第26話 地獄より
「これ、ひょっとして……?」
「ああ、犯行に使われたナイフだろ。犯人が落としていったのか……?」
疑問は波紋となり、その場にいる刑事たちの心と思考にさざ波を起こす。
業平はこのナイフについてこう思っていた。
「いままで犯人は超計画的に犯行を行っていた。それが、今更こんな初歩的なミスをするのか? 」と。
「とりあえず、鑑識の湯川さん呼んでこよう」と数人の刑事達が神社の方へと駆け出していく。
……その後、鑑識は解析のためにナイフを回収した。東の方からゆっくりと顔を出した朝日が刑事たちを照らしていく。今回の事件の事後処理が終わったのは、午前5時の事だった。
「失礼しますよ」
少し幼さを帯びた声変わりしている最中のような声とともに、鑑識課のドアが開けられる。それと同時に、スニーカーで床を歩くような音がこちらに向かって近づいてきた。
その音を聞いた、鑑識官 湯川奏はその音のする方に顔を向ける。
「どうも、湯川さん」
「なんだ、君か。
そして、そう挨拶を交わしたのだった。
――彼と湯川にはある程度の親交がある。きっかけは彼の師匠だったが、彼の師匠亡き後は、彼が警察の捜査に介入するときには必ず証拠となる物を秘密裏に見せていた。
捜査資料を一般人に見せるなど、明るみに出れば厳罰の行動だったが、湯川はそうする価値があると断言するほど、彼を信用している。逆もまたしかり。
彼が湯川の前に椅子を持ってきて、座る。偶然にも他の鑑識官は出払っていた。いや、もしかしたら偶然ではなく、彼はこのタイミングを狙ってやって来たのかもしれない。
「あんまり時間が無いですから、単刀直入に聞きましょう。今日見つかったとされるナイフ、本物だったんですか? 」
彼は少し訝し気な表情しながら、されど真剣なまなざしで湯川を射抜く。「真剣な問いには真剣に答えないとな……」と頭の中で考えながら、回答した。
「ああ、間違いなく本物だ。被害者の血液のDNAとナイフに付着したDNAが一致した」湯川も彼を真剣な目で射貫く。
「そう……ですか……」と彼は斜め下を見ながら考える。
「何かあるのか?」
「いえ、今まであそこまで計画的だったのに、こんなところでぼろを出すのかな……と思いまして」
湯川は彼のこの疑問に同意を示す。湯川自身、確かにおかしいと思うところがあった。
だが……
「君の疑問ももっともだと思う。ただまあ、犯人も人間だ。こんな初歩的なミスをすることだってあるよ」と答えた。検出されたDNAが一致している以上、このナイフはどんな理由で落としたものでも本物としか言えない。
湯川はナイフの画像をパソコンに表示する。
その瞬間、彼の目が一気に細められた。
「ナイフの刃の部分と持ち手の部分が一直線じゃない……?」
「ああ、よく気付いたな。多分落とした時か首を切った時にこうなったんだと思う」湯川はそう答えた。
実は湯川がこのナイフを回収した際、ナイフの持ち手が外れかかっていたのだ。恐らく犯人がナイフを落とした時、もしくは犯行の時にナイフに加わった力でこうなったんだと思うが、真相は定かではない。
「うーん、現物があればなあ……。君に見せられたのに……。今、指紋の解析中だよ」と頭を掻き、もう一つの研究室の方を指さしながら答えた。
「そうですか」と彼は無表情な声で言い、ポケットからココアシガレットを取り出し、唇で咥えた。
これは彼が何かしらの考え事に浸っている時にするしぐさの一つで、社会人が仕事前にタバコを吸うことと一緒の意味を持つ。また、糖分の補給も一手にすることが可能だ。
「君、将来すごい量のタバコを吸うんじゃないの?」と湯川は椅子の背もたれに顔を置きながら、にやついた顔をして冷やかすように言う。
彼は立ち上がりながら、
「逆ですよ。将来吸わないために今こうして気分を味わっているんです」と後ろ手に手を振りながらドアを開け、出ていってしまった。
「意外とかわいいとこあるんじゃないの」という部屋に一人残された湯川の呟きを聞いたものはパソコンに搭載されている音声認識プログラムだけだった。
その次の日。
彼が会議室に着いた時、なにやら事態が動いたのか、いつもより騒がしかった。
時刻は午前10時。
彼はいつもの最上席に座り、隣でパズルゲームをしている色堂に何があったかを聞いた。
ちなみに機章はサイバー犯罪対策局の部屋に閉じこもり、監視プログラムの改良を、大國は生活安全局と共に、街への注意喚起に勤しんでいる。
「あー、なんか犯人からまた手紙が来たらしいわよ……よっしゃ7コンボ」と答える。どうやら外国組織対策局はほとんどの仕事が終わってしまったようで、専ら他の局の補佐に回っていた。
「静かに……しーずーかーにーーー」と管理官が大声を張り上げた。
波が引くように会議室が静寂に包まれる。管理官の声は大きく、良く響く。
「ここにいる全員が知っての通り、犯人から手紙が届いた。こんなものまで一緒にだ」と瓶のようなものを高らかに掲げる。
彼のいる最上階からは小さな瓶しか見えないが、中は液体で満たされているのが瓶の向こう側に写るホワイトボードの歪みで確認できる。
一方、前方にいる唯我と業平、そして刑事局の面々は違う。瓶の中に存在する物が容易に確認できる。
前方にいる刑事は押し黙ったままだったが、中には何が入っているか理解できたものがいるのだろう。「まさか……」とどこからか誰かが呟く声が聞こえてきた。
瓶の中に入っていたもの、それは
――ホルマリン漬けされた人の腎臓だった。
管理官は一刻も早く瓶を手放したかったのか近くの机に放るように置いた。
そして、瓶を持っていた手をぱんぱんと払いながら、言葉を続ける。
「これより、手紙を前のスクリーンに表示する」
雪のように真っ白だったスクリーンに赤い足跡を残すように、犯人から届いた手紙が表示される。
『地獄より、警察諸君。
あんたらに殺した女の腎臓の片方を渡そう。腎臓は人間の体に2つ存在しているのを諸君は知っていると思う。気になるもう片方はフライして食べてしまったよ。
諸君、俺が起こした2件の殺人は楽しんでくれたかな? 史実だとダブル・イベントなんて呼ばれ方をしていたよな。悲劇なのに何かっこいい名前つけてんのかって話だが。三件目の殺人事件はあの人と同じように首を切るだけに留めて置いた。ま、あの人の場合はお巡りに見つかりかけただけらしいが。そうだ4件目の時神社から出た時に後ろにお巡りさんがいてびっくりしたぞ。慌てて逃げたからその時にナイフを落としちまったらしい。愚屯なあんたらに見つけられるかな?
愛を込めて、切り裂きジャック』
地獄からの手紙には、そう血のように赤い字で書かれていたのだった。
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