ……)


 その隣には、四番隊組長であり柔術師範も任されていた松原忠司や、八番隊組長を務めたとされる藤堂平助などの名が刻まれた墓石もあって、確か壬生浪士組の時から隊士だったかと、そんなことを思いながらゆっくりとその場にしゃがみ込み、手を合わせた。

 聞こえて来るのは、鳥の微かなさえずりと心地良い風の音だけ。ふと、どうしようもないほどの切なさを感じて、私は再度、周りに誰もいないことを確認し、改めて、彼らの墓石を見つめた。何故なら、涙が溢れそうになっていたからだった。

 私の知っている史実が正しければ、彼らはみんな、志半ばで自らの命を絶っているということになる。その無念な気持ちを想像した私の勝手な想いなのだけれど、何故か止め処なく流れる涙を堪え切れないでいた。



 その後、住職さんとお話してから沖田さんと土方さんの待つ、“ 旧武徳殿 ” という道場へ向かった。途中、迷いながら電車を乗り継いでいる間も、ずっと住職さんの話を思い出していた。

 説話の中で、戊辰戦争後の光縁寺は、新選組との縁が原因でいろいろと大変だったということ。

 戊辰戦争にも敗北してしまった新選組は、その後、間もなくして降伏した。解散後は、生き延びた島田魁しまだかい、土方歳三の小姓こしょうをしていたとされる市村鉄之助や、土方歳三亡き後、隊長を務めたとされる相馬主計そうまとのもら。そして、隊を抜けた永倉新八などが、近藤勇と土方歳三を想いながら過ごしたという。

 あと、もう一つ気になっていたのは、沖田総司縁者の墓石が建てられていたということだ。住職さんの話によると、明里あけさとのものではないかということだった。よく、ドラマなどで新選組を描く時に必ず出て来る明里という女郎のことは、新選組ファンならば誰もが知っている人物だろう。

 明里に関しては、いろんな説話があるけれど、その話が真実ならば、やっぱり素敵だと思わずにはいられない。


(次で降りないと)


 それにしても、乗り慣れない電車ほど不安なものはない。狭い日本で、西と東とではこうも違うものなのかと思うほど、乗車券売機から改札から別物に見えてしまう。

 地下鉄で移動した後は、バスを利用して「京都会館美術館前」まで行き、そこから徒歩三分くらいだということだったが、辿り着いた目的地を目前にして思わず目を疑った。

「す、すごい……」

 厳かな雰囲気に包まれた立派なお屋敷の前で、呆然と佇んだままの私の背後から、次々と体格の良い男性達が、荷物を抱えながら堂々と敷地内へと入ってゆく。


(なんか、緊張しちゃうなぁ)


 どこに行けば良いのかを聞き忘れていたことに、今更ながら後悔していた。その時、少し離れた縁側のような所で、こちらに手を振っている沖田さんを見つけ、安堵の息をこぼした。

「京香さーん、ここですよー!」

「お、おはようございますッ!」


(道着姿も似合ってる)


 沖田さんに駆け寄り、挨拶を交わすと、彼はにっこりと微笑みながら、私を控室へと案内してくれた。次いで、用意されていた紺色のジャージ胴着と、購入したばかりであろう未開封の白いシャツを受け取る。

「見学するだけじゃ勿体ない。是非、体験していって下さい」

「え、でも……」

「そちらの許可も貰っています」

「何から何まで、ありがとうございます」

 また、いえいえと言いながら照れたように微笑う沖田さんから、洋服は全て脱ぎ、シャツの上に胴着を着るよう促された。

「じゃ、着替え終わったら声を掛けて下さい」

 そう言うと、沖田さんは控え室を後にした。よく考えてみれば、稽古に参加するということは汗をかくということで、その為に、新品のシャツまで用意してくれていたことに感心し、感謝しながら着替えを始める。髪をヘアゴムで一つに結び、下着姿になってからシャツとジャージ胴着を身に着け、最後に袴を履いてみた。


(これでいいのかな?)


