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「お疲れでしょう。お茶を入れますわね」


「ありがとう」


 睡蓮は、優雅な手つきでお茶を入れ始めた。見るともなしにその様子を見ていた紅華は、その所作の美しさに思わずため息をついた。さすが、後宮を束ねる女官長だ。


「蔡貴妃様?」


 呼びかけるその声も鈴を転がしたように涼やかで、女の紅華でも聞きほれる。



「ああ、ごめんなさい。疲れたわけじゃないの。あなたがあまりにも優雅にお茶をいれるから、つい見惚れてしまったわ」


 その言葉に、ふんわりと睡蓮は微笑む。二十代前半といったところだろうか。色白ではかなげな美しさは、紅華よりもよほど後宮という場に似合うお嬢様だ。


「まあ。貴妃様にそう思っていただけるなんて、この上なく光栄なことですわ。さ、どうぞ」


「ありがとう」


 ふくいくとした香りが広がる。ほどよい熱さで入れられたお茶が、疲れた体に染み渡った。



「おいしい」


「ようございました。すぐに夕餉にいたしましょう。用意いたしますね」


「ええ。……ねえ睡蓮」


「はい」


「私、オバケって初めて見るわ」


 いきなり言われた睡蓮が紅華の視線を追う。部屋の南側にある窓に向けられた紅華の目には、窓の外にさかさまにぶら下がる人間の影が見えていた。


 不審者と思わなかったのは見たことのある顔だったからだし、本人なのかと疑問に思うのはその行動があまりにも突飛だったからだ。


 結果、紅華はソレを宮城になにかしら関係のあるかもしれないオバケ認定した。



「まあ」


 驚いたように、睡蓮が口元を押さえた。


「あら、睡蓮にも見えるの? じゃあ、オバケじゃないのかしら」


「そうですね……あれは」


 睡蓮が言い終わらないうちに、その影はくるりと回転すると、軽い足取りで着地した。


 そこに立っていたのは、先ほど広間で会ったばかりの黎晴明だった。だが紅華は目を瞬く。



「どちら様?」


 紅華が尋ねると、その男と睡蓮が一緒に目を丸くした。が、すぐに男は柔らかい笑みを浮かべる。


「瞬きの間にもうお忘れになったのですか? 黎晴明です」


「そうでは、ありませんよね」


「おわかりになりますの? 蔡貴妃様」


 驚いたように睡蓮に言われて、紅華は首をひねった。


「よく似ておいでですけど……ご兄弟の方ですか?」


 前皇帝には、四人の皇子がいた。その第一皇子、つまり皇太子が、紅華の夫となる黎晴明だ。おそらく、残りの三人のうちの一人だろう。



「驚いたな」


 砕けた口調になった男は、無遠慮に紅華に近づく。


「今の俺を見て、晴明と区別がつくとは。俺は、黎天明。晴明と同じ歳の弟だ」


「蔡紅華でございます。では、私はあなたの義姉になるのですね」


「そうだな。だが」


 ひょい、と天明は紅華の顎を持ち上げて顔を仰向かせる。



「ほう。かんばせは悪くない」


「……どうも」


「これなら義姉よりも、恋人の方がいい。晴明なんかやめて、俺にしろよ」


「お断り申し上げます」


「即答とはつれないな。断ったことを後悔する日が来るぜ?」


「断る……? 断りもなく……」


 べし、と自分の顎に当てられた手を紅華ははらった。


「婦女子の体に触れないでください」


 驚いた顔をしたが、天明は怒りもせずに笑った。


「なんと気の強いお嬢さんだ。気にいった」


「私はまったく気に入りません」


「いいね、その目。ぞくぞくする」


 天明は、睨みつける紅華を楽しそうに見返す。

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