第三話 体育館裏

 その日の授業は、ほとんどと言っていいほど頭に入らなかった。友達との会話も全部生返事で返した気がする。


 体育館裏に呼び出されるってことは、もうだろう。


 ど、どうしようか……。


 実感が湧かないし、じゃあ自分がどうすればいいのかというのもわからない。





 放課後、俺はランドセルを昇降口前のベンチに置いて体育館裏に向かった。ベンチには放課後の校庭で遊ぶ奴らのランドセルも並んでいるから、怪しまれることはない。


 道路に面していて、体育館の壁と道路側の柵に挟まれた体育館裏。数メートル間隔で植えられた桜の木があって秋でもギリギリ木陰が出来ている。


 少し湿った落ち葉が挟まったグレーチングの上を歩く。夏はカンカンとなるその足音も、落ち葉に吸収されていた。


「あっ……」


 自分の足の向く先に、黒髪をおしゃれに束ねた白い妖精が立っていた。


「つゆり……お、おまたせっ……」


 俺の声に彼女は顔を上げた。


「た、高橋君……。ごめんね、いきなり……」


「ううん。だ、だいじょうぶ」


 俺はポケットから昨日フードに入っていた紙を取り出して栗花落に向けた。


「こ、これの、ことで合ってる、かな……?」


「う、うん……」


 彼女は着ているワンピースの胸元にデザインされている水色の小さなリボンを細い指でつまんで、恥ずかしそうに顔を赤らめながら頷いた。

 

 この子を嫌いな男子なんてこの世に存在しないんじゃないか。


 そう感じた。


「ずっと前から好きで……その、よかったら、高橋君の、彼女になりたいって……」


 栗花落は、濁りなく綺麗な声でそう言った。元々声の小さい女の子だけど、その囁くような声に鳥肌が立つ。


 血管を血が巡った。巡って巡って目の前の彼女を捉えようとする。


 これが、現実なのかと。


「な、なんで俺……? 俺、足速くないよ?」


 足の速さも運動神経も中の上。多分顔もイケメンではない、と思う。栗花落と吊り合うのかと言ったら、答えは否だ。


 同じクラスになったのも今年が初めて。

 ずっと前からというのは……。


「二年生の時、助けてくれたの、覚えてる?」


「え?」


 三年前。俺が、栗花落を助けた?


「校庭で鬼ごっこしてた上級生とぶつかって、吹き飛ばされてコンクリートで足擦りむいちゃって。もう痛すぎて泣くことしかできなかったの。上級生は面倒くさがって逃げてったんだけど、高橋君は私を見つけて保健室まで連れてってくれて……」


 言われてみればそんなこと、あったような気がしないでもないでもないでもない。


「えっ、そ、そこから、ずっと……!?」


 彼女は、こくり、と頷いた。


「やっとおんなじクラスになれて、名前も知れて。私も、ちょっと気になるくらいかなって思ってたんだけど、もう気付いたら目で追っちゃってるから、好き、なんだなって……」


 そこに俺が彼女募集中のいたずらをされていたから、と。


 言葉が出なかった。


 目の前の妖精はふわりと顔を上げた。透き通った目で見つめられる。


 心なしか、木漏れ日が温かくなったような気がした。


「高橋君のことが好きです。よかったら、彼女にしてくれませんか……?」


 栗花落は、ぎゅっと目をつぶった。俺の言葉を待つようにじっとして。


 ど、どうする……?


 目の前には、自分に好意を寄せる可愛い女子。もちろん栗花落と付き合えるのであれば、俺も幸せだけど……。


 で、でもなぁ……。


「ご、ごめんっ……」


「っ……」


 彼女は俺の言葉に弾けるように息を解いて目を開いた。その瞳は微かに震えている。


「彼女募集中っていうのは、いたずらでされてたやつだから、それで本当に付き合うとかなったら、周りの奴がなんていうかわからない。俺は何言われてもいいけどさ、何も悪くない栗花落までなんか言われたら、俺のせいで傷つけたことになっちゃう」


 小学五年生の恋愛なんて、いかに周りのからかいに耐えるかだろう。


「栗花落に、嫌な思いはさせたくないから……」


「高橋君は、私のこと、嫌い……?」


 えっ。


「そ、そんなことないよっ。嫌いじゃないから、みんなに嫌味とか言わせたくないんだ。栗花落にはきっと、俺なんかよりいい相手いるから……」


「じゃ、じゃあ……」


 栗花落は急に俺にぐっと近づいて、俺の手を取った。


「っ!?」


「一日だけっ。一日だけでいいから、一緒に過ごしてくれませんかっ? その、仮カノっていうか……」


 か、仮カノ……!?


「そっ、それでもだめだったら、諦めるから……。お願いします。ちょっとだけでも、彼女になりたいんですっ……」


「え、えっと……」


 栗花落は再びぎゅっと目をつぶる。その目にはキラキラ輝くものが溜まっていた。

 彼女の匂いまでも感じるほどの距離で、脳みそが蕩けそうな気がした。夏でもないのに、体が火照っている。


 そんなに、お願いされたら……さすがに……。


「わ、わかったっ。わかったから……な、泣かないで……」


 俺は、ぎこちない手つきで彼女の肩に手を当てた。

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