――4.ハッキング

 神泉の街はここ十年ほどで大きく様変わりした街だ。元々、新興のIT企業は渋谷に多く集まっていたが、その中から業績を伸ばした企業がこの街でビルを買い上げ、オフィスを構えてきた。その結果、神泉は若いITマンやクリエイターが多く集まる街となり、また彼らを顧客とした個性的な飲食店が、多く軒を連ねるようにもなった。

 もともとは坂道の中に路地が多く交差する、古びた街だ。今でも一歩、路地裏に入れば住宅街が広がり、一気に都会の喧騒が遠ざかる。

 そんな閑静な街の中に、ぽつんと取り残されたような緑地があった。斜めに交錯する坂道が作る三角形の隙間に、突然現れる剥き出しの地面と木。

 京平とレイがそこに着いたとき、既に夕暮れの紅い光が地面に差し込んでいた。いい時間だな、と京平は呟く。

「ここがその……」

「あの辺りだ」

 レイが言うのに、京平は答える。

「少し前まではシートで塞がれてたんだけど……もう警察の現場検証も引き揚げなのかな」

 そう言って京平は、緑地の一角を指さす。入口から入って奥側、フェンスの手前に並ぶいくつかの木の内の、一本。

「あの木の下に、遺体があった」

「まるで見て来たみたいに言うね」

「資料なら見た」

「え……?」

「言ったでしょ? ハッカーだって」

 事も無げに言いながら、京平は緑地の中に入った。

「さて……前に視た・・ときは先入観なしでいったけど、今回はどうかな?」

 そう言って京平は振り向く。レイの後ろにジャボーがいるのが見えた。

「あなたのその、視るっていうのは……いわゆる霊視なの?」

 レイの問いかけに、京平は「うーん」と少し考える。

「むしろ俺は『霊視』っていう方がわからないから、なんとも言えないんだけど……もっと物理的なやつだと思うよ」

 そう言って、正面の方に目を戻す。京平からすれば、あの木の下になにか、モヤ・・のように色が視えるのは当たり前のことなのだが――どうやらそれが普通ではない、ということに気が付いたのはいつだったか。

「ジャボー、やるよ」

『心得た』

 京平にだけ聞こえる声で、ジャボーが答える。そして京平は、自分の感覚にジャボーの感覚が重なる・・・のを感じた――

 瞬間、世界がその様を変えた。

 解像度の上がった世界の中で、視界を彩る様々な色がその意味を変え、分解されていく。無限の奥行を持った情報の中に、さらに別の次元が展開される。CG映像がテクスチャを剥がされワイヤーフレームとなるように、またはその奥で描画のために稼働し続けるプログラムのソースコードを解析するかのように、京平の認知は世界の奥へと侵入していった。

『少年、エラーがあるな』

「それが今回の構造物アーキテクチャかな?」

 無限の解像度を獲得した世界の中に、現れた異物バグ。認知に働きかける違和感。京平はその部分に認知を集中し、その源泉ソースを追っていく。

「前回は、ここまでだったけど……」

 恐らく、それは死の匂い――さらに解像度を上げてみれば、それがなんらかの指向性・・・を持っているのがわかる。

 京平はそのメカニズムを理解していた。なにもなければ、それはただ潜在意識に訴えかける違和感でしかない。しかし――脳内の記憶野ライブラリから、この事件に関する一連の情報を意識の上に展開ロードし、そして関連付けリンク

「ジャボー、編換コンパイルを」

『やってみよう』

 京平はそれに併せて脳の活動量クロックを上昇させた。事件現場の状況、片足と片目を失くした被害者の遺体、広がる血の海、アスカ。今、目の前にある世界の中から抜き出した感覚の源泉ソースと、それらの情報とが結びつき、ビジョンを結ぶ。

実行ラン

 幽霊プログラムが再生された。

 片足と片目のない男が、世界の中に現れる。

 男は口を動かし、なにか言葉を口にしようとしていた。

『またエラーが出ているぞ、少年』

「少し黙ってて」

 京平は周辺に現れる違和感を無視し、男の口元に意識を集中した。

「……は……るぞ……」

 男は片方の目を見開き、しっかりと京平を見据えていた。

「こ……見ろ……俺は……」

 だがこれは、これから殺されようという恐怖や、怒りや、そういった強い感情の焼き付きではない――男が語り掛ける言葉をなおも聞くと、瞬間的にそれはより明確なビジョンを成し、脳の中に飛び込んで来た。

「こっちを見ろ。俺はここにいるぞ」

 ――不意に、世界が途切れた。京平は軽く眩暈を感じて目を閉じる。

『……ここまでだ』

 ジャボーが言う声が聞こえた。まあ、こんなものだろう――京平が目を開けると、世界は元のままの、寂れた夕暮れの緑地だった。

「京平くん? 大丈夫?」

 ふらついた京平の身体を、レイが支えていた。

「なんだったの……? ずっと動かずに、じっと空中を見てるみたいに……」

「……だから、『ハッキング』だよ」

 京平はレイの顔を見て笑った。

「面白い結果が出た。検証レビューといこうよ」


 * * *

 自販機で買ったペットボトルを2つ、ぶらぶらとさせながら、レイは緑地まで戻ってきた。ベンチに腰掛けた京平が宙を見ているのが目に入る。その視線の先に、もしかしたらジャボーがいるのかもしれない。

