part.D『ロープウェイができた日』



「ぐぬぬ……」

#〈少女〉はくちびるの端を噛みしめて目の前を睨んでいた。目の前で、余裕そうにほくそ笑むクラスメイトの男子・セコグチと対峙して。

 セコグチの背後にはとりまきが寄り集まってニヤニヤといじわるそうに少女をみている。

 それとまた、教室にいるクラスメイトが距離をとりながら、居心地わるそうにそわそわとこちらの様子をうかがっているのがわかる。


「やーい、バーカ。なァに睨んでやがる?」とセコグチ。

「バカって、ゆーなっ。バカって、ゆった奴がバカなんだぞ」と少女が反論。

「ハッ。バカにバカってゆって何がわるい? おまえなんか、こないだの算数のテストで、ひとりだけ0点とって、せんせーと居残りさせられてたじゃねーかよ。〈市長の娘〉のクセにバカでやんの」

 セコグチの発言に続いて、とりまきどもがへらへら卑しく笑う。むっかつく……。

「おまえ、きょうだいのなかで、いちばんの落ちこぼれなんだろ?」


(ぐぬぬ……たしかに、あにきたちに比べてあたしは出来が悪くて、バカにもされてるけど……)

『喧嘩だの暴力だなんてのは、野蛮人のすることだぜ、おばかさん? これ以上、一族の恥になるような真似はよしてくれよな』

 なんて言われたこともあったけど、……けど、

 でも、よりによって、こんな女子相手に、4人がかりでないと啖呵切れない腑抜け男子になんざ言われたかない。


「んでもって、ファザコンなんだろ? なんでよりによって、あんなギャンブル好きのジャンキー・*****のどこにそんな尊敬できる要素があるってのさ」

 ぷちんっ――

 あたしは野蛮人だなんておばかさんじゃないから、我慢してようと思ってたけど、――もう限界だった。


「うおおぉぉぉおおおォッ!」

「だーっ蜘蛛女、なにしやがるッ? はなせえっ」

 気がつけば、飛びついていて、とっつかみ合いの喧嘩になっていた。


 偶然、通りがかった教師があわただしく駆け寄ってきたようだ。「こらぁ、そこの! やめなさいっ」

「ゲロゲロ、ガリクミがきたっ」 とりまきどもがあわてふためく。


 その一方で、こちらは、すでに形勢を決している。

 あたしはセコグチに馬乗り状態マウントをとってしまっているので、勝ったも同然である。

 拍子抜けだ。やっぱり腑抜けだよ。


「おまえの親父のせいでっ」

「まだゆーかっ」

「おまえの親父のせいで、おれは幼なじみの親友と〈下〉と〈上〉で離れ離れになったんだぞ!」

「え?」

 セコグチの言葉に頭が真っ白になったあたしは、下から伸びてきたパンチに反応できずに、もろに顔面で受けとめることになった。



        ◇ ◇ ◇



#家に帰ったら、父様パパに、

「その怪我どうした?」

 と訊かれた。

 でまあ、しかたなく事情を話す。トボトボと。

「クラスメイトの男子に、バカってゆわれた……」

 それだけ話すと、父様パパは、「やれやれだよ、まったく」とため息を吐いて、あたしに目線の高さを合わせるようにして屈む。

「勉強なんてのは、どうだっていい」

「そんなことゆったって、ご近所とかパーティーでバカにされるでしょう?」

「そんなのも気にしなくていい。おまえはおまえでいいんだ。おまえは、この父様パパから生まれてきた時点で、ほかとはちがう。天稟が備わっているのだからな。それに、おまえは父様パパの教えを、きょうだいで、いちばん忠実に守っているじゃないか」


「うん……そうだね」

「そうだぞ」

 父様パパは、窓を開け放つと、あたしをバルコニーへ連れ出して、

「この〈市〉をみろッ! どこまでも広がる〝ネットワーク〟を、――今の〈市〉をつくったのは、だれだか、わかっているのか? 〈市〉のだれもが知っているんだぞ。胸を張って生きろ、おまえは、その娘なのだからな。だが、そんな凡人の理解など必要ないのだ。おまえたちにさえ、わかっていれば」


 遠く隔絶された下の〈セカイ〉。

 本当に〈あっち〉と〈こっち〉は繋がっているのかな。

 こうやって下を眺めていると、なんだか別の世界としか思えなくなってきたよ……。

『おまえの親父のせいで、おれは幼なじみの親友と〈下〉と〈上〉で離れ離れになったんだぞ!』

 さっきまで喧嘩してたセコグチの言葉が、頭のなかでリフレインする。

 けど、こんなの父様パパがわるいんじゃないよ。

 あたしは喧嘩をした本当の理由を父様パパに話したくなかった。父様パパがわるいんじゃないよね?

