第27話 迷閑定


 あの夜からすでに三日が過ぎていた。

 土方・山南の両局長の報告を、近藤は黙って聞いていた。


 山崎丞からの報告を受け、葉沼屋に踏み込んでみたものの、葉沼屋藤兵衛を始めとする家族三人及び、住込みの奉公人ら十五人全てが死亡。直後に起こった出火により、店を含む家屋が全焼した。

 それにより、伏見丹についての証拠は見つからず、事件は全て有耶無耶うやむやなまま幕を引かざるを得なかった。


 それに対し、出動した隊士のうち二名が死亡。九名が重軽傷を負った。踏み込む前に葉沼屋を見張らせていた、志村という隊士も行方不明である。

 

 不逞人柔志狼の行方や黒い化物のこと等、何一つ掴めておらず、これでは会津に対して面子が丸つぶれである。

 

 唇を噛みしめていた近藤が、ようやく口を開こうとした時だった。


「葉沼屋に出場などなかった」


 そうですね局長――と、土方が言った。


「……うむ」


 鉛を呑んだような表情で、近藤は頷いた。


「待ってください」


 あまりの暴論に、山南は腰を浮かせた。


「山南。局長の決定だぞ」


 土方が冷淡に言い放つ。


「土方君。君に言っているのではない。私は――」

「山南副長は、この新撰組を潰すおつもりか」

「なにを言う」

「今が我々にとって大事な時期であるということが、理解できないのかと言っている」


 芹沢鴨ら水戸派を排除し、漸く会津藩からの信用も厚くなってきたところである。着実に実績を重ね、組織としても体勢が整ってきた今日。このような件で汚点を残すべきではないという土方の考えは、ある意味正しい。


「伏見丹の件は、なにも解決していない。なにより、死傷した隊士たちに申し訳が立たぬではないか」

「葉沼屋が供給元だとすれば、屋敷は全焼。関係者は皆死んだ。あとは市中に残るブツを潰せば問題あるまい」

「だが隊士たちには――」

「死んだ二名の親元には、充分な見舞金を出す。負傷した奴らにもそれなりの報奨は与える。勿論、口が緩まぬよう充分に言い含めてな」

「そういう問題ではない」

「そういう問題なんだよ!組織を盤石なものとし、圧倒的な力を見せつける事こそが、俺たちの務めには何より必要なんだよ。結果、それが阿呆な不逞の輩に睨みを利かせる。その為には、昨夜のような事は在ってはならねぇんだ」

「土方君……」


 それにな――と、土方は山南を睨むように見つめ、


「こんなちんけな件に、いつまでも関わっているわけにはいかねんだよ」


 なぁ局長――との土方の言葉に、近藤は眉間に深い皺を刻んだ。


「山南さん。実はな――」


 土方に促されるように、近藤は重い口を開いた。



「容保公が……」


 兼ねてより懸案事項であった、激務からくる心労がたたったのか、著しく体調を崩した容保の施楽院への静養転居の日取りが、三日後と定められた。


 京都守護職である松平容保といえば、長州を始めとする尊皇攘夷派にとっては仇敵といっても過言ではない存在。何時いかなる場所で襲撃が有るかも知れぬ以上、会津にとってみれば猫の手でも借りたいというものである。

 新撰組にもその警護の任が降りたのである。


 近藤にしてみれば、心情的には山南の意見は分かる。だが、会津からの命が下った以上、葉沼屋の件を引き摺るわけにはいかない。


「ですが局長――」


 山南にしてみても、近藤の気持ちは痛いほど良く分かる。新撰組が会津藩のお預かりである以上、下命は絶対である。そもそも武家社会の仕組み中で生きる以上、そこに拒否など存在しない。

