重力、遺書、ハッピーエンド

鍋島小骨

遺書(二)

 ああ、と悲鳴を漏らした少女は側に横たわる恋人を茫然と見詰めたが、やがて彼の腰のベルトから短剣を抜き取った。

「今、おそばに」

 そして少女は剣先を自らの喉に向けようとしたが、その時、




   *   *   *




 新政府が樹立され天紀に改元、同時に『精神的苦痛防止に関する公共表現法』が施行されて今年で十八年になる。通称は様々あったようだが、今ではハッピーエンド法という俗称が一番通用している。

 表現の中で架空の存在が虐げられ傷つけられることを禁じ、人を悲しませるような、あるいは不道徳・差別的な行いを推奨するような表現の禁止を定めた罰則つきの法律だ。それゆえ、僕たち国民は特別の手続きを経て許可を受けなければ天紀元年より前の文献や映像を閲覧できないことがある。

 表現の自由、思想信条の自由の侵害だと言い立てる向きもあるようだが、許可さえ取れば読めるのだし、新しく作るのだって禁止はされていない。出版して売らなければよいし、人にすすめなければよい。個人としてそのような表現作品を読んだり作ったりする自由はあるのだ。

 それに、政府は過去の作品を掃討したわけではない。制限文献となった原作から法の定めるハイリスクポイントを回避する形で翻案された作品が国家芸術院によって提供され、誰でも自由に読むことができる。

 例えば、『マッチ売りの少女』『白鳥の湖』などは原典では辛い目に遭った主人公が死ぬラストだが、国芸版では多少山谷があるものの最初から幸福だし死なない。『赤毛のアン』シリーズ原典では作中で元孤児の主人公の養父や子が死ぬが、国芸版ではそのようなことはない。

 現代の作家たちは法の許す範囲の表現で創作を行い、出版社等がそれをガイドラインに従って判断し可となれば発売される。発売判断は全件が国によって点検され、違反があればしかるべく罰せられることになっている。常習と見なされれば会社としての業務停止処分もあり得る。

 これを諸外国は検閲主義と批判するが、単に価値観が変化しただけのことだ。奴隷制度の非人道性を学び制度を廃止したあとの社会で奴隷制度を当然視したり賛美する作品はそう生まれない。同じことだ。



 僕は課題のために国家図書院にアクセスしている。大学の課題で、ヨハン・ゼバスティアン・バッハなる作曲家の生涯についてレポートを書くためだ。西洋音楽概論という楽勝単位のために興味もないのに取った講義だが、一応のものは書きたい。課題の作曲家は何人かいて、バッハを許可されたのは僕を含め三人。これも、僕の成績がよくだからだ。

 バッハという人は君主とキリスト教の神に仕え、主にキリスト教の教会で演奏するための音楽を作ったという。それゆえ、国家芸術院から出ている人物辞典などでは詳細を知ることが難しい。どうしても制限文献の閲覧が必要になるので、教官も誰にでもこの題材を与えるというわけにはいかない。

 我が国では、彼が信仰したキリスト教は禁止されている。天紀前宗教群は多くその教義や聖典に、受け取る者の心に精神的苦痛を与えるような表現を含むからだ。したがってそれら宗教の文献や、宗教と強く結び付いた作品、その作者についての文献は制限文献に指定されており、許可を得て国家図書院で閲覧することになっている。

 ハッピーエンド法に関わる前科のある者、感情的すぎるとして要注意認定されている者などリスクの高い個人には制限文献の閲覧許可が出ない。そうした文献にアクセスできるということはそれ自体、本人のを証明していて、僕もその一人だ。両親は官僚、国内トップの第一大学にストレートで入学し成績優秀、幼い頃から明るく穏やかな性格で感情リスク履歴は白紙。つまり、



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