コスタリカで待ってる

或名木綿子

第1話 浮くか落ちるか

「まったく、しつこい子ね。」

と笑った彼女の顔を思い出していた。

しつこいのはどっちよ?


ーーーーーー


"ご親族の中に、同じご病気か、似た体質の方はいらっしゃいますか?"


小さな男の子が、受付と私の間をを颯爽と駆け抜けてゆく。ふわっとお菓子のような甘い香りがした。その細くて柔っこい右手には、入院患者用の腕輪がついている。


院内をびゅんびゅん走り回れるくらいなのだから、顔色もすごく良かった。そして、全身でわかりやすく「退屈」を表現していた。

点滴をしている様子はない。


わかる、わかるよ。

まだまだ動き盛りで、お目付役である両親や看護師がいないのならば、自分もあんな風に走り回るかもしれない。自分はそんな年齢をとっくに過ぎているけれど。


迷惑をかける事で、気にかけてもらいたい。

心配されたい。

と思う年頃は、経験済み。

あの子もいつか私のように、母をうるさいババァ!などと罵声を浴びせることになるのかな。

あの男の子の気持ちは私の中にスルスルと容易く流れ込んできた。

早く解放されたい、ってな。


身体がふわふわ揺れるたびに、少しだけ吐き気がする。今立ち上がると倒れる、もしくは天井まで飛んでいくだろう。

暇すぎて、このようにあり得ない想像を脳内に張り巡らせ、現実の世界と私は、その間だけ距離を置く。


そんなことを考えていたら、病院の受付で渡された問診票にペン先を押し付けたまま、数分程動かないでいた。


とにかく問診票は書かないと。

少しでも気が緩むと、こうして私は、宙に浮いてどこまでも飛んでいってしまう。と言いつつ、そろそろ悩むことに疲れてしまった。


息抜きがてら携帯を確認する。学校からの着信は無い。少しだけほっと安心する。

この状況下においては、見放されたほうがマシ。


現時点で、中学生という職業を全うしてないのだから。

しっかり勉学や部活に励む同級生たちからの視線を思い出すと、胸がきゅっとなる。

言い訳をすると、私は勉強は嫌いではない。

勉強をしなければいけない空間が苦手なのだ。


何故自分に言い訳をしたくなったんだろう。


気持ちを休ませようと、目線を上に向ける。


フロントの中央にはエスカレーターが設置されていて、二階までは吹き抜けになっている。二階の手すりからは一階の様子がよく伺えるようになっている。


先月に改装したばかりで、県内でも一、二を誇る大学病院。

当然だけれど、さすが院内は広く、改装前より清潔感に溢れている。


ガラス張りのだだっ広い受付。

そこから入ると、左手にはお見舞い用の花屋さんと、小さなコンビニ。おぉ、患者さん用の美容室まである。


右手には、診察カード一つで受付が出来る機械が三台設置されてあるのが見える。五人は並んでいる。夕方に差し掛かろうとしている時間帯でも、人の波はそちらにどんどん寄っていく。


いいなぁ~発展してるなぁ~なんて呑気なことを考えていたけど、この時間帯で学生服を着ているのは私一人なのだと思い知ると、ほんのちょっぴり疎外感。


「初診」「再診」

どちらかに丸を付けるなら再診。

診察カードは何年も前に無くした。それか捨てた。


数年前、財布の中身を整理している時、この病院にはもう来ないだろうと判断した幼い私は、「もう行かないかもしれないお店のカード入れ」にしまったまま、カードはどこかへ消えた。

部屋を探せば出てくるかもしれないけれど。探したいものは他にもたくさんある(これはさておき)ので、せっかくここまで来たのだから、新しく発行してもらった。


初診扱いになるし、初診料とられるけど。まぁ、いいか。お小遣い無くなるけど。まぁ、いいか。


私がいつまでも受付の前のボックスソファを陣取っていたので、受付の人が「分からない箇所はございますか」と聞きにきてくれた。


分からない部分は空欄にして、診察時に先生に話しても良いとのことだったので、お言葉に甘える事にした。ありがとう女神様。

見た目や声色が好みだったので、女神。

不純な動機などない。ただ、綺麗な人は皆素敵だと決めつけてしまうのは、昔からの悪い癖。だってこれは、言い方を変えると「見た目が醜い人は素敵じゃない」になってしまう。

