六唱 おれは、おれたちはここにいる

 トーリは距離を置かれたフリアを盗み見た。正しくは、フリアの髪の中に隠れているクィーを。

 相変わらず、クィーはフリアの白亜の髪の中に隠れたまま出てこない。

 先ほど、プラムを食べていた時といい、トーリがフリアから離れている時にこっそり表に出ているのは目撃しているが、トーリと視線が合うと、ぱっと髪の中に潜りこんでしまう。動物好きのトーリとしては、なかなかにこたえる反応だ。

 先ほどのフリアの言葉を信じるなら、人見知りらしい。慰めにも何にもならなかったが。

 それはともかく、このぎすぎすした空気をどうにかしたい。

 早くも前途多難を予感させる雲行きの怪しさに耐え切れず、トーリはフリアに話しかけていた。コミュニケーションは平和への第一歩。


「ね、フリアは竜を見たことってある? どこにいるとか知ってる?」

「りゅう」


 端的に一言。


「古より大気を統べ、天候を支配する天空の覇者」


 お手本のような定義をつらつらと並べた後、フリアは質問には答えず別のこと言い出した。


「探すだけ無駄ですよ。まず見つかりっこありません」


 決めつけるような口ぶりに、トーリはむっとなって言い返していた。


「無駄じゃない。だっておれは小さい頃、見た」


 ぴく、と少女の形のいい眉が動く。

 初めて出会った時と同じ、何かを探るような目でトーリを見てから、フリアはわざとらしくあきれたため息をついた。


「寝ぼけてたんですよ」

「んなあ……」


 みつきかけて、止まる。

 このままではフリアのペースに乗せられるままだと気づき、努めて冷静にトーリは返した。ただし、ほおが引きつるのは止められなかったが。


「おれ、寝起きはいい方だよ……?」

「つまり、見間違いでも夢でもなんでもない、と言いたいのですか?」

「もちろん」

「――白昼夢を見るような危ない方と旅とは、この先が心底思いやられますね」


 もう〈竜の里〉に強制転送されてもいいかな。

 うっかり鎌首をもたげた考えをコンマ一秒で追いはらい、トーリは内心で首を横に振る。いちいちピンポイントで人の神経を逆なでしてくる少女だ。

 見れば、フリアはそ知らぬ顔で、つーんとそっぽを向いている。どうあっても、トーリとまともに取りあうつもりもなければ、歩み寄るつもりもないらしい。


「いやはや初めてお会いした時から、夢見がちなお姫様みたいな空想を抱いていらっしゃるお馬鹿さ――もとい、純粋な心を持っていらっしゃる方だと思っていましたが、危ない発言がこうも目立っては不安と心配はつきないというもの。そうは思いません? クィー」

「くきゅ?」


 落ち着け、落ち着け自分。

 ぷるぷると肩を震わせながら、そう呪文のように唱え、心の中で何度か深呼吸。

 旅に出られるのだ。この程度のことでかっかしていては本末転倒――


「おまけに身体ばかり大きくなって、中身は五歳児のような悪さばかりするお子様みたいな方でもありそうですからね。はあ……、気苦労のあまり、旅の途中でハゲにでもなりそうです。あー、なんてかわいそーなわたし」


 ――でも、あと一言きたら、もうどうでもいいかな、などと思う。

 すると、こちらの気を知ってか知らずか、今までとは毛色の違う調子でつぶやいてみせた。


「……それに、見つけたとしても、契約は難しいでしょうね」


 フリアが空を見上げる。空には、厚みを帯びた灰色の雲がかかり始めていた。

 即座に反論してこないトーリに思うところがあったらしい。フリアがちらりとトーリを見た。


「……〈竜の民〉なんですから、知らないわけではないのでしょう?」


 すっかりトーリの頭は冷えていた。

 人々が竜の力を巡って争いを始めた話は、恐らくフリアよりトーリの方が詳しいだろう。

 竜を崇め、その力をよりどころにした竜神信仰者たちがはびこり、ことあろうか〈竜の民〉がその争いを先導していたこともあったという。争いを嫌う竜の声を直に聞き、その声を人々に伝える役目を持った〈竜の民〉が。