「して、娘よ――その喧嘩は勝ったのか?」

「……勝ったよ、もちろん」

「さすが我が娘。ちっちゃな頃から、兄さん達とボクシングさせて遊ばせた甲斐があったな。あれは本家一族の伝統だからな」

「うん……そうだね」

「そうだぞ」

「…………」


 黙りこくってしまったあたしを、父様パパは心配しているようで、

「それじゃあ、おまえの大好きなお馬さんにでも乗りにでも行くか、――貸し切りでどうだ?」

「うんっ。元気になったよ。父様パパってすごいのね、りっぱだわ」

「フハハハハッ、そうだろうそうだろう」



        ◇ ◇ ◇



#ある日、父様パパに呼びとめられて、尋ねられる。

「10歳の誕生日プレゼントは何がいい?」

「うーん……」

 どうしたものか? と、口元に手をそえたまま、あたしは考えこむ。なにせ欲しいものなら、いくらでも買い与えてもらっている。じゅうぶん過ぎるくらいに。とくべつ欲しい玩具があるわけでもなくて……遊園地なら、こないだ買ってもらったばかりだしな。……


(おっ?)

 しばらくしてから、ぱっとひらめく。

「ようやく決まったか、なにがいい? 可愛いポニーちゃんか? 競走馬か? それとも、そろそろ馬術をはじめるのもいいか?」

 待ちわびたとばかりに父様パパが訊く。

 あたしが答えたのは、

「ロープウェイがいいっ!」

「んんんっ?」

 予想外の返答だったのだろう。父様パパは脳天に「???」を浮かべる。


「どうして、そんなものを欲しがる? 父様パパの娘なら、もっとどーんとしたものを要求するんだ。今月末には、北海道にでも一緒に下見に行こうかと思っていたところだぞ」

「お馬さんだったら、みんなが乗れないでしょう?」

「みんなってだれだ。おまえの誕生日プレゼントなんだぞ。自分おまえがほしいプレゼントを言ってごらんよ」


「…………」

 何が欲しいって、やっぱりそれはロープウェイがよかった。〈あっち〉と〈こっち〉を繋げる物。

 けれど、その理由は説明できそうになかった。そんなこと父様パパに言いたくなかった。

 そのせいで最終的には、大喧嘩になった。

「誕生日には特別なものを、と思って、ここ最近ずっとおまえのことを思って、真剣に考えてたんだぞ」

「ロープウェイがいいんだもんっ」

「このわからず屋のおバカ娘ッ!」



        ◇ ◇ ◇



「あれ? あ――……」

「どうしたの、ナグモちゃん?」

「え、いや、なんでもないわ、綾菜」

「???」



        ◇ ◇ ◇



#〈あっち〉と〈こっち〉を繋げるロープウェイのお披露目の日。

 開通式には、だれでも乗れるっていうんで、のぼり口駅の駅舎には、入りきらないほど大勢の市民が集まってひとだかりができていた。みんな、ロープウェイの完成を祝っているのだ。

 ロープウェイのゴンドラが鎮座している、プラットホームに張られた紅白のテープのところには、市長と、その娘がいて、――


「我が娘に、してやられたな――なるほど、こういうことだったか。おまえの言わんとしていたことが、ようやくわかったよ。すまないことをしたな、ナグモ。誕生日から随分過ぎてしまったが」

「ううん、いいの父様パパ

「おまえのやさしい気持ちが伝わったからこそ、こんなにも大勢のひとたちが笑顔でつめかけてくれたのだろう」



        ◇ ◇ ◇



#――嗚呼、そういえば、このロープウェイができた日――開通式の日に、わたしはいったんだっけ。

 あのとき、街のみんな(〈あっち〉とか〈こっち〉とか関係なく)、みんな笑顔だった。みんな笑顔で祝っていた。


 みんなから見守られるようにして、その笑顔の中心にいたのは、普段は魔王だなんて恐れられている市長が、感涙むせび泣いて、その娘を抱きしめている、という微笑ましい光景だった。

 それもこれも、すべてが〈あの愛すべきおばかさん〉がくわだてたことなんだから。


#わたしの胸のなかで、ナグモちゃんは泣きじゃくる。

 わたしは、ナグモちゃんの髪の毛を梳くように撫でる。やさしく、あやしてあげるように。

 やわらかくてきれいな髪の毛は、あの日の少女と同じ蒼白い色をしていて、よくみたらうっすらすみれ色をしていた。





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