「見た目が醜い人」はどうなのかと問われると、もちろん不細工などとは口には出さないが、一瞬言葉に詰まる。


あれ。そう考えると自分は、不純な人間なのかも知れない。


診察の結果、考えていたのとは別の病名を言い渡された。

この日が人生の分岐点だったのなら、今日この病院にきて良かったと思う。


それをまだ知らない私は、とにかく冷静を装い、先生の言葉に相槌を打つ事に集中する。


「長期にわたって治療してゆきましょう」

「はい」

「お薬はこの二種類を出しますから」

「はい」

「朝昼晩必ず飲んでくださいよ」

「…はい」

「あ、必ず量は守ってよね」

「…」

「途中で服用をやめたら、治るもんも治んないから、自己判断は本当にやめてね」

「…はぁ」


途中から口調が砕け、いや、馴れ馴れしくなっているのは置いておいて、要は、風邪などで内科を受診した時と同じような説明だった。

薬の種類が違えども、正しい服用方法などは同じらしい。


けれど、

「ご親族の中に、同じご病気か、似た体質の方はいらっしゃいますか?」


関心していたのも束の間で、既に見慣れた内容の質問に対し、思わず眉間に皺が寄った。


「えっと」

「おわかりになりませんか?まだお若いとはいえ、ご家族のことでしょう。何か聞いてませんか?少しばかり情報を下さらないと、私としても診察しにくいのでねぇ。だから、お電話でご両親に同席してほしいと申したんですけどもね」


マニュアルから外れると急に態度が変わった。いちいち勘に触る喋り方。女神を身近に感じた直後にこれはさすがにテンションが下がる。


自分が只今絶賛不調時期だからそう感じるのか、ありきたりなところで思春期だからか。

自らの言葉の棘で、その青髭だらけの汚らしい口元を縫いたくなるのをグッと堪える。


次第に青髭先生の目は、家族一覧の項目のあたりへ向く。「あぁ、お父様はお亡くなりになっているのですね、これは失礼。」とかなんとかぼやいていた。遅いわバカ。


こうして見ると、青髭と虚な瞳のせいか泥棒面にも見えてくる。この場合は見た目だけで判断していないのでセーフだと思ってもらいたい。


「その父というのは実父ではなく義父なので、存命だろうが関係ありません」

その言葉に、先生は今度こそ面食らったようだ。

私の調子はずっと悪い。脳も内臓も何もかも。診断されなくても、わかる。すべてが何かに侵食されているのがわかる。そのせいで、中学に入ってからの二年間溜め込んできたあれこれがドロっとつまった汚水が、診察室にまで浸水してきた。

貧血からか後頭部が揺れる。汚水のようなものが見えたのは幻覚なのか貧血からなのかわからないけれど、とにかくこめかみの辺りから鼻の奥まで鈍い痛みが生じる。早く診察終われ~。

「あぁ、はい、失礼致しました。あぁ、なるほど、だから記入で悩まれていたのかぁ」

では、失礼の上塗りで申し訳ないのですが、お母様は?と続ける先生に、私は青髭に何もかもを求めることをやめた。


質問は続いた。時計を見ると、問診が始まってまだ二分しか経っていない。

この病気には、きっと患者の血縁の情報が必要不可欠なのだろう。

私は、あまり蚊に血を吸われた経験がない。その反面母はよく刺されるので、汗をよくかく時期になると、決まって塗り薬を手足に塗っている。

私と母は血液型が違う。それが関係しているかはわからないけれど、母は私のA型をよく羨ましがっている。そのくせ、血液型診断とかは信じないのだから、よくわからない女性だと思う。


「ああ、答えづらい質問だったかもしれないねぇ。ごめんなさいねぇ。大丈夫、この病気は、遺伝性が関係してる可能性があるってだけで、直結しているわけではないからね。いま答えれなくても、支障はないですよぉ」

「はぁ、はい」

母さんは紛れもなく実母で、存命で、私と似たような症状が出る時はあるけれど、多分私ほどではない。いや、時々、私以上ではあるけれど。あれを症状と呼べるのかは先生にしかわからない。

