第7話

翌日翔太は、ともかく部室をどうにかせねばと自分を奮い立たせはしたものの、やはり自分一人では何やら心もとなくて、授業が終わると早々に帰ろうとしている持田と斉藤をつかまえた。


「お前ら、今から何か用事とかあんの?」

「いや、別に」

「じゃあさあ、ちょっと頼みあんだけど……」


 斉藤は人の良さそうな顔で立ち止まり、翔太に向きなおったが、持田は肩越しにちょっと振り返って、

「さてはブラバンのことだろー?」

 と笑った。


「……なんで分かんの」

「部活の備品監査の説明会。昨日呼ばれたんだろ?」

「うん」

「それで?」

「備品を整理して紙に書いて、そんで金曜に立ち会いでチェックされるんだってさ」

「ふーん、本格的にやるんだな」

「お前らさ」

「なに」

「暇ならちょっと手伝ってくんない?」

「はあ?」


 持田が眉をひそめた。まあ、嫌なのも無理はない。そんな面倒そうなこと。ましてや、ブラバンに興味なんてないわけだし。翔太はやっぱり駄目かと気弱に肩を落とした。


 が、斉藤はそれを察したのか、翔太の顔を覗き込むように尋ねた。

「なんか問題でもあったのか」

「問題っていうかさあ……」

「うん?」

「部室、運動部の倉庫になってんだよ……」

「へっ?」

 斉藤が頓狂な声をあげた。


「なにそれ。どういうこと」

「ブラバンの部室に運動部の備品山盛り突っ込んであって、あれどうにかしないと備品どころか、何がどうなってんのか全然分からんことになってて……。ぶっちゃけ俺一人でどうにかできる自信ないんだわ」

「……ああ、そういうこと……」


 斉藤はむっちりした顎を上下に動かし、納得したように何度か頷いた。


「いいよ。手伝うよ。部室片付けて、備品監査の準備したらいいんだろ」

「斉藤!、心の友よ~」

 翔太は嬉しくなって斉藤の巨大な体に腕をまわした。すると黙って二人の様子を見ていた持田が、大きく溜息をついた。

「しょうがねえなあ」

「もっちー、心の友よ~」

「もっちー言うな」


 抱きつこうとする翔太を持田は軽く小突いて、仕方がないという割にはこだわりのない笑い方で「じゃあ、行くか」と先に立って二人を促した。


 この時翔太はこれで9割方問題が片付いたような気がしていた。三人いれば簡単に片付くだろうし、ようするに運動部の物を各部へ移せばいいわけなのだから。そうしたら、後は掃除して、棚に押し込まれている楽器を取り出して、中身を確認していけばいい。そこからは一人でもできるだろう。


「終わったら、帰りにラーメン食おうな」

「奢れよ、翔太」

「じゃあ、餃子奢るわ」


 三人は並んでクラブハウスまで来ると、すでに備品監査の為に各部は大掃除の真っ最中で、どのクラブも道具だのボールだのを徹底的に外に運び出しているところだった。おかげで埃が舞い、周辺の空気は茶色く染まっていた。


「なんだ、これ。すごいな」


 持田が呆れたように言い、鼻の辺りを袖口で覆った。


「なんか生徒会長が厳しいらしいよ」

「ふーん。こんな慌てて大掃除ってことはみんな後暗いことがあんのかね」


 階段を上がりながら持田は訝しげな目で、開け放されたドアの中を窺っていた。

 そう言われてみれば、そうだな。翔太は持田の言葉に、ブラバンの部室が倉庫と化しているのにも実は理由があるのでは……? と初めて心づいた。


 先に階段を上がりきった持田が急に立ち止ると、

「翔太、ブラバンの部室って……」

「え? ドアに書いてあるだろ」

 言いながら翔太は一歩前に出たが、すぐにぎょっとして持田同様に立ち止った。


 ブラバンの部室の前には三年生が七人ほど狭い通路を埋めて、待ち構えるように集まっていた。


「あ、あいつ。あいつだよ」


 野球部のユニフォームが他の連中に囁くと、その場にいた全員が一斉に翔太たち三人に視線を注いだ。


 三人は危険な動物が目の前にいるかのように、明らかにビビりながら硬直した。

「おい、お前。ブラバンの奴」


 やっぱりな。翔太は顔をひきつらせながら「はい」と返事をした。


 三年生たちは翔太に手まねきをしたが、翔太の足はすぐには動けなかった。何かものすごく嫌な予感がするし、頭の隅で危険信号が鳴っているようだった。まさか囲まれてボコられるなんてことはないだろうが、三年生が雁首揃えて一年生を待ち構えているなんて、絶対いい事が起きるシチュエーションなはずがない。