 何となく、着方が分からないままドアの向こうにいる沖田さんに声を掛け、改めて、着くずれを直して貰う。

「シャツ、ありがとうございました」

「いえ、お礼ならあとで土方さんに言ってあげて下さい」

「土方さんに?」

 意味が分からずに小首を傾げる私に、沖田さんはこれまでのことを簡潔に話してくれた。

 実は、許可を得る為に頭を下げてくれたのも、別れた後、女性もののシャツを買っておいてくれたのも全て土方さんだったそうで、私は感謝しながらも、第一印象とは全然違う好意に戸惑いを覚えた。

「今回許可されたのは、土方さんだからと、言っても過言ではありません」

「そう、だったんですね」

「ああ見えて、本当はとても面倒見の良い人なんです」

 嬉しそうな沖田さんの、柔和な視線と目が合う。

「それにしても、似合いますね」

「本当に……?」

「予想以上でした」

 鏡越し、背後から私に微笑んでいる沖田さんの、微かな吐息が肩に落ちる。何となく、至近距離だということに恥ずかしくなって肩を竦めながら振り返ると、沖田さんは、こちらへそっと手を差し出した。

「そこの段差で転ばないように」

「あ、ありがとうございます……」

 その手を取り、すぐに絡め取られる指先に仄かな熱を感じる。何故か、そんな行為も不自然では無くて、私はいろいろな意味で胸をドキドキさせながら、沖田さんの後に続いた。



 道場は、そこから少し離れた所にあった。道場内は、神社のような古めかしい飾り物もあって、これまた立派な体育館のような造りになっている。その中で、それぞれが同じ紺色の胴着を身に纏い、壁際で横一列に正座している姿を見とめて、何ともいえない緊張感でいっぱいになる。

「しばらくはここで見学していて下さい」

「分かりました」

 客席だろうか、道場の端にある畳の上に腰を下ろし、壁に設置された時計が11時になったのを確認して間もなく。それは、厳かに始まった。

 門人たちの目前、やって来た土方さんと沖田さんが肩を並べて腰を下ろすと、沖田さんから挨拶と今日の段取りの説明があった。

 門人たちと共に耳を傾けながらも、驚かされたのは土方さんだった。髪をオールバックにし、一点を見つめるその眼は切れ長で、品良く、どこか艶色っぽさを漂わせており、昨日とは別人のように見える。

「そして、皆さんご存知の通り。天然理心流は、近藤内蔵之助が創始した武術で、剣術、居合術、柔術、棒術、活法、気合術などを含む総合武術であり、実践向きであったことから、あの新選組を含め、様々な歴史上の人物たちもこの天然理心流を学んでいたようです」

 笑顔ばかりが印象に残っていた沖田さんの、真面目な表情にも唖然としながら、私は、いつの間にか手に汗を握るほど力が入っていたことに気づく。

 それからしばらくの間、沖田さんの話が続いた。

 ようやく、門人たちが面を被り、竹刀を手に再びお二人に向き直ると、沖田さんの掛け声と共に、いよいよ稽古が始まった。


(私まで緊張してきちゃった)


 少し痺れを感じて足を崩しながら、彼らの勇姿を見守る。姿勢良く竹刀を振り下ろす様はとても格好良くて、何より声を張り上げる沖田さんの、威厳ある指導ぶりにも驚かされた。男性しかいないからか、それとも、性別は関係なく普段からこういう感じなのか、語気鋭く遠慮のない言葉が飛び交う。

「剣先は動かさず、振りかぶりすぎない」

 ゲームの脚本にも書かれていたし、新選組の小説やドラマを観て、この流派はとても厳しいものだということなら知っていた。でも、実際に目にしてみると、私の想像以上だったことが窺える。

