第32話

 演劇部の部員、そして昼沢ひるざわはボクたちの姿を固唾を飲んで見守る。

 しばらく誰かのアクションを待つような停滞した時が流れた。

 ちなみにボクはこの後の展開をまったく考えてない。


 助けを求めようと理蘭りらんを見たが、彼女は名乗りのポーズが少し納得いかなかったのか指先の動きを何度も繰り返して首をひねっている。

 そもそもいつの間にそんな練習していたのか。

 ボクが練習している様を常々冷ややかな視線で見ていると思っていたのに。


「ボクたちは怪人蜘蛛男を倒しに来た」

「蜘蛛男なんているわけないじゃない」


 ボクがそう宣言すると、待ち構えていたように和門わもんが噛み付いてきた。

 たしかにそうだ。

 蜘蛛男なんているわけがない。

 その妄言がどれほどの事態を招いたのか、一番身にしみてわかっているのはこのボクなのだ。

 何も言えなくなったボクの横で理蘭が口を開いた。


「そう。本当にそう思う? 舞座まいざ未来みらさん」


 全員の視線が舞座に集中する。


「まさか未来」


 和門が責めるというよりも、漏れてしまったかのようにつぶやく。

 舞座はみんなの視線を確認して細かく首をふる。


「私はわかりません。蜘蛛男なんて知りません」

「そう。あなたは知らないでしょうね。でも蜘蛛の糸がかかってるわ。誰もが、目に見えない糸で操られて踊る。最初に蜘蛛の糸に絡め取られたのは儀武院ぎぶいんさんね」


 理蘭の言葉に儀武院がビクンと身体を震わせる。


「あなたは怪人蜘蛛男にやられたと言った。その時点で目に見えない糸は実体化したのよ。あの時、あなたは逃れられない糸によって捉えられていた」


 理蘭の抑揚の少ないしゃべり方は、催眠術のように聞いているものの反発を消し去っていく。

 感情を逆なですることなく、全てを肯定するような優しさすら感じた。


「もう、いいですわ。終焉の時が来たんですわ。もう、もう、しょうがない……」


 苦しんで絞りだすように、儀武院はそう言った。

 その儀武院の腕を理蘭は掴んで高く掲げた。


 マイッチング・ステップのニットのカラフルなスーツの横に並んだその腕は、ジャージの袖がまくれ上がり、桃色に変色した筋がいくつ確認できた。

 生々しい傷というよりも、時間の積み重ねを感じさせるような治りきった傷跡だった。

 高く掲げられたリストカットの痕から誰もが目が離せなかった。

 その傷一つ一つの痛みが蘇って見ている者に振りかかるような重さがあった。


「うわっ、きっついなそれ。メンヘラかよ」


 昼沢が雑な感想をまったく遠慮を知らないように口に出す。


「儀武院さんは生きるのは嫌いなのかしら?」

「死なんて結果ですわ。死んでもいい、死ななくてもいい、そこを委ねるために行動する。それこそが生を鮮やかに彩りますの」

「だったら自分のためにしなさい。誰かのために死に望むなんて随分空っぽの生き様なのね。わがままで自分のために周りを翻弄させるくらいの方が可愛いものよ」


 理蘭がそう言うと、儀武院は泣きそうな表情で消え入りそうに言葉を漏らす。


「だって……」

「罪を着せるつもりはないわ。あなたの行動は悪いことではない、でも良いことでもない。言ってみればダサいことね。恥ずかしくみっともないことだけど、それを選ぶのも個人の自由。気にすることないわ」


 理蘭の加虐的な言葉に儀武院の顔がゆがむ。


「説明してくれるか? ここにいるみんなにわかるように」


 一人だけすべてを分かったような顔をしているマスクの美少女にボクは問いかけた。

 理蘭はマスクの隙間から見える目をクルンと動かすと周りを見回して言った。


「大騒ぎをするほどのことではないわ。起こったのは儀武院さんが助けを求めただけ。事がややこしくなったのはこの件に素晴らしいヒーローが絡んできたからよ」

「それはボクが……」

「そう、皆さんの目の前にいるヒーロー。球歌流忍者のミッシェルさんよ」

「え?」


 肩透かしを喰らい、ミッシェルを見ると、彼女は照れ笑いをしながらモジモジと身体をくねらせていた。


「儀武院さんはそうしなければならなかったから行動を起こした。でもそれを見たミッシェルさんもしなければならなかったから行動したの。その結果、まるでミステリィのような密室や、サスペンスホラーのような怪人が生まれてしまった。ありえないことなんて何もないわ。現実に起こってるのだから全てありえるのよ」

「なんなのよ、誰が犯人なの!?」


 和門が髪を振り乱して叫んだ。

 ただ、その叫び方も大袈裟すぎてどこか演技のように見えてしまう。


「事件現場に行きましょう。見ればひと目で分かるわ」


 理蘭はマントを翻して歩き始めた。

 マスクの頭頂部の穴から降ろされた長い黒髪が揺れていた。

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