第12話

金曜の夜の街はざわついていて、歩きにくい。翔太は斉藤たちと駅で待ち合わせ、目当てのライブハウスへ向かっていた。


 人ごみをすり抜けて線路沿いの道を行く。三人ともジーパンにTシャツといった格好だったが、春とはいえまだ夜の空気は冷たく薄手のパーカーや長袖のシャツを羽織っていた。


 ライブハウスはチラシに書かれた地図を確かめずとも、少し歩けばすぐにそれと知れた。なぜなら、近づくにつれていかにも「バンドやってます」とか「バンギャです」といった雰囲気の人々とすれ違い、いよいよライブハウスの看板が見える頃にはその周辺をライブにやってきた人々がたむろっていたので探すことも迷うこともなかった。


 入口付近にはボロボロに穴のあいたジーパンやラバーソウルを履いた連中が談笑しながら煙草を吸っている。


「田口さんもあんな感じなんかな」

 斉藤が呟いた。

「軽音にもいるよな、こういう感じの人ら」

 持田も言う。

「三年でさ、すんげー目立つ金髪の人いるじゃん」

「ああ、あの人ね。あの人すげーんだよ。食堂にあの金髪が現れるとさ、モーゼが海割るみたいにみんなさーっと左右に分かれるんだよ」

「よっぽど怖いんだな」

「パンク野郎だからだろ」


 二人がそんな事を言い合っている隙に翔太はポケットにいれていたチラシを取り出した。


「なあ、どれが田口さんのバンド?」

「あ、それ聞いてないな」

「なんだよ、もう」

「まあいいじゃん。全部見ればどれかにいるんだろ」


 翔太は入口から漏れている音や人々を観察しながら、今日のライブがパンクよりというか、割と激しい感じのジャンルなんだなと思った。モヒカンや鼻ピアスが目立つし、二の腕に本物かどうかは分からないけれども、タトゥーも見られるところが、特に。そして自分たちを省みると、なんと場違いなことか。


 未成年お断りなんてことはないだろうけれど、翔太たちはここにいる誰よりも垢抜けなくて、子供で、袋菓子の中の乾燥剤のように邪魔で、それでいて無駄に目立つような存在であることだけははっきりしていた。


 入口でチラシを提示してチケットを買い、ドリンクチケットを貰う。受付から奥へ進むと重い扉があり、そこからずしずしと内臓に響いてくるような重低音が漏れ聞こえていた。


 翔太は緊張していた。ここから先は未知の世界だ。


「なにやってんの、早く開けろよ」


 持田は翔太のそんな胸中など知る由もなく、後からせかした。


 翔太は「ふん」と鼻先で返事をすると、思いきって扉を開けた。


 開けた途端、思わずのけぞるほどの爆音がバケツの水をぶっかけるように浴びせかけられた。


 思ったよりも、狭い。それが第一印象だった。正面にステージ。左手にバーカウンター。椅子はもちろん一つもなくて、壁や柱の周りに背の高い小さなテーブルがあるだけで、そのテーブルの周りを観客が群れ、あるいは佇んでいた。


 すでにライブは始まっており、ステージには四人組のバンドがマイクに向かってがなりたてていた。

 客席……といっても席はないのだけれど……には友達なのか、ファンなのか知らないが、ビートに合わせて腕を振ったり踊ったりして「盛り上がって」いて、ライブハウスらしい雰囲気を醸し出していた。


「なんか飲もう」


 斉藤が翔太の耳元で怒鳴った。そうでもしなければ到底誰とも会話することなどできはしない。翔太は俄かに「耳」が心配になった。


 三人はバーカウンターに行くとドリンクチケットでビールを買った。ビールは缶ビール。未成年だろうなどとは言われなかった。というか、店員は客の多様な注文をさばくのに忙しく、翔太たちの顔も見なかった。