 見守ったまま、三十分程が過ぎた頃。沖田さんから竹刀を受け取り、私も彼らの邪魔にならないように端へ並んだ。

「まずは、正眼の構えから」

「せいがんの構え?」

「中段の構えという意味です。天然理心流では少し足をこう前後に開きます」

「こう、ですか?」

「そうです。京香さん姿勢が良いですね」

 教えの通りに型を真似て、竹刀の先を目前にいる沖田さんの喉元へ向けて構える。足を前後左右に開くことで、攻めにも守りにも転じられるようになるのだそうだ。

 続いて、上段の型と下段の型を教えて貰ったのだけれど、基礎中の基礎にも関わらずとても難しくて、改めて、プロの凄さを実感させられた。

「上段の構えは、相手に斬りかかる時などによく見られる型です。そして、下段の構えは、こうして片足を後ろへ引き、重心を中央よりやや後ろ気味にして十分に剣先を下げる。これは、逆に相手の出方を誘う時に使用します」

「……なるほどぉ」

「ここから後ろへも下がれるし、前進して相手の剣を跳ね上げたり胴を突くことも出来る」

 沖田さんの言っていることも、それに対しての動きも納得は出来るものの、自らが動こうとすると出来ない。歩く時、右手と右足が同時に動いてしまうような感じとでも言うか、ぎこちない動きに自分でも可笑おかしくて笑ってしまう。

「難しいなぁ……」

「初めてにしては筋がいい」

「本当ですか?」

「はい。稽古は厳しいですが、もしも続けたいと言うのならお付き合いしますよ」

 竹刀を脇に、今度は無邪気な笑顔を見せる沖田さんにまた微笑み返す。と、10分間の休憩を告げる土方さんの声が館内に響き渡った。



 その後も、稽古に参加させて貰いながら終始、楽しい時を過ごした。

 やがて、稽古を終えた門人達に労いの言葉を掛けている土方さんと沖田さんから少し離れた場所で、私はこれからのことを考えていた。

 この後、二度目の稽古を控えているお二人を誘うことは出来ないし、ここでお別れかと思って少し寂しく感じた。その時、「寺島」と、私の名を呼ぶ土方さんの声に顔を上げた。

「あ、はい!」

 竹刀を持ってすぐに駆け寄ると、こちらへと差し出された大きな手に、お借りしていた竹刀を預ける。

「これからどうするつもりだ」

「それを今、考えていたところでした。それよりも、見学のこともそうですが、シャツまで用意して下さってありがとうございました」

 私が俯きながら改めてお礼を言うと、土方さんは小さく咳込むようにして、沖田さんに呆れたような視線を向けた。

「お前……」

「本当のことですから」

「で、どうする」

 場内の時計を見る土方さんに、私は躊躇いながら答える。

「次も、見学させて貰うことって出来ますか?」

「勿論です。良いですよね? 土方さん」

 目を輝かせるようにして言う沖田さんの顔を間近にして、土方さんは少し身を引くようにして言い返す。

「お前、そんなに寺島を引き留めたいのか」

「いや、その……何て言うか……」

「図星だな」

 土方さんの一言に、今度は沖田さんが顔を引きつらせた。

 刹那、これまでにない程の雷鳴と強い揺れを感じて、私は思わず悲鳴を上げながら両手で耳を塞いだ。次の瞬間、不意に左腕を引かれ、気が付けば土方さんの襟元に頬が触れてしまうほど抱きしめられていた。

 躊躇っている余裕も無いほどの衝撃。近くに落ちたのかと思って、更に土方さんの胴着の襟元に顔を押し付けながら耐えていると、お二人の驚愕の声を聞いた。

 私のすぐ隣、片腕でその光を遮るようにしている沖田さんさえも、光の中にうずもれて見えてしまうほど。まるで、私達以外のものが全て消えて無くなってしまったかのような白の中で、その場に佇むことしか出来ずにいる。

 目映いばかりの閃光に包まれるなか、背後から守られるような気配を感じると同時に、土方さんから、これ以上近寄れないほど抱き竦められた。


(な、何? どうなってるのぉぉぉ?!)