 しかしそうしている間にも三年生たちは翔太を「ちょっとこっち来いよ」と呼んでいた。


 翔太は深く息を吸い込むと、覚悟を決めて狭い通路を一歩踏み出した。脚が震えているような気がしたし、肩には力が入っていて、心臓が押さえつけられるように息苦しかった。


 部室のドアの前まで来ると翔太はできるだけ平静を保って「僕ですか?」と尋ね返した。


 するとサッカー部と思しき練習着姿が、

「お前、ブラバンに入ったんだってな?」

「はい」

「田口は?」

「えっ?」

「お前、備品監査どうするつもり?」

「……どうって……金曜に立ち会い検査なんで、それまでに準備するつもりですけど」

「田口がそうしろって言った?」

「……えっ……」


 翔太にはなぜここで会ったこともない、いや、学校に来ていないと噂の田口さんの名前が出てくるのか訳が分からなくて、言葉を失った。


 気がつくと斉藤と持田が翔太の背後に寄り添うように立っていた。


「あの、ちょっと意味が分かんないんですけど……」

 翔太は恐る恐る言った。

「ここ、俺らの備品あんだろ?」

「……あ、はい……」

「これさあ、このままにしといて貰わないと困るんだよなあ」

「え、なんで……」

 その続きを引き取って説明したのはラグビー部だった。

「ブラバンって部員いないだろ」

「はあ」

「で、活動してないだろ」

「はあ」

「田口がさ、部室使ってないから備品置かせてくれるって約束したんだよ」

「……」

「俺ら、みんな田口に合鍵作って貰って、ここに備品置かせて貰ってんの」

「でも、監査は金曜だからどけてもらわないと……」

 翔太がやっぱり恐る恐る言うと、ラグビー部はじれったいとでも言うように幾分声を荒げて、

「だからあ! お前、ブラバン辞めろって言ってんの!」

「えっ!」

「ここに備品があるのが生徒会にバレるとまずいんだよ!」


 なんということだろう。翔太は唖然として三年生たちの顔を順々に見渡した。すると彼らのその怒ったような困ったような顔を見ているうちに、備品監査の説明会で聞いた内容が思い出され、パズルのピースがぱちりと埋まるようにはっきりと形になって翔太の頭の中で像を結んだ。


「もしかして、田口さんは部室の使用料とか取ってます……?」

「声がでけーよ、馬鹿」


 この学校に入学して受けた何度目の絶望だろう。翔太は目の前が貧血のように暗くなるのを感じた。ショックのあまり本当に卒倒しそうだった。


 それを察したのは斉藤だった。斉藤は一歩前へ出ると、各部の代表としてやってきたらしい三年生たちに言った。


「ようするに、ここに備品隠しといて、部費を水増し請求してるってことですか」

「だから、声がでかいっつーの」


 ラグビー部がその巨体で斉藤に詰め寄った。


 しかし斉藤は動じることなく、続けた。


「田口さんが部室貸してるのは分かりました。でも、田口さん学校来てないし、ブラバンはこれから活動するから、ここに置いてる物はやっぱりどけてもらわないと」

「活動ってお前、何人でブラバンやるつもりなんだよ」

「え」


 痛いところを突かれた斉藤は思わず翔太を振り返った。翔太は暗い顔で俯いていた。


 一人。一人しか、いない。斉藤は翔太の後ろの持田と目が合った。一人しかいないと答えたら、三年生たちはますます翔太にブラバンを辞めさせようとするだろう。そして備品の隠ぺいを続け、不当に部費を請求するのだろう。


 無論、そんなことは知ったことではない。地区予選初戦敗退の野球部の部費がいくら必要だか知らないし、ラグビー部にどれほどのタックルバックがあればいいのかも知らない。でも、こんな真似して支給される金でやる部活なんて、くだらない。斉藤はむらむらと湧いてくる怒りに、我知らず拳を握りしめていた。


