第33話 鬼童笑


 どうなってやがるんだ――怒声ともに土方が障子を叩きつける。


 いつもの事とはいえど、その場にいた者が一斉に視線を向けた。

 だが怒り心頭の土方が、八つ当たりのようにひと睨みすると、全員が居住まいを正し、己の支度に勤しむ。


「そうカリカリしても、仕方がないだろう」


 少し離れていたところで、刀の目釘を確認している永倉が苦笑する。


「なんだと」


 怒気とも殺気ともつかぬ眼で、土方が睨んだ。


「近藤さんが了承したのだ。我らがとやかく言う問題ではない。それに、これが我らの――」


 御役目だ――と、鬼の面相を受け流す。このような時の土方に対し、平気で意見を言えるのは、江戸の時からの仲間――いわゆる『試衛館派』の連中くらいのものである。

 その中でも冷静に正論を吐く永倉と山南には、土方は特に苦手意識があるようである。


「うるせぇ。そんな事ぁ分かってんだよ」


 到底、落ち着いたようには見えないが、少なくとも土方の口調からは殺気は消えていた。


「それにな、近藤さんじゃねぇだろ」


 局長と言え――と、永倉に舌を打つ。


「お前等! とっとと準備を整えろ」


 その場にいた隊士らに激を飛ばすと、土方は再び部屋を後にした。


「全くどいつもこいつもよ」


 障子の向こうで聞こえた土方の呟きに、永倉も心中は同じ気持であった。


 松平容保の施楽院への転居が急遽、今夜行われることになった。

 本来であれば三日後の予定であった。無論、新撰組としても、それに合わせて動いていたのだ。


 だが、黒谷の本陣から急な使いが来てそのように命を受ければ、新撰組に否の返事などありはしない。

 貴様らには知る必要もないとばかりに、変更の理由など聞かされぬのはいつもの事である。


 だが噂によれば、容保の体調が思わしくない様である。それを慮った孝明天皇が一刻も早く静養するようにと言ったとも聞く。


 なんであれ、末端の末端である土方らに、不平不満を言う資格などない。

 だがそれでも、己らを軽んずるかのようなこの扱いに、納得などいくわけもない。


 鼻息も荒く、山南の部屋の前を通りかかった時だった。

 気配のない山南の部屋に、土方が舌を打つ。

 別行動を許したのは近藤と土方である。にも関わらず、山南がいないことが苛立ちに拍車をかけていることに、土方は気が付いていない。


 ふん――と、鼻を鳴らし足音を荒げてその場を立ち去る。

 認めることはないが、山南を誰よりも評価しているのは土方なのかもしれない。

 そしてもう一人――苛立ちの原因となっている者の部屋の前に、土方は立った。


「総司。出動られるのか」


 返事はない。

 柳眉を歪め、土方が溜息を吐く。

 灯りこそ消えているが、部屋の中に気配はある。


「おい総司。返事くらいしやがれ」


 返事を待たず、障子を開いた。

 すると、氷のような気配が土方の顔を叩いた――気がした。


 薄暗い部屋の真ん中に、剣を抱いた黒い影が蹲っていた。


「総司……」


 その、らしからぬ異様な雰囲気に、さしもの土方が一瞬、気圧されする。


「いるのなら、返事くらいしやがれ!」


 それを気取られぬよう、語気が強くなる。


出動られますよ。もちろん」


 ゆらり――と、沖田が立ち上がった。


 体調が戻ってないのだろう。力無い幽鬼のような姿に「休んでろ」と、土方が声を掛けようとしたときだった。


「今日は久しぶりに調子が良いんです」


 滑るような足取りで、沖田が近づいてきた。


「鬼でも仏でも斬れそうなくらいにね」


 そう言って微笑む沖田の瞳が、鈍くに光を発した。



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