青いザリガニ

植草れもん

曇りのち雨

 明日から夏休みだというのに、突然なる保健委員の呼び出しに私は頭を抱えていた。相手の男子は来ていないし、内容だってほとんどが無駄話。一言で済むものを保健委員担当の沙原峰猿が長々と語っている。

沙原峰猿と言うのは普段は英語を教えるおじさん教師で、その名前と機械的な話し方から一部の男子にAI猿スピーカーだとか呼ばれている。要するにあまり好かれていない。

 

 朝から降り続けた雨はようやく止んできたものの空は薄暗い雲に覆われていて、まだ終わっていないぞと威嚇されているように感じる。窓の外を眺めながら頭の中で好きな五人組バンドの曲を流し続ける。七曲目に差し掛かったところでようやく話が終わり、委員長の素早い号令と共に解散となった。


 廊下を小走りで駆け抜ける。雨でやや湿った床にゴム製の上履きがキュッキュッと微かにハミングするも、廊下で筋トレをする運動部の掛け声にかき消されてしまう。湿った制服の独特の臭いと運動部の汗のにおい。雨の日の廊下はそこら中から飛び交い、臭いの大渋滞を起こしていた。

外は薄暗く淀んでいるのに対し灯りのついた校内は、どこか秘密基地のような感じがして私を特別な気分にさせる。


まだ朝と変わらず湿ったままのローファーにいやいや履き替え学校の外へと飛び出す。

扉の手前には何枚か雑巾が置かれている。大量の生徒の靴についた水摘でお腹いっぱいの様子だ。


 扉をくぐると生ぬるい風が襲ってきて、湿った土のにおいが雨の余韻を残している。空は途切れることなく灰色で、先程の雑巾のように絞れば大量の水が出てきそうな不安を呼ぶ色だ。


「蘭子、中山蘭子さん。」


長らく待たせることになってしまった中原希がなぜかさん付けで私の名を呼ぶ。


「ごめん遅くなった。いや担当が沙原先生で。」


別に咎められたわけでもないのに蘭子は咄嗟に言い訳をしてしまう。


「沙原って、ああAIハゲ猿スピーカー。」


「え、いつの間にハゲ。」


「最近髪が薄くなってきたからって。誰かが新しく付け足して呼んでた。」


「ああ、確かに薄くなった気はしなくもないけど。」


「でもさ、代り映えなくない? ハゲって付け足しただけじゃん。もうちょっとあるでしょ。」


例えば? と私が聞くと希はちょっと待ってと考え込んだ。


私と希はその名字から新しいクラスで席が前後だったこともあり、すぐに仲良くなった。好きなアーティストが同じで二人とも歳の離れた姉を持っており、治りかけの右手小指の骨折まで一緒となると運命を感じずにはいられない。これまであまり気の合う友達が出来なかった蘭子にとって、希はとても嬉しい存在だった。話すのが苦手な私に対し、希は昨日の晩ご飯の話とか、さっき横を通ったおじさんのホクロの位置がどうとか何でもないことでも延々と話すような子で、話題がないなどと言うことがなかった。それが蘭子にとっては非常に楽で、お互い興味のないことには干渉しない。その踏み込みすぎない関係性も心地よく感じていた。


しかし最近は、周りを見ずに思いがけない行動をするその自由奔放さに困り果ててしまう時がある。希は興味が無いものにはとことん干渉しないが、興味があるものには首だけでなく手首足首と突っ込んでいくタイプなのだ。


希はあーでもないこうでもないとうなり続け、そこまで真剣に考えるものなのかとある意味感心してしまう。


 近所の公園に差し掛かる。うちの学校の男子生徒の制服が見え、誰だろうかと少し様子を伺う。何気なく覗いたものの予想外の人物に蘭子は声を上げた。


「あれ同じ委員の小寺くんだ。」


あそこにいるということはなるほど、彼は委員会をサボり呑気に公園で遊んでいたということだ。


うなり続けていた希があだ名のことはすっぱりあきらめこちらに注目してきたので、蘭子は委員会に来ていなかった小寺君がいま公園にいるのだという説明をする。軽く予想通りではあったものの希は私の手を引き、