 無益な争いに辟易へきえきした竜が、〈竜の民〉との契約を一時的に打ち切ることも珍しくなかった。

 竜と契約していなければ、〈竜の民〉は天候を操ることができない。

 そして、〈竜の民〉が竜と契約を結び直すたび、人々は同じ過ちを繰り返し、やがて、竜は大陸から姿を消した。

 飽きるほど聞かされた話だ。ありきたりでつまらないと思うぐらいには。


「そんな風にして竜を裏切り続けてきた人間と、もう一度竜が契約を結んでくれるとは思えません。普通に考えて」

「それでも、約束は結び直せるっておれは信じてる」

「……平行線ですね。これ以上はやめましょう」


 話しあうだけ泥沼化すると思ったらしい。フリアが早々に話を切り上げてくる。

 無言で歩くことしばらく。

 ふと、トーリはつぶやいた。


「……でも、竜が人と契約を結ばないっていうのはわからなくもないけど、なんでいなくなっちゃんだろ」

「……どういう意味ですか」


 フリアが足を止めた。初めてトーリの言うことに興味を持った風に。

 単なるひとりごとのつもりだったが、トーリは会話の糸口を探す意味合いもかねて、話を続ける。


「姿を消す必要はないんじゃないのかなっていう話」


 八百年前以上昔、オルドヌング王朝が栄光を極めていた時代から、あるいはそれ以前から、大空を飛ぶ竜の姿は史料で確認されている。


「そりゃ、〈竜の民〉が竜と契約するために大陸を旅してた頃なら話は別だよ? あの頃はいろいろ酷かったらしいし。竜が人の前から姿を消したくなるのもわかる。でも今は誰も――」


 誰もそんなことをする人はいない。そう言おうとして、トーリは自身の気持ちが沈んでいることに気づいた。

 ぽつりと。


「……必要がなくなったからでは」

「え?」

「存在する理由が、そこにいる必要性がなければ、そこからいなくなるのは必然ではありませんか」


 当然ではなく必然。言葉の違いをトーリは見逃さずに聞き返す。


「必然?」

淘汰とうたされるということです。不用なものを排除し、より更なる高みへ目指したくなるのが人の性というものでしょう? 良くも悪くも」


 湿り気を増す、うす暗い雲がいよいよ空を覆い始める。


選択はってん淘汰はいじょの繰り返し。歴史をひも解いても、文明や人の進歩は合理の上に成り立っているものですよ。道理ではなく」

「な、なんか難しいこと言うねフリア……」


 言っている意味が完全に理解できないわけではないのだが、小難しい話はトーリの専門外だ。

 すると、空疎な響き。フリアの唇からこぼれた吐息は諦観を帯びていた。


「……誰からも必要とされず、存在を認められないというのは、そこに存在していないも同然でしょうから」

「違う」


 はっきりと、トーリは断言した。


「おれは、おれたちはここにいる」


 人と共存する、しないにかかわらず、その昔から、竜は翼を広げて大空を自由に羽ばたいていた。そのはずだ。

 確かに既に竜の存在は形骸化しつつある。

 だが、〈竜の民〉と契約をしなくなったからという、それだけの理由で行方をくらませなければならない理由はどこにもないはずだ。


「では、いたところで、必要とされないものに意味はあるんですか?」

「だから」


 たまらず、ゆっくりと割って入る。


「必要とされなくても存在してるものはあるし、意味がないように見せかけて意味も意義もあるものもたくさんあるし、ぶっちゃけ意味とかそんなの別に関係な――」

「意味なんて!」


 フリアが唐突に怒鳴りつけてくる。

 瞬間、ひるんだトーリは言葉を飲み込んでいた。

 構わずフリアが声をさらに荒らげる。


「意味なんて、もうどこにもないんです――!」


 それはひどく悲しく、そして今にも壊れそうなほどきれいな泣き顔だった。

 目を奪われるほどの美しさに、ガラス細工のようなはかなさに、場違いにもトーリは目の前の少女をきれいだと思ってしまった。


「意味なんて……っ」


 がむしゃらにたたきつけるようで、今にも消え入りそうなほど弱弱しいフリアの叫びが大気を震わせる。昔聞いた、母親の悲しい慟哭どうこくのように。

 とっさにどう返していいかわからず、トーリは言葉を失ったまま立ち尽くす。

 一体、今のトーリのセリフの何がフリアの琴線に触れたのか。

 すると、何も言い返してこないトーリに対し、いら立ちが募ったらしい。フリアは、ぎり、と歯をきつく食いしばる。険の乗った声で、泥を吐き捨てるように。


「トーリさんは何にもわかってない……!」


 そう叫ぶなり、走り出してしまった。つられたトーリも走り出す。


「あ、フリア!?」

「クィー!」

「くーきゅ」


 ひょこり、とフリアの後ろ髪の間からクィーが顔をのぞかせる。

 げ、と頬を引きつらせる暇もなく、案の定、クィーが口から火を吐いた。

 燃え上がる白い火炎とフライパンで引っぱたくような衝撃がトーリの全身を穿うがつ。

 防御することも反撃することもできず、燃料もないのに火柱のごとく燃え上がること数秒。

 ぽてん、と。

 いい具合に香ばしい匂いを漂わせながら、トーリはその場に倒れた。


「なんなんだ…よ……」


 つぶやくも、答えてくれる者は誰もいなかった。

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