 それから間もなく、背後で沖田さんの震えるような吐息を耳にして、ゆっくりと顔を上げてみる。


(ここは……)


 瞬時にして建物から何から変わってしまっていることに気づかされた。さっきまであった天井の照明器具も、壁に設置されていた丸時計も、何もかも揃った立派な道場にいたはずなのに、古民家のようなこの場所はかなり薄暗く、たまに冷たい風が吹き付ける度に、汗と血生臭い匂いが鼻を突き刺してゆく。

 背後から私を庇うようにしてくれていた沖田さんの温もりが離れてゆくのを感じて、私もしがみついていた土方さんから体を離した。

「ごめんなさい! 咄嗟に……」

「いや、俺の方こそ。勝手にすまなかった」

 そう私に言いながらも、土方さんの視線は周りに向けられたままで、彼らのその真剣な眼差しに、この状況が切羽詰まったものだということが窺える。

 次いで、庭を挟んだ向こうの縁側を同じような胴着姿の男性が歩き去るのを目にして、私達は愕然とした。

 何故なら、髷を結っていたからだった。

「今の人……」

 私が呟いてすぐ、沖田さんが「ちょっと、聞いて来ます」と、言ってその男性を追いかける。私は、すぐ傍にある縁側へと向かう土方さんと共に沖田さんを見守った。

 そうしながらも、何が何だか分からないこの状況に戸惑わずにはいられない。

「ここはどこなんでしょう。どうして、急にこんなところに……」

「さぁな」

 小さく息をつく土方さんもまた、不安を隠せない様子で沖田さん達を見つめている。

 やがて、戻って来た沖田さんの、真剣な眼差しに不安度は増してゆく。

「ここは、道場らしいのですが」

「それで?」

 言いよどむ沖田さんに、土方さんが続きを促すように尋ねると、沖田さんは、「時代が」と、言って顔を歪めた。

 髷を結った男性は、あれこれ尋ねて来る沖田さんを不思議そうに見ながらも、いくつかの質問に答えてくれたそうで、ここが京都であることや、剣道場であること。髷は本物であることなど。何よりも、文久三年の二月十九日であることに愕然としたという。

「文久って。しかも、三年というと、新選組が将軍警護の為に京都へやって来る年だったはず」

「京香さんは、本当に新選組が好きなんですね」

「うろ覚えなんですけどね」

 苦笑する私に、沖田さんは薄らと微笑んでくれる。でも、その隣で渋い顔をしている土方さんからは、呆れたような溜息が零れた。

「お前ら、それがどういう意味か解って言ってるのか?」

「解っていますよ。未だに信じられないけれど、さっきまで行き慣れた道場にいたのに、ほんの一瞬にして見知らぬ場所にやって来ていた。と、いうことは……しか考えられないでしょう?」

 そう言って、今度は困ったように微笑う沖田さんに、土方さんは片手で目元を覆うようにして項垂れた。

「……もういい。その先は言うな」

 そうなのです。

 どうやら、私達は新選組や坂本龍馬達が活躍するあの、激動の幕末時代へとタイムスリップしてしまったようなのです。

 どこかで、何か手の込んだ悪戯ドッキリなのではないかとか。夢を見ているのではないかという思いの方が先立っていたからか、この時の私はまだ、その実感がなかったのだけれど…

 まさか、自分が好きで読んでいたゲームの主人公と同じような境遇に陥るとは夢にも思わず。それでも、独りじゃないことにほっと胸を撫で下ろし、「とりあえず、和装で良かった」と、言う土方さんに頷いた。

 お財布もスマホも、何もかもを失ってしまったことに落胆しながらも、江戸時代ここでは何の役にも立たないものだと割り切り、私達は行く当てもないまま、身を寄せ合うようにして道場を後にしたのだった。

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