第22話

ブラバンの全員が途方にくれている時、翔太は停学中に課せられた課題を提出する為に職員室を訪れていた。


 まだ一学期だというのに停学などくらったことで親はかんかんになり、翔太は父親からこってり絞られ、母親からは小遣いなしの処分を言い渡され、毎日ねちねちと小言を聞かされうんざりしていた。


 しかし翔太は誰になんと言われようと自分が間違ったことをしたとは思っていなかったので、すでに何枚にも渡って書かされた反省文にはなんの意味もなかった。


 課題は全教科に渡っていたので、翔太は化学科の職員室で専門科目のレポートを提出し、それから数学や国語といった一般課目の提出の為に各教科担当のところを行脚してまわらなければならなかった。


 持田や斉藤はもちろん、クラスの奴らも翔太に罪がないことは理解してくれていたが、事件が起こる前と今では世界が一変してしまったかのようだった。


 数日来ないだけで学校はまるで知らない場所のように空気を変える。事実、こうして学校に来てはいてもクラスの連中に姿を見せることは許されておらず、誰とも口をきくこともなくぽつりと孤立したような気分にさせられていた。


 寂しいというのではなく、ただ「一人」だと思うこと。翔太はいつも一人で本を読み、小さくなっている常山の心に深く刻まれているであろう傷についても考えずにはおけなかった。


 どのぐらい一人きりでいたんだろう。その孤独と痛みはどれほどだったろう。好んで一人になるのと、一人にされるのではまるで違う。翔太には常山が自分の意思で「一人」を選んでいるとは思えなかった。


 翔太は根気強く職員室をまわり、一渡り課題を提出するとようやく少し解放された気持ちで食堂の前のベンチでコーヒーを飲んだ。いつ飲んでも、紙コップのコーヒーは薄っぺらな味がする。


 ベンチに背中を預け、足を投げ出す格好でだらしなく空を仰いで一息吐きだす。


「停学野郎」

「えっ」


 突然声をかけられ、油断していただけに翔太は飛び上がった。食堂の二階に続く階段の上がりくちに生徒会長が立っていて、にやにや笑いながら翔太を見ていた。


「会長~」


 その呼び方やめてくださいよ……、翔太はそう言いかけたが、近づいてきた会長が眼鏡の奥の涼しい目を何やらおかしげにほころばせているのに気付くと、すぐに防衛本能が働いて身構えた。なにやら、胡散臭い。


「聞いたよ。停学」

「……はあ」

「まあ、しょうがないよな。先に殴った方が悪いんだからな」

「……」

「でもお前は悪くないよ」

「……」

「それにしてもお前は要領が悪いな。どうせならもっと上手くやればいいのに」

「……そんなこと言われても」

「まあいい。とりあえず、成績だけ落とさないように気をつけるんだな。出ないとダブっちまうぞ」

「分ってます」


 注進なのか嫌味なのか分からず翔太は会長が自販機からコーヒーを買うのを見守っていた。


「ブラバン」

「はい?」

「活動予定、見たよ」

「あ、はい……」

「運動部の試合の応援って、あれ、来月の野球部の試合のことだろ」

「え?」


 翔太は何を言われているのか分からなかった。分からなくて、きょとんとした顔で幾度も瞬きを繰り返す。野球部の試合の応援なら、田口さんが断ったはずだけれども。


 そんな翔太の困惑には目もくれず、会長は続けた。


「運動部の応援っていっても公式戦でブラバンが出張っていける試合なんて、野球部ぐらいだろ。空手部や水泳部にブラバンの応援は必要ないからなあ」

「……え……」

「お前ら、バスで行くの? 交通費は支給されるから、明細提出しろよ」

「えっ……なに……。どういうこと……」

「どうって。だから。お前ら野球部の応援に行くんだろ? まー、人数少ないからちょっと寂しいかもしれないけど、お前らブラバンのやる気は大事だと思うよ? 練習、頑張ってな」

「え。ちょっと待って下さい。応援なんてそんな急に無理ですよ」


 翔太が言うと、会長は笑っていた瞳を急にくもらせ、眉間に皺を寄せた。


「無理もなにも。お前らの活動予定だろうが」

「そ、それはそうですけども……」


 まずい。翔太は頭の中で鳴っていた警報がやはり正解であったことを我ながら凄いと思い、でも、すぐに自分の直感どころの話しではないと思い直して慌てて言葉を継いだ。


「だって斉藤と持田はまだ素人同然だし、四人でできる曲なんてそんな……!」

「そんなこと俺は知らん」

「会長」

「お前らが活動予定に入れたんだろうが。書いたからには予定はこなしていくのが当然だろう」

「でも、予定は未定っていうか……」


 いよいよ翔太はしどろもどろになって訴えた。しかし、会長の表情はますます冷たい能面のように変貌していき、もう、明らかに不愉快そうに、

「予定は未定? それは確かにそうかもしれないけどな。でも、それはアクシデントがあった場合のみであって、提出した以上は最善を尽くすのが当然じゃないのか。出来もしない予定を書く方がどうかしてるだろう」

 と吐き捨てた。


「言っとくけども。誰がそういうくだらない入れ知恵したのか知らないけど、お前らが決めたことなんだから、必ず遂行してもらう。できないならブラバンは潰れるだけだ」


 ああ。翔太はもう返す言葉がなかった。会長は鼻先でふふんとばかりに勝ち誇ったような皮肉な笑いを残して、コーヒー片手に食堂の二階へとあがっていった。


 翔太は手の中に残っていた今はもうすでに冷めてしまったコーヒーを飲み干した。コーヒーは絶望の味がした。


 立ち上がり、紙コップを捨てよろよろと歩きだそうとしたその時、頭上から会長の声が降り注いだ。


「停学野郎」


 翔太が仰ぎ見ると、二階の窓から会長が顔を覗かせていた。


「図書委員の常山くん。学校来てないらしいけど」

「え」

「怪我。そんなひどかったのか」

「えっ……」

「常山くん、図書委員の仕事きっちりしてくれて助かってたから、お前、会ったらよろしく言っといて。早く復帰してほしいって」

「会ったらって……。俺、停学中なんすけど」

「お前ら友達じゃないの?」

「……」

「じゃあ、頼むわ」


 会長はそれだけ言ってしまうと顔を引っ込め、窓をぴしゃっと閉めた。


 ブラバンの活動予定が洒落にならないことになっている事。常山が学校に来ていない事。翔太はその場に崩れ落ちそうになるのをかろうじて堪えて、職員室へと歩きだした。残る課題を提出し、それから、ああ、それから。一体自分は何をどうすればいいのだろう。


 よろよろと生気のない足取りで校舎へ向かって行く姿を、翔太は知らずとも生徒会長は窓から見つめていた。そして、その背中がなんともいえない絶望に打ちひしがれているのを、一人でくすくすと笑っていた。

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