第9話 泡沫の夢

 僕は、午後からの依頼を終えて店に戻った。すると、舞花が中央の机でスヤスヤと寝ていることに気がついた。慌てて、棚からブランケットを取り出してそっとかける。その寝顔をただ眺めていた。


「私も陽斗のことが好き・・・・・・」


 小さな声で彼女がそう呟いた。しかし、また直ぐにスヤスヤと寝息を立てて眠り始めたのだった。僕は、酷く衝撃を受けて半ば逃げ出すように店を飛び出したのだった。


 彼女と初めて出会ったあの大樹の下で、僕は涙を堪えるようにしてヘナヘナと座り込んでしまった。空は僕の気持ちとは裏腹に茜色で、夕陽が眩しいくらいに輝いている。


 結局、僕は意気地無しだ。彼女に出会った時、大樹の木陰にまるで美しい妖精が現れたように感じてしまって。その瞬間、僕は彼女に恋をした。それは初めての感情で、こんなに胸がドキドキするのも、頬が赤く染まっていくのを感じるのも、何もかもが新鮮だった。


 僕はその日に仕入れたばかりのカタクリの花を彼女のサラサラとした髪に挿した後、思わず笑みが零れてしまったっけ。彼女と過ごす毎日はとても楽しくて、こんな幸せがずっと続くものだと何処かで思っていた。


 カタクリの花言葉は二つある。どちらも今の僕にとって皮肉なくらい当てはまっている。


 一つは彼女に想いを伝えるために使った「初恋」恥じらいに負けて自分の気持ちを上手く伝えられなかった。そんな切ない初恋を表す花言葉だ。もう一つは「寂しさに耐える」


 彼女には言っていなかったけれど、こちらの世界に来たのにはある理由がある。元の世界に帰る方法はたった一つ。それは、過去のトラウマに打ち勝つこと。先程の彼女の様子を見るからに、きっとそれは達成されたのだ。だから、間もなく彼女は元の世界に帰ってしまう。想いを伝えられない僕は、それに後悔しながらも、彼女のいない寂しさに耐えながらこれから生きていかなければならないのだ。


 俯いて咲く、カタクリと僕。なんだかそっくりだな。力なく笑う僕の頬を夕陽が照らす。涙は止まることなく、茜色に輝く雫となって地面に落ちていった。彼女のトラウマを克服するために手伝って、結局こんな風に僕の恋はやぶれて、自分でも何をしているのか分からない。陽斗から依頼が来た時には、上手くいかないことを何処かで願ったりしている自分もいて、本当に最低な僕だ。


「夢雨!!」


 突然、誰かの泣き叫ぶような声が響き渡った。僕は驚いて涙で霞む目を凝らす。そこには、彼女が立っていた。息を荒らげて、肩が激しく上下している。彼女は私の手を取ると優しく抱擁した。


「本当に心配したよ。依頼の予定時間を過ぎても全然帰ってこないから、心配で飛び出してきちゃったよ」


 彼女は本当に優しい。こんな僕にだって、温かい言葉をかけてくれる。この人に叶わぬ恋をしてもいいんじゃないか、何処かでそう思う僕がいた。


「心配かけてごめん。一緒にお店に戻ろっか」


「うん!」


 彼女は花が咲いたみたいな笑顔を浮かべて、僕の手を取った。そして、彼女と一緒に店に戻ったのだった。やっぱり、僕の気持ちはもう少し隠しておこうかな、なんて少し思ったりしながら。

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