 無数に立ち並ぶ酒の瓶を次々取り上げては、グラスに注ぎ、また戻し、また違う瓶を取る。翔太がそのめまぐるしい動きを見守っていると背後から「ビール」という声と共に翔太の肩をかすめてチケットがカウンターに差し出された。


 あ、邪魔だったなと翔太はさっと脇によけた。そして「あっ!」と声をあげると慌てて手にしていたビールを背中にまわした。目の前にいたのは、なんと生徒会長だった。


 会長は目の前の頭ひとつ低いのが翔太だと気づくと、眼鏡の奥の切れ長の目を大きく見開き、まるで信じられないものを見たような顔で「お前らなにやってんだ」と叫んだ。


 会長はビールを手に顎先で壁の隅の方を示すと、先に立ってずんずん突き進んでいった。


 三人は困惑し互いの顔を見合わせたが、ともかく会長の後について行った。


 ステージから離れると爆音はさほどでもなく、翔太は少しほっとした。


 会長は壁を背にしてくるりと向き直ると、翔太たちにもう一度同じことを言った。


「お前ら、なにやってんだ」

「なにって……」

「……よく来んのか」

「いや、そういうわけでは……」


 翔太はしどろもどろになりつつ答えた。なにやってんだとか、よく来るのかとか、それはこっちが聞きたい。あの優等生然とした会長がアマチュアバンドのライブに来てるなんて、意外どころか想像を絶している。


「それにしてもお前ら仲いいんだな、いつも三人一緒で」

「今日は平井さんは?」

「平井はこういうの興味ないから」


 そう言うと会長は手にしていたビールのプルトップを引き抜き、その細い首をのけぞらせてぐいと呷った。


 それは水でも飲むような勢いで、咽喉が隆起するのがはっきりと分かり、見ていて気持ちのいい飲みっぷりだった。


 翔太の視線に気づいたのか、会長が言った。


「……お前らも飲めば?」

「……」

「心配しなくても俺は教師じゃないから学校の外でお前らが何しようと知らないから」


 その言葉にほっとしたように斉藤と持田がビールを開けた。


 そりゃまあ、そうだけど。翔太は会長が自分たちを安心させる為に先にビールを飲んで見せたような気がした。会長の佇まいは自分たちよりも圧倒的にこの場に馴染んでいて、いつも見せている冷静な態度よりも大人びて見えた。


 たぶん、よく来ているのだろう。翔太は会長が来ているTシャツがバンドTシャツであるのを認め、急にやり手で厳しい会長に親しみを覚えた。校内を闊歩する姿や、一分の隙もないような態度も、教師たちさえ一目置くような策略家であることもカモフラージュのような気がした。


「会長はどのバンド見に来たんすか」

「次のやつ」

「次?」

「中学の同級生がいるバンド」

「ふーん……」


 翔太はビールを口に運ぶと先ほどのバンドのステージがちょうど終わっているのに気がついた。ビールはよく冷えていたが、翔太はまだそれを美味いとは思っていなかった。ただ、ビールという苦い飲み物が咽喉を通りすぎて行くのを感じるだけだった。


