第50話 白虎将


 天羽は右腕を失ったことも忘れ、威風堂々とした白銀に輝く存在に眼を奪われた。


「――虎?」


 それは白き虎の姿をした高密度の氣の塊。


「将門流陰陽ノ術 五行招来ごぎょうしょうらい 天守五獣門てんしゅごじゅうもん 白虎将びゃっこしょう 顕現」


 己の刀身に剣印を重ね、山南が仁王立つ。


「成程。貴方の護法童子ですか」


 式神の打ち合いを目眩ましに使い、己の剣を触媒にし山南が護法童子白虎将を召喚したのだ。


「その昔、怨霊と化した平将門を鎮めるために、関東に根を張った陰陽師の末が将門流を名乗ったと聞きましたが」


 天羽の紅い口角が吊り上る。


「成程、五行は金氣の聖獣というわけですね」


 だが――と、ほくそ笑み、


「所詮は火剋金かこくごん。三体が相手ではどうです」


 陰陽五行説によれば万物は『木・火・土・金・水』の五つの要素『五行』から成り、互いに相生・相剋なる関係をもつ。相生は相手を生み出す陽の関係であるが、相剋は相手を打ち消す陰の関係を持つ。つまり『火剋金』とは炎により金属が溶かされることを示している。


 山南の白虎将が『金』の氣を纏うのであれば、天羽の炎天使はまさしく『火』。優劣でいえば炎天使の優位は動かない。だが白虎将は、いとも容易く炎天使を打ち破った。


 相剋の利をも覆す驚異的な力を秘めた山南の術を認めた上で、天羽は三体の炎天使を同時に襲い掛からせる。


「白虎将!」


 山南の命に、白虎将が咆哮する。

 赤白せきびゃくの高密度の氣がぶつかり合い、地下聖堂を揺るがさんばかりに火花を爆ぜさせる。

 わずか数合の後、互いの氣を削り合った末、最後に残ったのは白き虎であった。

 だが、その姿は陽炎のようにかすみ、揺らぎ始めている。


「これはさすがに称賛に値しますね」


 相克の不利に加え、数の上でも勝る炎天使を下した白虎将に、天羽が賛辞を漏らす。


「ですが――」


 だが次の瞬間、肩で息をする山南に向け、隠し持っていた短刀ナイフを放った。


「くっ」


 山南は短刀ナイフを鎬で弾くも、その際に剣を落とした。

 その瞬間、白虎将は霧散して消えた。

 同時にがっくりと膝を着くと、山南は大きく喘いだ。全身を、油のような汗が濡らしている。


「使い時を誤ったようですね」


 幼子を諭すように天羽が言った。

 自分の身に雷撃を放ち、天羽の呪を破った山南であるが、それは己の身をも削る両刃の剣。それに加え、大量に氣を消費する白虎将を召喚すれば、山南の自身に多大なる負荷を生じるは当然。

 だとしても山南の消耗具合は尋常ではない。


「この地下聖堂は、我が術式こそを相生するように組まれた方陣も同然。その中にあってこれだけの力を振るう貴方の将門流は見事。ですが、それも流石に限界でしょう」


 片腕を失った天羽が、勝ち誇ったように見下ろす。


「貴方の御蔭で、良い具合に機は熟したようですよ」

「どういう意味だ」


 呼吸が乱れ喘ぐ山南の眼に、信じられないような光景が映った。

 伏見丹に侵され、獣のように荒れ狂っていた暴徒たちが、一斉にまるで許しを請うかのように祭壇に跪き、死んだように動かない。


 弓月の胸にある十字架ロザリオがまるで、自身が光を放っているかの如く、紅く妖く光を放つ。

 瞬く間にその輝きは増し、白い裸体を晒す弓月を包み込むように広がった。

 その中で、苦悶に眼を見開いた弓月の瞳がさらに紅く光を放つ。

 まるでそれに呼応するかのように、壁のマリア像の瞳も紅く光を放った。


「――機は満ちた」


 天羽は、折り重なった人垣を踏みつけ、その天辺に立つと静かに言い放った。


「心して括目するがよい。――神が再びこの世界に生れ落ちる刻です!」


 天羽の言葉を合図にしたのか。

 突如、弓月の身体に、一際強く輝く光点が現れた。


「な、なんだあれは――」


 山南が眼を見張る。


 頭頂に一つ。胸・腹・陰部と、縦に四つ。

 その両側、左右に三つずつ。

 弓月の身に、全部で十の紅い光点が灯る。

 奇しくもそれは、この地下聖堂の天窓の位置に相似していた。


「こ、これは……まさかりんか――」


 りん。或いはたんとも呼ばれるそれは、体内で氣を錬るときに意識をおく霊的部位である。遠き天竺インドのヨーギにおいてはチャクラとも呼ばれ、人間の体内に七つあるとされる霊的器官として認識されている。それは大地にあって氣脈を制御する要石や龍丹炉りゅうたんろと同じ性質を持つ。


 山南の術も柔志狼の力も、ここで氣を錬る事により生まれる。だが山南の知るそれは通常、人体の中央に沿って配される七つ。



 泥丸でいがん

 印堂いんどう

 玉沈ぎょくちん

 膻中たんちゅう

 夾脊きょうせき

 丹田たんでん

 尾閭びろ


 だが弓月の身体に浮かび上がったそれは、まるで呪式だった。


 

 ケテル。

 コクマー。

 ビナー。

 ケセド。

 ゲブラー。

 ティファレト。

 ネツァク。

 ホド。

 イェソド。

 マルクト。


 弓月の身に灯る光を数えるように、天羽が順に指をさす。


「御覧なさい。あれこそが天井に描かれた生命の樹。遠きエデンの園に植えられた天地あめつちをつらぬく大樹。マリアの身に実りし光の果実こそ、神の真理セフィロト


 そんな天羽の言葉が引き金になったのか。

 天窓から降り注ぐ霊氣の輝きが増し、十本の光の柱が地下聖堂に降り立った。

 光に照らされた床石に仄かに呪紋が浮かび上がったのを見て、山南が言葉を詰まらせた。


「太閤桐……」


 そこに浮かび上がったのは、五七の桐紋。

 古代中国に置いて鳳凰の止まる木とされる桐紋は、天皇家の家紋であった。それが後に戦国大名などに五三の桐紋として下賜されるようになった。


 その中でも豊臣秀吉は、天皇家も使用していた五七桐紋を下賜された。特に秀吉は、五七桐紋に手を加え自分専用の「太閤桐」を生み出した。

 床石の上に浮かび上がった紋は、まさにこの太閤桐であった。


「矢張り……」


 この場を作らせたのは秀吉ということなのか。


「ひぃぃいいいいいいいいい――――」


 引きつれた悲鳴が、山南を現実に引き戻した。

 弓月が突如、悲鳴を発したのだ。


「生命のセフィロトにより天と地が繋がりました」


 天地を貫く霊氣の柱が、弓月の身体のセフィロトを貫き、仄かに光る床石と繋がった。


「弓月さん!」

「さあ、聖母の降臨ですよ」


 天羽が歓喜に声を昂ぶらせる。

 きひぃぃ――と、弓月が身を仰け反らせた。


 その声に反応したのか。

 マリア像の瞳に灯った紅い光が、まるで涙が溢れるように零れ――仰け反る弓月の瞳に落涙した。


 その瞬間だった。

 金属の砕けるような音が空気を震わせ、なにかが弾けた。




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