第4話

クラブハウスというのはグラウンドの横に建てられた二階建の横長のアパートみたいな建物で、そこには野球部や陸上部など主にグラウンドを利用する部活の部室が一部屋ずつ割り当てられていた。


 なぜ運動部の部室の並びにブラバンの部室があるのかは謎だったが、ともかく翔太は大島から受け取った鍵を手に鉄階段を上がって行った。


 野球部が放つ白球の砕ける音や、掛声が高く響く。運動部の連中が走る度に砂埃が舞い上がり、温められた空気からは土の匂いがしていた。


 扉につけられたテニス部だのハンドボール部だのという札を見ながら翔太は俄かに胸が高鳴るのを感じていた。活動してないとはいえブラバンが存在していることに安堵し、顧問からはまるっきりやる気を感じられなかったけれども入部届を出して、すべてはこれから始まろうとしているわけで、翔太は吹奏楽部と書かれた扉を見つけると大きく息を吐きだした。


 この高揚した気持ちをなんと表現すればいいのだろう。緊張と期待と、不安の入り混じった気持ちを。


 翔太はポケットにいれていた鍵を取り出した。いや、取り出そうと、した。が、驚いたことにそうする前に目の前の扉がいきなり内側からぱっと開いて、中からラガーシャツの屈強な生徒が四人ぞろぞろと出てきた。


 翔太は「えっ」を思わず言葉を漏らした。


 ちょうどドアの前にいた翔太にぶつかりそうになったラグビー部は「あ、ごめん」とさらっと言うと、タックルバッグを担ぎながら翔太の前を通りすぎようとした。


 翔太は何が起きたのか分からなかった。なぜブラバンの部室から、ラグビー部が? この扉はどこでもドアなのか?


 まさか。翔太はラグビー部を見送ると、たった今目の前で閉まった扉を勢いよく開けた。


「なんじゃ、こりゃあ!」


 翔太は叫んだ。そこには、タックルバッグだけではなく、サッカーボールの入った籠や野球のバット、テニスコートのネットといった運動部の備品がぎっしり詰め込まれていて、そのあまりの物の多さに窓は塞がれて室内は暗く、じめじめして、埃まみれの「倉庫」があった。


 これのどこがブラバンの部室だ。翔太はまたしても奈落の底に突き落とされるような感覚に襲われ、一瞬手足の先がすっと冷たくなるのを感じた。そして希望に湧いていた胸に再び去来した「絶望」を振り払うように頭を振り、我に返った。こんなことってあるだろうか。


 翔太は土足で中へ分け入って行った。活動していない部活だからって、部室を占拠されるとは何事か。というか、顧問の大島は「楽器がある」と言ったけれども、運動部の備品もあるとは言わなったではないか。いや、そうじゃなくて、楽器はどこに?


 とにかく翔太はがむしゃらになってボールやらラケットやらの山を乗り越え、押しのけ、体をねじこむようにして奥へと突き進んだ。


 積りに積もった埃でくしゃみをしながら、やっとの思いで部屋の一番奥まで来ると、そこには壁にぴったりと棚が設置されていて、楽器ケースが触るのもちょっと恐ろしいほどの埃とクモの巣に覆われて並んでいるのを発見した。


「あった……」

 翔太は呟いた。


 サックス、トロンボーン、ユーフォニウム……。

「あった」

 翔太はまた呟いた。そして一つのケースを掴みだすと、ぱちりと留め具を外して蓋を開けた。


 トランペット。そう、そこには金色に鈍く光るトランペットが、別珍の内張りに包まれて静かに横たわっていた。


「……あった」

 三度目の呟きだった。不覚にも眼頭がじんと熱くなり、涙が出そうになった。


 あると聞いてはいたけれども、実物を目にして翔太は懐かしい友に再会したかのように胸が震えていた。


 瞬間、翔太はこの楽器は自分を待っていたのだと強く思った。誰からも顧みられないで、どのぐらいの年月この楽器たちはここで打ち捨てられていたのだろう。こんな、埃だらけになって。何の関係もないボールやバットに囲まれて。


 ケースからマウスピースを取り出すと、制服の端でごしごしと擦った。冷たい金属の感触が指先からじんじん染みてくる。


 楽器にマウスピースをセットすると、翔太はおもむろに両手で構え、唇にぴたりと当てた。


 一吹き。硬く透明な音がぱっと飛びだす。次いで、もう一吹き。今度は少し長く。

 翔太は手の甲で滲んでいた涙を拭った。そして、高校生活最初の一曲「見よ、勇者は帰る」を高らかに、たった一人きりで吹き始めた。


 その音はもちろんグラウンドにも響き渡っていた。先ほどのラグビー部はもちろん野球部も陸上部も、誰もが音の出所を探してきょろきょろと頭を動かしていた。が、そんなことは知らない翔太は純粋に自分が奏でる音に耳を傾けていた。


 見よ、勇者は帰る。廃部寸前のブラバンに、勇者が帰ってきたのだ。翔太はトランペットを吹きながら、もう誰にも邪魔はさせないし、一人だろうが二人だろうが絶対にブラバンやってやると決意を新たにしていた。

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