第55話 陰陽交叉

 

 山南には、柔志狼の意図が理解できた。


 腰を落とし、弓月の身体を抱きとめる。

 懐より黒い符を取り出し、暴れようとする弓月の胸にそれを貼ると、印を押すように掌を押し当てる。

 すると、まるで糸が切れたように、弓月の身体が力なく崩れた。


「許してください」


 ぎょろり――と、血走る眼を剥く弓月を抱え、すでに身体を横たえているここねの隣に横たえる。

 すでに蝋のように血の気の失せたここねが、唇を微かに震わせ、小さく頷いた。


 時間がない――


 山南は頷き返すと意を決し、己の指先を噛む。

 指先に滲む血を使い、二人の周囲に井桁のような方陣を描いていく。

 そんな山南を、まるで発情した雌犬が威嚇するように睨み、弓月が歯を剥く。


「さと――」


 ここねの眼から涙が零れた。それを山南の指が拭う。

 

「このような方法しかない私の不甲斐なさを恨んでください」


 言葉とは裏腹に、山南の眼に迷いはなかった。

 ここねは声を出そうとしたが、その力すら残っていない。


「少し痛い思いをさせてしまいますが、許してください」


 赤い符を取り出しすと、ここねの胸に貼る。その上に掌を重ね、山南は呪を唱えながら氣を流し込んだ。

 その途端、血の気を失ったここねの身体に、赤味が戻る。それと同時に苦悶の表情を浮かべた。


 思わず視線を外し、立ち上がりかけた山南。だが、その手をここねが握った。

 ありがとう――と、ここねが唇を震わせる。

 その手に掌を重ねると、山南は頷いた。


 立ち上がり、懐より人型の符を取り出す。

 先程と同じように、その符に指先の血で“高台院”と書いた。同じものをもう一枚取り出し同じように書くと、二枚を重ね合わせる。

 それを両掌で合掌するように挟むと、呪を唱えた。次にそれを、二人の額の上に乗せる。


 山南に対して、左側が弓月。右側がここねである。

 指で、ここねの傷より血を拭うと、その血を弓月の上の符に付ける。同様に、弓月の血を拭い、ここねの符に付ける。

 左掌を弓月。右掌をここねの胸に乗せると、山南は小さく呪を唱えた。

 突然、弓月の身体が小刻みに震えはじめた。今までとは明らかに異なる反応である。


 すると、弓月の額に乗せられた人型の符が、見る見るうちに緋色に染まっていく。

 ぶしゅぶしゅ――と、煮立つような音をたてながら、朱い煙を噴き出す。

 その熱に煽られたのか、山南の額に玉のような汗が浮かぶ。


 その瞬間――


「破っ」


 気合と共に、山南の左掌から氣が迸った。

 弓月の身体が、大きく弓なりに仰け反る。

 同時に、額から人型の符が浮き上がった。


 それを掌で掬い上げるとすぐさま、ここねの額の符に重ね合わせた。

 がはっ――と、咽返り、弓月は動かなくなった。先程までの猛りが嘘のように、瞼を閉じ、静かに寝息をたてはじめた。


「良かった」


 安堵に息を吐く山南。

 だが次の瞬間。まだ胸の上に残る山南の手を払いのけ、ここねが弾けたように飛び起きた。


「いかん!」


 だが、周囲に立ち込める異様な気配に、山南は脚を止めるしかなかった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る