先生の言う「問題」は、誰にあるのだろうか。


時計の針は絶え間なく動いている。背中がじんわり熱を帯び、やがて痛みに変わる。

喉の奥から気管にかけて、声帯が、帰りたい。そう叫び続けていた。

十分間の診察で疲れがどっと溢れた。

甘いものが食べたい。

誰でもいいから、「疲れたでしょう。はい、どうぞ」って、チョコレートクッキーでも出してくれやしないだろうか。


とにかく、なんとなくパッとしないまま診察は終わり、処方箋とお薬手帳を貰う。

三種類の錠剤を、1日3回服用。それを、30日分。

予約はしなかった。こまめに診察に来なくても良いのだろうか。

「嫌な先生だったでしょう。」

「は?」

いかにも可愛らしい風貌の、優しげなご年配の女性が、隣でニコニコしている。

「塩原先生の診察室から出てきたでしょう。わたくしも、あの先生苦手なの。ふふ」

「はぁ…」

白髪は2、3本程しかない、耳下まで切り揃えられた綺麗な黒髪。清潔感のある女性だと思った。心身共に健康そうに見えるが、人は見た目で判断してはいけない。先程、反省したばかりなのに。

「ここに通うなら、また会えるかもしれないわね。」

失礼。と言いながら、女性は去った。

他にも診察待ちの人は何人もいた。私も早々と立ち去らねば。

さっきの女性は、私の前に診察したのだろうか。手に、診察表は持っていなかった。


「お姉ちゃん、ばいばい」

先程走り回っていた男の子が、フロントの入り口から手を大きく挙げている。

「ばいばい」

笑うと、下の前歯が一本抜けているのが見えた。

その照れた顔を、思い切り胸に押しつけて、抱きしめてあげたくなった。

抱きしめたい。何故か無性にあの子に対して愛が溢れ、私はあなたの事が大好きだと伝えたかった。


そんな気持ちに背を向け、病院前に停まっていた町内バスに乗り、帰路へ向かう。


「今日サボり?やるねぇ」

「明日は合唱コンクールの練習があるから、面倒だしこないほうがいいよー(笑)」

「昨日のドラマ録画したー?今度の休み、家でみせてよー」


携帯の複数のメッセージを開く。

また、胸がきゅっと締め付けられる。

学校で、わいわい、楽しく、面倒と言いながらも授業を受けている友人たちに、私は何と返せばいいのだろう。

自分とは、


「実はね、私、朝から役所へ行って、そのあと病院へ行って、病気って言われちゃった!やばくなーい?」


などと返信しても良い人間なのだろうか。

自分の抱えている闇は、そこまで深くはないと思っている。けれど、他人から見ればどうだろう。私の闇の深さは、何センチ、あるいは、何メートルあるのだろう。もっともっと奥深くにあるのだろうか。

深く深く、どこまでも潜った先にあるとするなら、誰がそれを捕まえてくれるのだろう。

それを手渡された自分は、その闇をどう扱うのだろう。

返信は、後回しにしよう。

自宅の庭の白百合の花を写した待ち受け画面を見て、少しだけ気分が落ち着く。


三本に別れた木漏れ日が、車内の窓にほんのり温かみを当てる。

道路沿いの散りかけの桜並木を眺める。木々の間から住宅街や、小学校、スーパー、図書館なんかが見える。

歩道では、数人ほどの小学生が談笑しながら、桜の絨毯を元気よく踏んでゆく。学年はわからないけれど、背丈からすると、高学年くらいだろうか。一番小さい子、大きい子にあまり差はない。持ち物は、背中のランドセルのみ。クラブに入っている様子は無いので、授業の関係上、16時を過ぎていると推測。

