皐月22日

16


 記入者:青葉マーナ


 詳細なし



「おはようございます」


 そろっと扉を開けると、言祝ぎ姫は眠っていたし、イノルさんは席に着いていた。いつもと変わらない朝の光景。

 外にも扉の前にも、黒服の警護官がいる以外は。


「おはよう、マーナちゃん!」


 いつもの調子に戻ったイノルさんが元気よく手を挙げる。


「おはようございます。あれ? ホクトさんは?」


 工房からにゅっとホクトさんが現れた。


「今日はこれからセンターに行ってきます。マーナさんも一緒に来ますか?」

「え。いいんですか!」


 こん、こん。事務所の扉がノックされる。


 イノルさんと顔を見合わせる。


「最近、本当に依頼が増えたなぁ」


 あたしの方が扉に近かったので開けると、宅配会社の制服を着た男性が立っていた。依頼人ではなく、宅配ドライバーさんだ。


「お荷物が1件あります。サインお願いしますー」


 表示されたディスプレイに指でサインして小包を受け取る。


「どうもありがとうございますー」


 急いでいるのだろうかドライバーさんはすぐに階段を下りていった。


「マーナちゃん、誰宛?」


 問われて確認して、息を呑んだ。

 ホクトさんが不思議そうに首を傾げてくる。

 受け取るときに気づかなければいけなかった。ふたりにどう伝えたらいいのか。声が、掠れる。


「み、湊ヒカリさん宛……です」

「マーナちゃん、それって」


 次の瞬間。

 眠っていた筈の言祝ぎ姫がばっと立ちあがり、右手に透明な杖を持った。そしてあたし目がけて走ってくる。


「『それ』をよこしなさい!」


 奪われた小包が宙に浮く。眩しく光る。


「『ニムロドの加護において命ずる! 悪しき言葉の開封は許可しない』!」


 空中で杖の先に当たる。


「皆、伏せなさいッ!」

「マーナさんっ」


 すばやくホクトさんが庇うようにあたしを抱きしめてローテーブルに隠れる。


「ちくしょうっ、待ちやがれっ!」


 イノルさんは事務所の外へ飛び出す。


 空間に眩い光。視界がなくなる。

 音もなくなり、……静寂。


 ……やがて。


 どさ、と何かが倒れた音がした。

 室内に警護が慌ただしく入ってくる。ホクトさんが立ちあがる。あたしはまだ、ローテーブルの下に押し込められている。自分の鼓動がやけに大きく聞こえる。全身が、震えている。


「すみませんがどなたか救急車を呼んでください! 東日本言語療養センターへの緊急受け入れは自分の方で要請します」


 ホクトさんの大きな声を聞くのは初めてだった。

 ……緊急受け入れ?

 おそるおそる這い出ていくと、倒れていたのは言祝ぎ姫だった。杖を持ったまま眠っている。

 違う。眠っているんじゃない。


「……内部破壊……」


 ぽきりと折れてしまった杖。おそらくこれが言祝ぎ姫のディクショナリウムなのだ。


「ちくしょう、逃げられた。って、所長! 所長!」


 息を切らせながら戻ってきたイノルさんが悲鳴をあげた。

 そして、遠くから近づいてくるのは、救急車のサイレンの音……。



 言祝ぎ姫とホクトさんは先に救急車でセンターへ。あたしとイノルさんは警護の方の運転で追いかける。後部座席で隣に座ったイノルさんは、ずっと黙ったまま俯いていた。

 迷うことなく特別療養棟へと急ぐ。塩素の匂いに満ちた五階の奥、少し前まで浅日スズヨさんの眠っていた個室。

 今そこにいるのは、言祝ぎ姫。

 フリルたっぷりのワンピースのおかげで眠り姫のようだった。

 傍らにホクトさんが立って両腕を組んでいる。


「ディクショナリウムの内部破壊を目的とした新型爆弾ではないかという見解で、警察の捜査が入るとのことでした。その破壊力を言祝ぎ姫が一手にその身に引き受けることでねじ伏せたのではないかというのがセンター長の所見です。……これから治療に入ってみないと確定はできませんが」

「そんな……僕たちを庇って……?」


 ようやく口を開いたものの、イノルさんの顔は真っ青になっている。


「自分はここで調査グループに入ります。イノルくんは当面の間、事務所番をお願いします。マーナさん」

「は、はい」


 突然話を振られて背筋が伸びる。


「申し訳ありませんが、インターンはこの時点をもちまして中止です。成績に関しては自分の方から言語修復大学校と話させてもらい、合格点をつけさせていただこうと考えています。なので、今日のところはひとまず帰ってください」


 ……今日のところは、じゃない。

 あたしのインターンはこの瞬間に終わってしまった。


 事務所へ足を運ぶことは、もう、ないのだ。


「……はい」


 全身が震える。困らせないように、言葉を、探す。


「お世話に、なり、ました」

「警護もつけておいてもらえるようにしておきます。また、会いましょう。マーナさんが言語修復士になるのを待っていますね」

「はい……。ありがとうございました……」


 こんな形で終わってしまうなんて。でもどうしようもできない。涙を堪える為に唇を噛んで、精一杯お辞儀をした。

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