仮ヶ音ミドリコの物語ったこと(1)①

 

 

 

■仮ヶ音ミドリコの物語ったこと(1)

 

 

 

 1992年6月21日。

 月の照らすクラマ山で樹齢400年の老杉が倒れたとき、それ・・が生まれた。

 それ・・は大木の影から鼻先を突き出し、小さな牙の間から声をあげた。はじめ戸惑いがちに、やがて歓喜を、あるいは怒りを叩きつけるように……。


 この生誕のヴィジョンが、いつわたしに宿ったのかはわかりません。5歳のころには、この月夜の映像を求めて深夜に自宅マンションを抜け出すこともありました。


〈本来の自分はいまもクラマ山の闇に息づいていて、何か致命的な手違いがこの場所、この肉体に自分を閉じ込めた〉


 わたしはそう理解していました。

 それは自明のことだったので誰に話すこともなく、わたしは本来あるべきだった自分に――それが存在する世界にどうやって戻るかを考え続けていました。

 それは口数の少なさ、不審げに周りを睨む視線として現れ、母や保育士の心配を招いたようですが、整ったと褒められる顔立ちのせいもあってか、個性の範疇を超えたとはみなされませんでした。


 9歳のとき、長らく病床にあった父が亡くなり、母ともども祖父の大きな一軒家に移り住みました。

 がらんとした屋敷のなか、天井まで書物で埋められた陰気な書斎で、わたしはその言葉に出逢いました。


『反世界への飛翔は現実からの逃避ではなく、隠された扉をひらいてその奥なるものの姿を見きわめるための方法である』


 たまたま開いた本の一節。

 紙とインクの匂いのなか、わたしは自分の衝動をはじめて言葉として認識しました。あの月夜のヴィジョンは、世界に秘められた扉を開き、その“奥なるものの姿”を見きわめろと命じていたのです。


 それは2001年のことでした。

 すでにインターネットが世界を覆っていました。

 その年、IT基本法(高度情報通信ネットワーク社会形成基本法)が施行され、NTTの「フレッツADSL」やソフトバンクの「Yahoo! BB」といった通信サービスが日本中にばら撒かれて、常時高速通信を可能とする情報インフラが急速に整いつつありました。

 Googleはその前年、日本語でのサービスを開始しました。それは人間の分類する「ディレクトリ型検索」に変わり、ワールド・ワイド・ウェブを巡回するプログラムの収集した情報を自動的にランク付けする「ロボット型検索」の台頭でした。

 情報を電子的に管理する構造アーキテクチャが人間と人間のあいだに流れ込み、そのことを誰も特別意識しないように見えました。

 その構造が、わたしが使命を果たすためのツールになりました。


 わたしはその屋敷で、祖父が買いっぱなしにしていたWindowsのPCをほとんど無制限に使えました。それは常時ブロードバンドでインターネットに接続されていました。母は行儀作法を厳しくしつけましたが、一方でわたしの行動にはほとんど関知せず、祖父も母娘の日常生活には介入しませんでした。

 わたしはその暗い家のなか、ひとりPCの接続する情報とともに人格を育みました。モニタに現れる情報の海はわたしを呑みこみ、その奔流のなかでわたしは“扉”を探しあてたように感じました。

 それはまず、掲示板という情報交換システムとして現れました。


 はじめて掲示板に書き込むとき、わたしは戸惑いました。名前を求められたからです。

 “リコ”と入力しました。

 その瞬間、なにかの制限ロックが解除されたようでした。

 それまでモニタに表示されるテキスト群はすべてフラットな情報でしたが、自分の名を記したとき、そこに人間が現れました。

 やがてチャットやインスタントメッセンジャーが――MSNメッセンジャー、Yahoo!チャット、Skype、ICQがわたしの前に開かれました。

 テキストを入力すると即座に返答が現れる。それは紛れもなく人間との会話です。

 “リコ”はテキスト情報として「存在」し、その周囲にはテキスト情報として存在する無数の人間たちがいました。

 それらの人間は、家や学校で会う人間と違い、恥じることのないふるまいをしなさいとは言いませんでした。お友達との交流を深めなさいとも言いませんでした。

 それらはただ、崩れ落ちる高層ビル群を眺める映画のラストシーンの美しさを語りました。マネキン人形ダミーと名付けられたエレクトロニック・ミュージック・アルバムに流れる暗い冬の日のように心地よい空気を語りました。ゴーストの宿る義体を描いたマンガがアーサー・ケストラー『機械の中の幽霊』からどのような影響を受けたかを語りました。

 わたしはインターネットの編みあげる電子の構造を通じて、さまざまな人間たち情報と会話しました。

 そこには顔もなく、声もなく、体温もない。性別も年齢も社会的立場すらなくていい。情報は限られていました。わたしが違和感を持ち続けた肉体――わたしにコントロールできないノイズのような情報は排除されていました。


 直接会った人間とは、チャットもメッセージも交わしませんでした。

 母はわたしを都内にある小中高一貫の私立女子学校へ通わせていて、わたしは与えられた制服と授業を受け入れ、母の言葉に従ってクラス委員にもなりました。

 それはまるで、異なる民族に溶け込もうとする文化人類学者です。だからわたしはルールを厳格に守ろうとしました。

 ところが、友人とはなにかがよくわからなかった。友人関係においては明文化されないルールが無数にあり、しかもそれは高い頻度で変化したからです。

 インターネットの構造上に存在するわたしと、学校でクラス委員としてふるまうわたし。ふたつはまるで違っていました。

 自分という存在のゆらぎ。

 そう自覚したとき、クラマ山の闇であの獣がはああと息を吐きました。

 自分という枠組みをゆるがせるこの構造こそ、世界の扉なのだとわかりました。

 そこでわたしは、ゆらぎを意図的に増幅しようと試みます。肉体のかせもなく、社会的に規定される人格こころにも縛られない構造において、それは可能だと思えたのです。


 2002年、10歳の冬でした。

 この年運営が開始されたファイナルファンタジーⅪは、大規模多人数参加型オンラインゲームMMOとして大きな成功を収め、すでに20万のプレイヤーがその世界ヴァナ・ディールでコミュニティを形成していました。自ら選んだ種族、職業による、ヴァナ・ディールだけの20万の人格キャラクター

 けれどわたしが選んだのは、ハイファンタジーの異世界ではなく、過疎気味な地域ローカルコミュニティのチャットルームでした。存在のゆらぎ、そのためには物理的に実在する場所をベースにすべきだと考えたのです。




〈手法①〉

 テキスト情報人間はアカウントごとに識別されるため、複数のアカウントを用いることで複数の人間として存在できる。この特性を活かし、同一のチャットルームに複数のアカウントでログインすることで、自分の単一性にゆらぎを与える。


〈実践例①〉

リコA:千束池のベンチで待ってたけど、例の猫は来ませんでした……

リコB:残念でした。こんど写真撮れたらアップしますね。

リコC:図書館に『鼻行類』が入ってましたよ。もしかしてリクエストしました?

リコD:そうそれ、ぜひ読んでください。変わった生き物の生態はそれだけで面白いから。




 その自作自演の実験は、チャットルームを訪れる他人に気づかれることもなく、淡々と続けられました。しかし子供の遊びの常として、わたしはすぐそれに飽きてしまったでしょう。

 ある日、チャットルームでその呼びかけを聞かなければ。


「キミは、誰だい?」


 その口調はどこか現実離れして、アニメのキャラクターのようでした。

 アカウント名は、かさねといいました。




 ◆ ◆ ◆

 

 

 

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