「会長がライブとか来るなんて意外っすよね」


 斉藤が素直にそう言うと、会長は「別に俺は音楽が嫌いってわけじゃないから」と答えた。


 だったらブラバン潰そうなんて考えないでくれよ。翔太はそう言いかけたが、ここでその話を持ち出しても仕方がないと思い直し、また一口ビールを啜った。


「会長は部活ってなんか入ってんですか」

「俺? 俺は将棋部」

「将棋部なんかあったんすか!」

「部員何人いるんすか!」


 思わず叫んだ斉藤と持田に会長は苦笑いを浮かべた。


「将棋部は今部員が一〇人かな」

「そ、それってもしかして……」

「お前、勘がいいな。そう、生徒会役員のほとんどが将棋部」

「なんか、ずるい……」

「なにがずるい」

「活動してるんですか」

「してるよ。将棋部は毎週土曜に将棋をやる先生と対戦してまわることになってるから」

「なんだそれ!」

「先生まで巻き込んで部活やってるって、そんなのずるい。それ、絶対潰れないじゃん……」

「別に絶対なんてことはないけど。まあ、そう思うんならお前らブラバンも何か活動方法考えたら?」


 職員室を将棋盤を抱えて対局に回るなんて、まるで道場破り。しかも生徒会のほとんどが将棋部なんて。脳裏になぜか「天下り」とか「癒着」という言葉が浮かぶ。


 そこまで話すと会長は、

「あ、ちょっと知り合いが来てるから、俺行くわ。じゃあな」

 と話を切り上げて、さっさと三人から離れて入口の方へ大股に歩いて行ってしまった。


 後に残された三人は半ば呆然としていた。この会長の追及を逃れてブラバンを存続させることなんて、本当に可能なんだろうか?


 会長の背中を見送っていた持田が、

「知りあいって、あれ、女じゃん」

 と、口の端を歪めるようにして呟いた。


 視線を向けると確かに会長がほっそりした美人と談笑している姿が目に入った。


「カノジョかなあ」

 斉藤が羨ましそうにこぼす。 


 ステージではもう次のバンドの準備が出来ていて、客席は俄かに観客が増えたようで、前へ前へと押し寄せつつあった。


「なんだか客増えてない?」

 翔太が言うと、斉藤たちも「ほんと」と頷いた。


「そんな人気あるんだ」

「なんてバンド?」

「えーと……」


 翔太はチラシをごそごそと開いてバンドの名前を確認した。


「これかな。ロケットスター」

「ふーん」

「あ、始まるみたい」


 三人が壁際で頭を寄せ合っているうちに、バンドのメンバーが袖からぞろぞろ出てきてそれぞれの立ち位置にスタンバイし始めていた。


「男前ばっかじゃん」


 持田が翔太の耳元に口を寄せた。もうそうしなければ普通に会話するのも難しくなり始めていた。


 全員揃いの黒いスーツで、年齢はまちまちなようだったが、場慣れした空気というか、貫禄のようなものを漂わせているバンドだった。なるほど、この空気感が人気の証とでも言おうか。翔太は長髪に整った顔立ちのギターや、サングラス姿のベースなどを感心したように見つめていた。


「バンドにしては人数多いなあ」


 さらに持田が言う。翔太も頷いた。頷いて、そして「あっ!」と大きな声を出した。


 続々と現れたメンバーは、それぞれトロンボーンやサックスなどの金管楽器を手にしていて、彼らがステージの左に並ぶと翔太は持田の耳元で怒鳴った。


「田口さんだ!」


 声が大きすぎたのか持田は一瞬顔をしかめたが、すぐに隣にいた斉藤の肩に手をまわしてぐいと引き寄せ、耳元で翔太同様に怒鳴った。


「田口さんがいるって!」


 翔太はまだ会ったことのない、顔も知らないはずの田口がステージでアルトサックスを首からぶらさげているのがその人だと瞬時に分かった。他のメンバーと引き比べて一人だけ若くて、黒いスーツは似合っているけれど、大人っぽすぎて逆に彼の子供の部分を浮き彫りにしていた。


「あの人だよ。絶対そうだよ」

「え、あの、アルトサックスの?」

「そう。絶対そう」

「なんで分かる」

「分んないけど、でも、分かるんだよ。あの人だよ」


 持田と斉藤は顔を見合わせ「ほんとかよ?」と首を傾げあったが、翔太が妙に興奮して言うのを否定することはしなかった。


「前、前の方行こう」


 二人が返事をするより先に翔太は観客の間をすり抜けるようにしてずんずんステージへと近づいて行った。


 近づくほどに翔太は自分の直感を確かなものに感じていた。近くでよく見るとバンドの他のメンバーが大学生や社会人といった感じなのに比べて、アルトサックス一人が少年の顔で、シャープな顎の線や滑らかな頬などに自分たち同様に「未成年」臭さが感じられて、もう、彼こそは絶対に我らがブラバンの先輩「田口さん」だとしか思えなかった。


