8. 日記

 午後七時ごろ。陽が沈むにはまだまだ早いが、空にはうっすらと月が姿を現し始める時間だ。ベレスフォードの部屋に繋がっている外線を通じて言いつけられて、晩飯の解凍したレトルトウドンを部屋まで持って行ってやった。ようやくチップの解析方法を理解した所らしく、ここからが勝負の付け所だと言う。俺には相変わらずよく分からなかったが、あんなに大はしゃぎしている同居人は久しぶりに見たから、まあ、悪い気はしなかった。

 その後は、部屋に戻って作業を再開した。作業――ネイビーの正体を突き止める事。今日の午前に奇妙なデートを繰り広げてからというものの、あいつの強烈さが頭から離れないのだ……と、カッコつけて言ってみたが、本当はそれはただの暇つぶしの建前に過ぎない。腹もそんなに空いていないし、やる事がこれと言って無いのだ。

 バイト代をこつこつ貯めて購入したキュイハン社製のコンピューターを、ベレスフォードお手製の回線に接続して少々ダークなお仕事の依頼情報を探り回る。あの女が果たしてどういう仕事をしているのかは分からないが、こういった所がああいう類の人間の窓口になっている事は明らかだ。さっきから優に一時間は手当たり次第に捜索を続けているが、この世の中の出来れば知りたくなかった多種多様な仕事に感動させられること以外は全く進展がない。如何せんあいつを引き出す為の情報が少なすぎる。とりあえず女っぽくて、でも本当は男かもしれなくて、今日のところは"ネイビー"と名乗る人間……あと、キュイハン社が嫌い。駄目だ、どれも曖昧すぎる。ネイビーらしき仕事人に対する評価が綴られたサイトなんかは稀に見つかるのだが、大抵はリンク切れを起こしている。ベレスフォードなら、こういう問題もなんのそのだったりするのだろうか。

 やはり、こんな数少ない情報でネイビーの正体を暴くのは無謀すぎたかもしれない。そろそろ飽きてきた事だし、この「例の件について」とかいう、誰かさんが何とかいう仕事請負人へ宛てた依頼全文のミラーサイトの閲覧を試みてから、他の暇つぶしをするとしようか。サイトをクリックし、何かしらが表示されるのを待つ。……やけに時間が掛かる。普段なら、とっくに読み込み終えてそのサイトが表示されるか、リンク切れを詫びるページが開ける筈なのだが。まさか、コンピューターの衛生上ちょっとよろしくない物をクリックしてしまったのだろうか。少し心配になり始めたその時、漸くページが姿を現した――が、そこに現われたのは、ミラーサイトでも無く、またリンク切れを告げるページでも無い。全く知らない人物の、インターネット上で公開するタイプの日記だ。俺が生まれる前の文化だとばかり思っていたが、こんな所で意外な生き残りを見付ける事になるとは思ってもみなかった。しかし何故ここに繋がったのだろうか?リンク名の見間違いでもしていたのだろうか。まあいい、暇なら持て余す程にあるんだし、たまには昔の文化に触れてみるのも悪くないだろう。

 日記のタイトルは「ミスター・Jの日記」というらしく、常にそのタイトルがサイトのトップに掲げられている。最も、こんなインターネットの裏側では、内容の信憑性は限りなく低いが、数十年にも渡りそいつの生活が馬鹿丁寧につづられている様は眺めていて愉快だ。ただし内容はこんな殺伐としたネット社会には似つかわしくない平和そのもので、例えば友人とショッピングに行っただの、その当時の映画に感動したりだの、至って普通だ。こういうサイトに限って実はとんでもない飛び道具が仕込まれていたりなんかするのだろうが、こちらは生憎ベレスフォードの完全に独立した回線を介しているから、大概の事は平気なのだ。

 しばらくの間それを眺めていたが、日記は唐突に終わった。恐らく……十年程前の六月四日を最後に、更新が途絶えている。内容は、何らかの事情で友人と会う事が出来なくなってしまった、という物。恐らく、この日記で初めてのマイナスな内容では無いだろうか。これから毎日、どう生きていけばいいか分からない、とすら書いてある。一体何があったのかは分からないが、そのショックの大きさのあまり日記を綴る事をやめてしまったのだろう。……これ以上この日記を眺めていてもしょうがないから、早々にサイトを閉じて、今日のネイビーの調査を切り上げた。

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