第1章 幕引きは唐突に

第1話 穏やかな日常~学園祭の始まり~

 まだまだ夏の気配が尾を引く九月中旬。とある地方都市の私立高校では、この時期恒例の学園祭が盛大に催されていた。


 高校の敷地からは、秋晴れの爽やかな空に似つかわしい活気と軽快な音楽の賑々しさが漏れ聞こえている。

 

 校舎に続くメインストリートは、普段の味気ないコンクリートから一変、多彩な装飾に色めいていた。来校者を出迎える生徒達も、各々の出し物に依拠した色とりどりの衣装に身を包み、広告塔としてアピールしながらお祭り気分を盛り上げている。


「さぁさぁそこ行くお姉さん方も見といで寄っといで。ちょっと気軽に異世界気分を味わえちゃうカフェのご案内だよ」


 鴇玲士朗ときれいじろうもまた、自身の所属クラスが運営する体験型カフェの呼び込みとチラシ配りに精を出していた。


 すすけたリネンシャツの上に薄汚れたチュニック、継ぎ接ぎだらけのズボンという”異世界の村人”をイメージした衣装で堂々と手持ち看板まで掲げる物珍しい姿は、道行く人の関心を大いに惹いていた。


「物好きギルドが何故か世界樹の根の側に作っちゃった『異世界カフェ』は、時折、伝説の大蛇が根を齧る音が不気味に響く……そんな酔狂な店で、気まぐれに店員を引き受けてくれたのは、勇者にエルフに魔法使いエトセトラ。常連客も悪魔怪物女神に精霊何でもござれ、SNS映え必至の珍客と相席だってできちゃうよ! 見た目はアレでも意外にイケる異世界軽食と各種ドリンクも是非ご賞味あれ」


 見慣れない出で立ちと軽快な呼び込みに幾人かが足を止め、玲士朗からチラシを受け取って校舎に吸い込まれていく。明朗な面差しと人懐こそうな雰囲気のある彼は、誰にでも受け入れられやすく、テーマパークのキャラクターばりに写真撮影にも笑顔で応じること数回。


 来校者の流れが途切れてきた頃を見計らい、玲士朗は逃げるように校舎沿いの桜の木の下に移動した。夏の盛りと比べれば勢いのない日差しといえども、こうして押し売りされれば 辟易へきえきせずにはいられない。木陰で一息吐きながらスマートフォンを取り出して時刻を確認すると、午前十時三〇分を少し過ぎていた。