「ん」

「あ、ありがと」

 差し出したコーラのペットボトルを京平は受け取る。レイは自分のために買った緑茶を開け、口をつけた。

「……あー、染みるなあ」

 ペットボトルのコーラを半分近く、一気に飲んだ京平が言った。レイは缶から口を離し、その様子に目をやる。

「……そんだけ鋭い感覚をいつも使ってたら、そりゃ糖分が欲しくなるわけよね」

「そうなんだろうね、きっと」

 京平はそう答えて、またコーラのペットボトルに口をつけた。

「……常人を超えた知覚能力で捉えたわずかな情報を、映像として処理する……一種の共感覚ね」

 レイが言うことに、京平は曖昧に首を傾げる。

 恐らく――とレイは考える。京平の脳内にいるジャボーという悪魔は、京平が自らの能力を制御するために作り出した存在なのだろう。感覚の一部をジャボーという存在に分離することによって、京平はそれを対象化したのではないか。そうでなければ、必要以上の情報の波に苛まれて心を病んでしまっていたのかもしれない。

「レイさんは」

 不意に、京平が言った。

「信じるの? 俺の『ハッキング』を」

「なんで?」

「全部演技かもしれない、とは思わない?」

「うーん……」

 たしかにそうだ。言われて、レイは初めてその可能性に気が付いた。だが――

「実は、誰でもやってることなんじゃない? なんらかの事件が起こった現場で、そこに残るわずかな匂いや、空気の感覚に触れて……意識の上で感知できないようなそれが深層心理に働きかけて、存在しないものを脳が視る・・。そういうのは、心霊現象の仮説としても語られていることだし」

 特に嗅覚は、人間の深層意識に強く訴えかけ、記憶を呼び覚ましたり、幻覚を見せたりすることがある。そういえば、レイ自身にいわゆる霊感がまったくないのも、もしかすると鼻炎持ちであるせいかもしれない。

 レイがやっている占いだって、実は相手のわずかな表情や、体温や、心拍数などの情報を読み取っていると主張する説もある。そして、別にそうだったとしてもなにも問題はない――と、レイは思っている。

「どっちかっていうと、人間の脳が高性能すぎるというか……それが故の脆弱性みたいなものだと思う」

 京平の場合はおそらく、通常の人間とは認知の枠組みフレームが異なっているのだろう。お互いの感情や集団内の雰囲気、暗黙の了解に流されるのではなく、それを映像として客観的に見てしまえるのだ。

「超常的な……というより、越境的・・・知覚力パーセプション。視覚だけでなく、五感も、意識や記憶野にまでも垣根を超え、相互補間的にものを視る。超越知覚ハイパーセプションとでも言うべきかな」

「ふうん……」

 京平は目を丸くしてレイを見る。

「……さっきから思ってたけど、変わった人だねあんた」

「あなたにだけは言われたくないわ、それ」

 京平は声を上げて笑った。その横顔を見たレイは、無邪気だな、と思う。

「……それで、その『ハッキング』の成果についてだけど」

 レイが言うと、京平は笑うのをやめ、真剣な顔になった。

「そう……どうもおかしかった。今まで何度も、人が死んだ現場をハッキングしてきたけど、なにか違う」

「違う、っていうのは……?」

「上手く言えないんだけど」

 京平はそう言ってコーラを煽る。

「……人間が強い恐怖や、怒りや、そういう感情を発してれば、なんとなくわかるでしょ? でも、あの男にはそれがなかった」

「つまり……?」

「ためらいがないんだ、殺されることに。もしかしたら、被害者じゃない・・・・・・・のかもしれない」

「…………」

 レイは先ほど、京平が言っていたことを思い返す。殺された片足、片目の男が「こっちを見ろ」と言っていたという――

「結局、どういうことなの? 死んだその男は一体誰で、アスカさんはなぜそいつを殺したの?」

「……それをこれから調べるわけなんだけど」

 京平は空になったコーラのペットボトルを手の中で弄んだ。レイはその様子を見て軽くため息をつく。

「意外とわかること少ないんだ、『ハッキング』って」

「一度や二度、人間に会っただけでその人の性格まではわからないからね」

 そう言って京平はベンチから立ち上がる。

「さて……それじゃ、会いに行くとするか」

「……え?」

 京平はペットボトルの残りを飲み干し、それをゴミ箱に投げ込む。

「ちょ、ちょっと待って! 会いに行くって……誰に?」

「え? そんなの決まってるじゃないか……そのアスカって女の子にだよ」

 そう言って京平は緑地の出口へ向かい、歩き出した。

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