「乗り込んで詳細を聞こうじゃないの。」


と言ってくるもんだから蘭子は言わなければよかった少し後悔する。


公園には遊具はさほどないものの、広さは十分にあるので、たくさん子ども達がボール遊びやおにごっこをして遊んでいる。


 小寺くんはザリガニ池の周りにいた。ザリガニ池と言うのはその名の通りザリガニがよく釣れる池のことで、この辺の小学生はみんな夏休みなどにこぞってザリガニを釣りに来る。私も小学生のころ何度か釣りに来た記憶があり、そのころの自分の姿がいまにも浮かび上がってきそうな気がした。


「小寺雅人、委員会はどうした。」


希は小寺くんの背後から妙な威圧感を出し話しかける。すると小寺くんは素早くこちらを振り向き、私と希を見つめると


「なあ見ろよ。」


そう言って手に持っていたものを私と希の顔の前に出した。素っ頓狂な声を上げる。小寺くんが手に持っていたのは、ザリガニだった。ただ青みがかったグレーのような色をしていて、普通のザリガニとは少し違う。


「なにこれ。どうなってんの。ザリガニって普通赤色じゃない。」


希はじっとそのザリガニを見つめている。


「知らん、誰かが餌をやったんだ多分。ザリガニは別に生まれてすぐ赤いんじゃなくて、普段は赤い色素を含むものを食べるから赤いんだ。カロテノイドって言う。それを含まない食べ物をやり続ければ、青いザリガニは作れる。」


ザリガニを作る、という言葉のチョイスに少し不信感を抱いたものの


「詳しいんだね。」


そう言って身を乗り出し、他にもザリガニがいないか池の中を覗いてみる。だが池は濁りきっていて中の様子を確認することが出来ない。


「あー。だめだ。なんも見えないや。」


「ザリガニは泥がたまって濁ったところに好んで住むんだよ。他にも田んぼの用水路とか。俺小学生の時の自由研究でさ、同じように青いザリガニを作ったんだ。その時に色々調べてさ、だからザリガニには詳しいんだ。」


「このザリガニってさ、」


小寺くんはまだ何か喋ろうとしていたがそれを希に容赦なく遮られる。


「わざわざ誰かが青くなる餌をやったてことだよね。この池に来てさ。なんでそんなことしたんだろ。」


「釣ったものを家に持ち帰って青くなるよう育てて、また池に戻したっていう可能性もある。」


「どっちにしても、変なことするよね。その人。」


委員会をサボってまで一人で学校帰りにザリガニ釣りをする小寺くんもよっぽど変だと思ったが、それは口に出さないでおく。


まあきっとどっかの小学生が興味本位でやったんじゃない? という希の適当な結論により私たちは解散しようとした。と、冷たい何かが私の頭のてっぺんをくすぐる。


雨だ。威嚇してきた雨雲が本気を出してきた。ほら言っただろ。と雨雲が私に向かって言ってきている気がする。


次から次へと降っては弾ける雨粒はどこかあっけなく虚しい。だが見上げると、果てしなく広がる空から我こそはと落ちてくる様子が伺えて、その生き生きとした姿に何というか生命力の様なものを感じる。


私は手を差し出し落ちてきた雨粒を握りしめ、ひんやり冷たいのを生ぬるくしてやった。


「蘭子、何してんの。もしかして傘忘れた?」


希は私を傘に入れてくれ、不思議そうに聞いてきた。折りたたみ傘は持っていたが出すのもめんどくさいし、とその日は希の傘に入れてもらうことにする。


小寺くんはパラソルみたいに大きな黒い傘をさして、じゃあな、と一言。雨のカーテンの中を突っ切って走り去っていく。その片手には例のザリガニが握られていて、雨に溶け込み消えてしまいそうなその珍しい体を大切そうに守っていた。


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