携帯のホーム画面を見て、どんぴしゃ。

16時21分。

ふわっとした推理とも呼べない推理がたまたま当たるだけで、そりゃあもう、口角は上がりますとも。


ぽかぽか体温があがり、次第に眠気はやってきた。

早く帰宅し、ベッドに入って眠りたい。出来れば、夢は見たくない。

夢を見ない日はない。今日くらいは何も見ずに眠りについてみたい。


16時半頃となると、ちょうど母さんが帰宅する時間だ。

一気に身体が引き締まる。

病院の様子を母さんに話すのは非常に億劫だが、話さなければ意味はない。

と言いつつも、出来れば面倒がって聞かれなければいいな、なんて事を祈りながら、もう10分程バスに揺られた。

「着いたよー。お嬢さん」

停留所を無視して、自宅付近でバスが停まった。

運転手さんはそう言うと、真後ろでうとうとしていた私に向かって笑顔で会釈したので、私も会釈を返す。この運転手さんのご好意には、いつも感謝している。まんまる太った、だけど少し筋肉質。目はくりくりしてて、可愛いおじさんだ。

この運転手さんは、停留所から家が遠い人ーーー特におばあさんやおじいさんを気遣い、よくこうして自宅付近までバスを走らせてくれるのだ。

私もその中の一人だった。車の持たない高校生に無料バスは有難い。その上、このような気遣いは、感謝を返すだけでは勿体ない。

「いつもありがとうございます」

「あいよー。またよろしくね。気をつけて帰りなねー」

いつも通りお礼を言い、下車する。「次はおばちゃん家ねー」「はーい」と言う声が聞こえた。それと共に、ドアは閉まった。


「よし…帰る、か」

この言葉を発した瞬間、少しだけ勇気を奮い立たせることが出来た。

バスが停まったところから1分程。やはり重いのには変わらない足を動かすと、自宅が見えてきた。と思えば、母さんの車まで見えたので、お腹のあたりがぐっと重くなる。

さっきまでの勇気よ、どこへ行った。

鍵は閉まっていなかった。母さんは、玄関を入ってすぐの洗面所前で、洗濯物を分けていた。

「おかえり。病院、どうだったの」

その言葉は「義務」のように淡々と。慣れていたはずのこの空間にも、今日は涙が溢れそうになった。

「病気だってさ」

「ふーん。そう」

病名は聞かない。どんな病名でも同じだからだろう。私はなんとなく家の中に入れず、ずっと玄関で立ち尽くした。

この家は、母さんの陣地だ。自宅とはいえ、私は今敵地にいる。いくら武器を持ち込んだとしても、母さんの持つ武器には勝てない。

「薬貰ったのなら、早く飲んで、宿題してしまいなさい」

苛ついた声色が、私の肩を強張らせる。この場を早く切り抜けたい。だけど、勝つためには逃げてはいけない。

親が子に無関心を装っても、育児放棄にはならない。

親が子に衣食住を与えていれば、罪に問われることはない。

あれ?私、何故今こんなことを考えているのだろう。


あなたは病気です。

おめでとうございます!


脳内では拍手喝采。母さんへの今までの恨みとか、私に年数をかけて重ね続けてきた嘘とか、全部含めて。全部復讐出来た。


おめでとうございます!


また声が聞こえた。幻覚の次は幻聴か。


「ほぼ遺伝性って言われたから、家族構成とかそのまま伝えたわよ」

「なんて?」

聞き取れなかったのだろうか。きっと家族構成のほうを聞き返したのだろうと思うことにした。

「私の病気よ。実父の親族の遺伝かもしれないからさ」

「でも、パパの家族には、あなたのような病気の人はいないわよ」

「なんで声、震えてんの?」

「震えてないわよ。」

「へぇ。あの人が実父だって、まだ言い張るつもりなんだ。」

「あんたを育てたパパを、あの人って言うのやめなさい。本当に、あんたって子は、性格が悪いというか、ははっ」


逃がさない。だから私も逃げない。

母さんはいつも、都合の悪い事から逃げてきた。私にもそれは遺伝している。だから、私もたくさん逃げてきた。それは隠せない事実。母さんが私の首をぎゅっと苦しめるように、私も、母さんの首を同じだけ苦しめた。


「そんな話なら、聞くつもりないわよ」

「ちょっと、待ってよ。少しは私の話を聞いて、」

「そういう被害妄想はやめて。はぁ。病院でもそうやって、悲劇のヒロインぶったんでしょう?それなら、病気って言われても当然でしょう。悪いけど、そういう話、付き合ってらんないの。母さんは忙しいの。」