 なにより、近藤にとってみれば容保は新撰組を救い上げてくれた大恩人であり、まさに主君そのものである。

 その容保が病に伏して療養するというのであれば、何を差し置いても力添えしたいのであろう。


 だが伏見丹をこのままというわけにもいかない。

 松恋から聞いた話によれば伏見丹は、西洋の霊薬の一種。だとすれば、その裏にいるのは天羽四郎衛門と考えて間違いはない。

 だとすれば一連の殺しも伏見丹も、全ては『聖杯』に関係してのことであろう。

 ならば、葉沼屋が亡くなったぐらいで伏見丹が根絶できたとは思えない。

 だがそれを近藤や、ましてや土方に伝えたとて、一笑に付されるのが関の山だろう。


 歯痒さに、山南が唇を噛みしめた。

 その時だった。


「なら、あんたに任せる」


 なぁ、局長――と、土方が言った。


「近藤さんと俺が居れば、会津公の警護の件は大丈夫だろう。他に人手は回せないが、山南副長なら問題ないだろう」


 と、土方は含むように近藤を覗き込む。


「頼めるだろうか」


 と、辛そうに天井を仰ぐ近藤に対し、山南は頷くしかできなかった。

 






 どうしたものか――と、自室の天井を見つめ、山南は肩を落とした。

 部屋の外は昼夜を問わず、慌ただしく人の行きかう気配が絶えない。だが山南は独り自室で思案に耽っていた。

 新選組の立場を考えれば、土方の言い分は理解できる。


 だが――それでいいのだろうかと、山南は思う。

 そもそも山南たちは縁あって、江戸で「天然理心流 試衛館」の近藤勇の下に集った。


 沖田や土方などは元々の門人であるが、山南や左之助などは客分である。だが、動乱の世を憂う近藤の熱い思いに突き動かされるように、共に浪士組に参加しこの京までやって来たのだ。

 そして、筆頭局長であった芹沢鴨ら水戸派の暴挙を排除してまで、尽忠報国のために、新撰組をまとめ直したのだ。

 それなのに、大事の前に小事を捨てることを、山南は納得が出来なかった。


 しかし――


 土方のあの言いようは、山南に対して体の良い厄介払いのようにとれる。

 だが、小事を切り捨てぬが故の、土方の判断であるとも取れよう。

 だからこそ山南は、同じ副長の立場でありながらも、土方に対して、絶大な信頼を置いているのである。

 ならば『任せる』という言葉を、自由に動ける大義名分として、有難く受けるべきだろう。


 そう思ってもなお、山南の心中は晴れやらぬ。天井の板目を見つめ溜息を一つ吐いた。


 松恋の話によれば伏見丹は、西洋の『錬金術あるけみぃ』で作られた外法の呪薬であるという。

 人を獣に変じさせるとも言っていた。葉沼屋に現れたあの黒い魔獣も、呪薬によって生み出されたものであろうか。


 聖杯。

 織田信長。

 ルイスフロイス。

 純白のマリア。

 伏見丹。

 黒い魔獣。

 七つの大罪。

 