 その時だった。事態を静観していた持田が翔太を越えて、斉藤も越えてさらに前に出て言い放った。


「三人です。田口さんいれたら四人」

「……もっちー……」


 翔太は目を丸くして持田の背中に見入った。持田はちょっと振り向くと、

「もっちー言うな」

 と翔太を睨んだ。


 斉藤も正面に向きなおると、

「俺ら、他にも部員勧誘してるし、今年からブラバンはちゃんと活動します」

「お前ら、意味分かってんの? ブラバンに活動なんかされたら困るんだよ」

「そうだよ。田口はこれ知ってんの?」

「ブラバンじゃなくてさあ、軽音じゃ駄目なわけ? そんだけしか人数いないんじゃ軽音でいいだろ」

 三年生は口々に言い募りながら三人を取り囲もうとしていた。


 翔太はきっとして顎先を上に向けた。


「でも軽音には楽器ないっすから」

 その目は潤んでいたが、怖いからではなかった。

「ようするに」

 持田が静かに切り出した。

「備品隠してんのがバレなきゃいいんすよね?」

「どうする気だよ」

「隠してればいいんすよね? 少なくとも、今年の監査が終わるまでは」

「……ま、まあな」

「じゃあ、俺らにここはまかせてもらえませんか? 生徒会にバレないようにすればいいんでしょ?」

「お前、それでバレたらどうなるか分かってんだろうな」


 ラグビー部の巨体が脅すように持田の胸倉をつかむと、ぐいと締め上げた。

 けれど持田は涼しい顔で、

「心配しなくても上手くやりますから」

 と言いながらラグビー部の手を押し返し、ぱたぱたと制服の胸をはたいた。


 三年生たちは思案するように沈黙し、それから互いの顔を見やった。彼らにしてもここで名案が浮かぶでなし、といって、一年生を脅し続けると事態が思わぬことになりそうだと判断したのだろう。野球部が坊主頭を掻きながら、

「バレたらお前ら覚悟しとけよ。二度とブラバンなんか活動できないようにしてやるからな」

 と捨て台詞を吐いた。


 それを潮に三年生たちは翔太たちを押しのけて通路を階段の方へと歩いて行き、どやどやと足音も荒く解散して行った。


「もっちー……」


 翔太はまだ動悸がしていたが、気の抜けるような声を出しながら後ろから持田の両肩に手を置いた。


「だから、もっちー言うなっつーの」

「それでもっちーどうするつもり?」


 斉藤が尋ねた。


「そうだよ、もっちー、部室ん中すごいことになってるって俺言っただろ」

「隠すってどこに隠す気? バレたらマジでやばいんじゃね?」

「……さあ?」


 持田が二人を振り向いた。その顔は明らかに適当な言い逃れをした後の苦笑いが浮かんでいて、翔太と斉藤は思わず叫んだ。


「どうすんだよ!」

「……まあとりあえず中入ろうぜ」


 翔太は膝から崩れ落ちそうな脱力感を感じながら、ポケットから鍵を取り出した。

 実際に見たら後悔するだろうなあ。翔太は二人に申し訳ないような気がして、黙って鍵を開けた。


 錆ついたような軋んだ音をさせてドアを開けると、斉藤と持田は好奇心に満ちた顔で中を覗き込んだ。そして同時に呟いた。


「げっ……」


 翔太は信じられないものを見たとでもいうように振り返る二人に、「だから言っただろ?」とばかりに無言で頭を振った。


 体育倉庫と化したブラバンの部室を前に、持田と斉藤は自分たちの選択を内心後悔していた。まさかここまでとは思わなかったし、実際に目の当たりにして初めてとんでもない「現実」を理解した。


 しかしそんな後悔は一瞬だけだった。部室へと分け入っていく翔太の背中を見ると、この困難に一人で立ち向かおうとしていた翔太の決意が哀れで、そして馬鹿げて感動的で、まずは目の前の問題をどうにかしようと思い直していた。


 果たして自分たちに楽器なんてできるかどうかは想像もできない。なにせやったことがないどころか、興味もなかったのだから。


 でも。もしかしたら。それは一つの希望だった。この冗談みたいな劣悪な環境下で、部員のいない死に絶えたも同然のクラブで、自分たちみたいな素人がブラバンを復活させることができたなら。


 勉強もダメ。スポーツもダメ。なんの取り柄もないけれど、もしも奇跡を起こすことができたら。少しは自分を好きになれたりするだろうか? この漠然とした将来への不安も少しは払拭されたりするのだろうか?


 斉藤と持田のささやかな期待と希望を知らずに、翔太は埃で汚れた窓を開け放ちながら言った。


「お前らさ、楽器、なにやりたい?」


 こいつ、馬鹿みたいに前向き。斉藤は思った。


 翔太はなるべく明るく振舞ったが、内心では窮地を救おうとしてくれた二人をこれ以上失望させたくなくて必死だということには斉藤も気がつかなかった。


「……とにかく、これ、なんとかしようぜ」

 持田がタックルバックを拳で一突きすると、もわっと土埃があがり、慌ててそれを両手で払いながら、

「マジで」

 と顔をしかめて付け加えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る