第9話

 教室内が落ち着くと、一人の男子生徒が手を挙げた。


 珠之たまの及太およただった。


 決して目立たない生徒ではない。

 むしろ、彼に関してはクラス全員がどんなやつだかはわかってた。


 一言で言えば、オタクっぽい。


 オタクっぽい中学生なんて珍しくないけど、珠之はわざとオタクっぽく振る舞ってそれをキャラクター化している部分がある。


 だからアニメやゲームの話題になると、とりあえず珠之に聞いておけというような立ち位置になっていて、密かにオタク的な趣味を持つ者達にとっては、趣味を共有できるありがたい存在になっている。


 人呼んで『隠れオタクのセーブポイント』といったところだ。


 ただ、そのキャラクターから、どちらかというと女子生徒からは嫌われているとまでは言わなくても距離は置かれている。


 立ち上がった彼の姿は、太っていると言えばいいのか、どう言えばいいのか。

 デブではないのだけど、なんとも形容しがたい独特の体型。

 腹や胸などの胴体は恰幅がいいのだが、腕や足は細い。

 顔全体にも丸く柔らかそうな輪郭の中に、小さい目、小さい鼻、口まで小さく、表情というものが全然読めない。


 ぼんやりとした肉の塊と言った感じで、中学生らしからぬおじさんっぽさを醸し出していた。


「まぁ、僕はですね。ふふふ。モテないんですよ。まぁ、オタクですしね。そ、それに……イケメンでもないですしね。ふふ。女性とは縁のない人生を送るわけですよ」


 珠之は、自分の言葉にしばしばウケながら言葉を続ける。


 さっきまで温まっていた教室が急激に冷めていくのを感じる。


 珠之に関しては、誰も「そんなことないよ」などという気休めの声をかけるものはいなかった。


「まぁ、どうせ僕なんか一生童貞で死にますよ。ふふふ。わかってます。ふふ。だからですね。きっとこれが最後の機会なんですよ。リアルの女性の裸をね。ふふ。見ることができるのは」

「いやぁ、キモい」

「もうダメ。私無理だわ」


 女子生徒の間から悲鳴が上がる。


 珠之はそれを見て、してやったりとばかりに笑う。


「ふふふ。そうですよ。キモいんですよね、僕は。これを逃すと、一生見れないんですよ。だから、このラストチャンスをですね。なんとか活かしたいと思ってるんですよ」


 珠之の席の近くの女子生徒が、それとなしに机と椅子を動かして距離を取ろうとする音が響く。


「頼むから黙ってくれない? ってか、死んでくれない?」


 女子のリーダー、侘濡葉わびぬれば伊真いまが遠慮のない攻撃的な言葉を吐く。


「挙手を……」


 山菓やまががそう言いかけた時、住ノ江すみのえが手を挙げた。


 山菓が名前を呼ぶと、住ノ江は着席したまま話し始めた。


「確かに珠之の意見は、ショッキングだけど、俺は立派だと思う。自分のことを顧みて、ここまでちゃんと語る勇気はすごいだろ。さっきからバカにしてるやつはそんな勇気あるのか? ある意味、未来を見据えてブレずにまっすぐ生きられるなんてすごいじゃん」


 住ノ江がそう言うと、珠之がガタンと激しい椅子の音を響かせて立ち上がった。


「君に言われたくないよ!」

「え、あ。俺? 俺に言ってんの? いや、褒めたんだけど」

「フーッ! バカにしてるのは君だろ! 言われたくないんだよ、君みたいな、ヤツには! なに分かった振りしてんだ。わかるわけないだろ、君みたいなヤツには!」


 珠之は興奮して鼻の穴を広げ、肩で息をしながら住ノ江を睨みつける。

 口からツバが飛び、周りの者達も突然の豹変に戸惑った。


 珠之に睨まれた住ノ江はそのまま小さくなって黙ってしまった。


 一人立ったまま、火のように怒り狂ってる珠之をどうしたらいいものか、下手に声をかけたらまた逆上されるんじゃないかと誰もが戸惑っていた。


「一生に一度じゃねーぞ」


 そう言って億山おくやまニモミが手を上げた。


 背が高く、長い髪を内巻きのカールにした女子だ。


 目鼻立ちの整った普通に見れば美人の部類にはいるのだろうが、眉毛が極端に細く薄いことと、歯に矯正の器具がついていることに目が行ってしまい、どうも美人であるという印象が薄い。


 姉御肌、というべきか。なんだか古いタイプのヤンキー感のある女子だ。


 本人も、あえてそれを意識しているフシがある。


 だからといって周囲から恐れられているかというとそんなことはなく。

 蓮っ葉な語り口ながら、世話焼き気質なせいか、男子女子問わず人気がある。


 その不良っぽい振る舞いも、現代では厨二病風に解釈されて微笑ましくみられる。


 人呼んで『スケバン歯科』といったところだ。


「同情は真っ平だ!」


 女子が相手でも、珠之はヒートアップしたままつばを飛ばして叫ぶ。


「同情じゃねーよ。あたい、あんたの事好きだぜ」


 億山の言葉に、教室内は時が止まった。


 予想もしなかった展開に、何が起こっているのか整理に時間が掛かるほどだった。


「ふふふっ。から、からか、からかっちゃいけません。僕なんてどうせ、ねぇ」

「クマちゃんみたいで可愛いじゃねーか。なぁ、みんな?」


 みんな、と振られた所で即座に同意するものはいなかったが、ボクの頭の中に億山が言うならそういう見方もアリなのか、という肯定的な気持ちが芽生えた。


 はじまりは愛泉手の夢だったはずだけど、もはやこの学級会は、どこに向かうのか誰もわからないまま、とてつもない加速を初めていた。


「ふふふふふっ。ぐふふふっ。あの、以上でいいです。あと、でもどうしてもって言うなら愛泉手さんの裸を見てあげてもいいです」


 何を確信したのか、突然上から目線になった珠之は、そう言うと着席した。

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