母さんの口は止まらなかった。母さんはお腹の底から咳をするように、思い切り声を張っていた。

「母さん。お願い、落ち着いて。」

「あんたよりは、落ち着いてるわよ!あんたがいつも、いつも、おかしいんじゃないの。母さんがおかしいって、そんなこと言う前に、自分のおかしいところに早く気付きなさいよ!」


母さんの怒鳴り声は、私の真後ろのドアのガラスまで響いた。


全て一理ある。が、論点はそこじゃない。それは母さんもきっとわかってる。

母さんは、病的に嘘付きで、ずっと「可哀想な悲劇のヒロイン」だったから、私を見ていて、とてもしんどいのだと思う。


「だったらここで一緒に、戸籍見る?」


母さんは怒鳴るのをやめ、息をヒュッと止めた。

私が今朝家を早く出た理由が、病院ではなく、どこに行く為だったかを瞬時に理解したのだろう。


役所には人がたくさんいたので、思った以上に手続きに時間がかかった。だけどその甲斐あって、無事に目当ての物は今、私の手中にある。

そして、確認したことで、疑問は確信に変わった。


母さんの顔は青くなり、眉は下がっていた。

私は気持ち悪くなった。ミイラ取りがミイラになってしまった。

「戸籍。戸籍なんか見て、何になるの」

「母さんが、嘘をつくから」

可哀想だと思った。こうするしかなかった。皮肉と同情、色んな感情を交えて、言い放った。

母さんは、息を大きく吐いた。冷静になりたい時の癖だ。今までの自分が冷静ではなかったと気付けただけでも、言い放った価値はあった。

「お願いだから、嘘言わないで教えて。」

しん、と静かな空間は、もう耐えられなかった。

「…母さんってば」

「…パパが、あなたに言うなって」

「なんで?」

「本当の娘として」

少しずつ、弱々しく、言葉は発せられた。

「育てたかったからって」

「そう言ったの?」

「そうよ」


私が二十歳を超えたら、義父である事を伝えようとしたかったと。


だけどあの人は、私が12歳の冬に死んだ。

10分前まで家の中で動き回っていた人間が、10分後には、人の肌の色をしていなかった。

事実を伝える前にこの世を去る事が無念であったかどうかはわからないが、私は、その事に対して何の感情も生まれなかった。

どんなに最低だと言われてもいい。

私は、思い切り大声で笑いたくなった。


嬉しさとか、楽しさとか、そんなものではなく、虚無感から笑いがこみ上げるなんて、初めてだった。

「何がおかしいの!」

笑いは堪えきれず、手のひらをすり抜けてゆく。

「言うなって言ったまま、死んだんだから、言えるわけないでしょう!どうしろって言うのよ!」

母さんの目が、何かを睨んでいることに気付いた。それは私に向けられていたことに気付いたのは、数秒後だった。


一つだけ分かった事がある。

母さんは、まだあの人の味方だってこと。


そう、私は、また。


神様。

彼女は、私の望みどおり向き合ってくれたはずなのに、私の復讐は、一発もあがることなく、不発のまま散ってゆきました。

紙吹雪のようにハラハラと綺麗に散るのでは無く、黒い肉片のようなものが、辺りにボタボタと落ちていきました。


母さんの嘘は、とてもとても素敵な美談として片付けられた。

やっと笑いは止まった。

私は誰かの娘であるはずなのに、まだ「誰かのおまけ」として生きていかなきゃいかないのか。

ふと友人たちからのメッセージを思い出した。

今日は返信が出来ない。明日もきっと返せない。この先もずっと。ずっと。

「元気で明るいアリコちゃん」はもういない。

最初からいなかったのだ。


30日分の薬の入った鞄を汗と一緒に握り締めたまま、静かに家を出ようとした。

母さんの足音は聞こえない。

それを認識し、玄関を出た後、


「」

自分の口から静かに、言葉が、ポロッと吐き捨てられた。

それはそのまま足元へ落ち、コロコロ転がり、洗濯カゴまで辿り着いた。

母さんの顔は見えなかった。

ただ寂しく転がっているそれを見届け、ドアは閉まった。

こういう片付けはするものじゃない。もう、ぐちゃぐちゃでいい。

呑気に、お腹の虫が鳴った。チョコレートクッキーが食べたい。

より一層悲しみは増した。

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