 様々な要素が泡沫のように浮かんでは消える。


 葛城柔志狼。あの男ならば、足らぬ欠片を持っているのか。だが何処にいるのかなど、山南に知る由もない。


 なんであれこれ以上、人外の理で無辜むこの血を流させたくはない。それは山南の信念といってもよいものだった。


 よし――と、意を決したかのように頷くと、山南は剣を手に立ち上がった。

 もう一度、天羽に会う。

 最も確実に最短を攻める。それしかあるまい。

 豊壺屋へ出向くべく山南は部屋を出た。

 そんな山南の眼に、忙しなく走り回る隊士たちの姿が映る。

 軽く頭を下げ、横を通り過ぎようとする若い隊士を、山南は呼び止めた。


「沖田君を見なかったか?」

「いえ。今日も姿を見かけませんが」


 気もそぞろに答えると、慌てたように走り去っていく。

 沖田が体調不良を訴え、部屋から顔を出さなくなったのはいつからだったろう。

 葉沼屋への出動の時は、近藤の供として黒谷に出向いていた。だが今思えば、あの時にはすでに様子が変であった。


 いつもの沖田であれば、近藤や土方が何と言おうとも、葉沼屋への出動を訴えるだろう。

 しかし、あの日に限っては自ら近藤の供を買って出た。

 当然、一同は不審に思いはしたが「風邪気味なんですよ」と、背中を丸め湿っぽい咳をする沖田を見れば、疑う者などいない。


 それにだ。葉沼屋の一件、出動していなくとも本来の沖田であれば、根掘り葉掘りを聞きたくて、すっとんで来るはずである。

 だが、あれから三日も経つというのに、その様子もない。


 山南も、沖田の部屋を何度か訪ねてみたが「大丈夫です。少し寝かせておいてください」と障子の向こうから答えるのみで、顔すら見せない。

 近藤や土方を始め、皆が心配をしているのだが、容保警護に向けてそれどころではない。

 せめて様子を窺おうと、出掛ける前に沖田の部屋へ向かう。


 閉めきられた障子の向こうに、確かに沖田の気配はある。

 だが――あまり具合が良くないのだろうか。沖田の〝氣〟が儚げである。


「沖田君。入りますよ」


 返事はなかった。

 しかし、微かに気配が揺れた。

 構わず、障子に手を掛けたが、その手を背後から掛かる声が止めた。


 原田左之助だった。

 どかどかと足音を立て、こちらに近づいてくる。


「サンナンさんよ!あんた、えらいこっちゃで!」


 にやけ顔で近づく左之助を見れば、それが言うほど重大な事ではないということは、容易く想像ができた。


「どうしました?」

「この色男が! 付け文が届いてるぜ」


 と、丁寧に折りたたまれた文を差し出した。


「色ごとに無縁な朴念仁かと心配してたけど、どうしてどうして、あんたも中々隅に置けないな」


 本人は声を潜めているつもりなのだろうが、左之助の声では隣近所まで筒抜けである。


「これは一体誰が?」


 思い当たる節はない。


「ありゃ、どこかの置屋のだな」

「おちょぼ?」


 まだ見世出しにもならぬ、仕込み中の芸妓の卵である。

 左之助の言葉になぜか一瞬、弓月の顔が浮かんだが、山南は打ち消すように首を振る。


「サンナンさんだけでもよ、土方の旦那に知れたら怒り心頭だぜぇ。おいおい」


 意味深に嗤う左之助に、愛想笑いを返しつつ、山南は文をあらためる。


「ところで。総司の奴、どうだい?」


 左之助が神妙な声を出した。


「――返事がなかった。眠っているのだろう」

「医者に診せなくていいのかな」

「それは私も思っているのだが、会津公の転居の件が終わるまでは——」

「それも、そうだよな」


 沖田とは、悪童兄弟のような左之助である。弟分があの様子では心配で堪らぬのだろう。


「私は出掛けてくるから、帰りになにか精のつくものでも買ってくるよ」


 読み終えた文を懐に入れると山南は、左之助の肩を叩いた。


「出掛けるのかい。なら、供が必要だろ。俺も付き合うぜ」


 待ってましたとばかりに、左之助が袖を捲り上げる。


「いや、私一人で大丈夫だ」

「おいおい、そんなこと言うなよ。一人だけ別任務座敷遊びなんてズルいぜぇ」


 でかい身体でしなを作り、左之助が媚を売る。


「そうではない。仕事ですよ。なにか情報が入ったようなので、話を聞いて来るだけです」


 山南が苦笑する。


「いや、でもよぉぉ――」


 それでも尚、左之助は食い下がる。


「土方君に怒られますよ」


 だがその言葉に、がっくりと肩を落とし、


「おちょぼが待ってるぜ……」


 と、玄関を指さし溜息交じりに背を向けた。


「ありがとう。行ってくる」


 項垂れる左之助の背を見送り、山南は外で待っている禿のもとへ向かった。

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