 翔太はかなり前の方まで来るとステージに向って叫んだ。


「田口さん!」


 しかし、叫ぶと同時に薄暗かった照明がぱっと灯り、ステージが突然眩しいぐらいに明るくなった。そしてまったく唐突に、なんの前触れもなくいきなりドラムのスティックがカウントをとったかと思うと、演奏が始まった。


 それはまるで爆弾を投下したようなものだった。すさまじい音量で頭上から浴びせられたのは「黒い炎」のイントロで、客席は一気に沸点に達し歓声と嬌声で埋め尽くされた。


 ある者は踊りだし、ある者は拳をつきあげ、ある者は飛び跳ね。翔太はもみくちゃにされながらステージを食い入るように見つめていた。


 スピニングホイール、サティスファクション。次々と繰り出される音楽は力が合って、明晰な音で、耳から入って内臓を突き破りそうに激しく翔太を揺さぶった。


 特に注目したのはホーンセクション。粒のそろった音で、リズム感で、熱く激しく奏でられるブラスロック。


 それは「練習している」者の出す音だった。上手いとかプロになれるとか、そういうのは分からないが、練習している者の音というのははっきり分かるのだ。なぜなら練習は裏切らないから。彼らが自信たっぷりにしっかりと演奏する姿。あれは相当練習しているに違いない。でなければあんなに軽々と自由に楽しく演奏などできるはずがないのだ。


 翔太は自分の手が痙攣するようにぴくぴくと動くのを感じていた。無意識のうちに指がトランペットのピストンを押さえる動作をするのは、音楽への、ほとんど飢えるような憧れによるものだった。


 ライブは佳境に入り、男前のギターがメンバー紹介を始めた。気がつくと斉藤と持田が翔太の横にいて、強張った顔でステージを見つめていた。翔太はステージの熱気でうっすらと額に汗をかいていた。


 メンバー紹介はベース、トランペット、トロンボーンと順に始まり通称だかあだ名だか知らないが名前が呼ばれる度にそれぞれが小さなフレーズを弾いてみせ、拍手や歓声やどよめきがいちいち巻き起こった。


 テナーサックス。そしてアルトサックス。

「メンバー最年少! ぐっちゃん!」

 ぐっちゃん!! 翔太は隣の斉藤に「ほら、やっぱり!」とばかりに肩をぶつけた。


 翔太は完全に興奮していた。もう訳が分からなくなるほどに。そして、その興奮のままに華麗なテクニックを披露するアルトサックスぐっちゃんその人に向って大声で、しかも手を振りながら叫んだ。

「田口さーん!!」

 びっくりしたのは斉藤と持田だった。


 知り合いじゃねーだろ! 二人は慌てて翔太を制しようとした。が、ぴょんぴょん飛び跳ねながら田口さんの名前を呼ぶ翔太はとても止められるようなものではなく、ステージの上のバンドの人々も一瞬きょとんとした顔をし、それからおかしそうに笑った。


 客席の人々も翔太を見て笑っていた。恐らく、熱狂的なファンに見えたのだろう。


 変な注目を浴びていたたまれなくなり、とうとう斉藤がその巨体を活かして翔太を羽交絞めにして押さえ込んだ。


「翔太、落ち着け」

「そうだよ、恥ずかしいだろ」

「今、田口さんこっち見たよな? な?」

「あんだけ騒げば見るだろ」

「気づいたよな?」

「たぶんな」


 斉藤にホールドされながらも翔太は嬉しそうに二人に言った。


「出待ち! 出待ちしようぜ!」

 持田は呆れたように、「バンギャか、お前は……」と首を振った。


 そうしている間にもう次の曲は始まっていて、翔太たちを再び爆音と熱狂が取り囲んでいた。ドラムの音が内臓にずしずし響いてくるのは、そのリズムのせいではなくて、翔太の心臓が激しく鼓動しているせいだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る