「……鷹介ようすけの奴、自販機探しにどこまで行ってるんだ」


 小休憩というより、もはや職場放棄したとしか思えない同僚に苛立ちが募る。真面目に働くのが馬鹿馬鹿しくなって、玲士朗は芝生に身体を投げ出した。


 木漏れ日を浴びながら空を仰ぐ。眼を閉じれば、麗らかな陽気と爽やかな風がささくれだった気持ちを労わってくれるような気がして、いつの間にか夢見心地だった。


「もしもーし、お休み中すみませーん」


 無邪気で柔らかなソプラノが微睡みに凪いだ意識へ波紋を投げかける。玲士朗は束の間の安息に恋々として、瞼を閉じたまま眉間に皺を寄せた。


「……悲しいかな資本主義社会、お客様は神様なのである」


 誰に言うでもなく愚痴りながら、途絶えかけていた勤労意欲を奮い立たせる。玲士朗は身体を起こしながら声の主を見上げた。


 逆光の中でも透き通るような白い肌と、濡羽色のショートヘアのコントラストが印象的な女子を認めて、玲士朗の表情は再度締まりをなくした。


「なんだ、柚希ゆずきか」


 ゆったりとした私服姿の音羽柚希おとわゆずきは、幼馴染のいつになく覇気のない様子を目の当たりにして、困ったように笑う。


「……えーと、開場二時間で早くも疲れちゃってる?」


「お察しの通り絶賛疲労困憊中だ。見ろ、この足。立ちっぱなしでピノキオも真っ青な棒っぽり。優しくして俺の歓心を買いたいなら今がチャンスだぞ」


「うわ……そう言われると途端に渡したくなくなったんだけど、買ってきちゃったから仕方ない。はい、差し入れだよ」


 柚希は小さなビニール袋を差し出した。玲士朗が中身をあらためると、ミルキーホワイトの乳酸菌飲料とパウチタイプの飲むバニラアイスが見て取れた。玲士朗は驚嘆した。


「ど、どうしたんだ柚希。柄にもなく気の利いた差し入れするなんて……カメラはどこだ!?」


「ドッキリじゃないよ! もうちょっと素直に喜べないかなぁ」


「普段の素行が適当すぎて、急には受け入れ辛いんだよ。自業自得だろ」


「むぅ。せっかく気を利かせてあげたのに、何で責められなきゃいけないんだ。あーあ、柚希ちゃんがかわいそうだなぁ、かわいそうだよね?」


「全然。いつも通りのおざなりな対応をお望みなら青汁とバームクーヘンでも持って出直してこい。こき下ろしてやるから」


 柚希は不満気に唇を尖らせていたが、玲士朗の奇抜な格好に眼を留めると、気を取り直したようにじっくりと観察し始めた。悪戯っぽい笑顔を浮かべながら、猫のように大きくつぶらな瞳を好奇心でさらに大きくしていた。


「意外に似合ってるね、その衣装。ちょっと地味なような気もするけど、イメージは?」


「異世界の村人」


「何で村人?」


「見ての通り剣も魔法も持たない徒手空拳だが、だからこそ大いなる可能性を秘めている。何せ何も持たないということは何でも持てる余地があるからな。伸び代しかなくてカッコいいだろ」


「うーん……でも、あんまり目立ってないような気がするよ?」


「いいんだよ、市井しせいの人々を惹きつけるのは物珍しい見た目じゃない、背中で語る生き様さ」


 芝居がかった言動に、柚希はやれやれと溜息を吐いた。


「大袈裟。ねぇ、そういえば一緒に呼び込みをやってるはずの鷹介は?」


「さぁな。自販機探しに行ったきり音信不通なんだ」


「何それ。要するにサボりってこと?」


 鷹介らしいなぁ、と柚希は呆れた。


「休憩、ちゃんと取れてる?」


「今まさに取ろうとしていたところなんだよ」


「そっか、じゃあ休憩ついでに玲士朗のクラスまで案内してよ。詩音しおん達にも会いたいから」


「ほほう……俺を水先案内人に選ぶとは御目が高い。ちなみに、こちとら貧しい村の一凡夫だからガイド料も高いが……持ち合わせは十分か?」


「え? 先払いしたよ?」


 きょとんとする柚希は、玲士朗の右手に携えられた差し入れを当然のように指し示す。玲士朗は何度か眼を瞬かせ、柚希の言わんとしていることを悟って、神妙な面持ちで呟いた。


「したたかな奴め……」


 二人は『異世界カフェ』のある校舎三階を目指しつつ、道すがら各クラスの出し物を見物していた。


 入り口も壁も重苦しい黒一色に塗り込められ、おどろおどろしい血文字が踊る教室を認めて、柚希が眼を輝かせた。


「ねぇねぇ、理科準備室のお化け屋敷だって! 結構怖そうだね。入ってみない?」


 差し入れのビニール袋片手に、パウチタイプのバニラアイスを咥えながら、玲士朗は力強く頭を振った。


「そんな時間はない。そして、お前と入るのだけは絶対御免だ」


「ちょっとぉ! シンプルに傷つくんだけど!」


「やたら悲鳴を上げ続けた挙句、徐々に狂ったように笑い出す奴が背後にいてみろ。ヒットポイント高めの俺じゃなかったら卒倒の上、トラウマになりかねない不気味さだったぞ」


 バツが悪そうに視線を彷徨さまよわせながら、柚希はぎこちない笑みを浮かべる。


「その節は……ごめんな」


「謝る気ないなお前」


「よし! じゃあ、悪い思い出を払拭するために、再チャレンジしよう。付き合うよ!」


「俺のリハビリみたいに言うな! いいか柚希、お化け屋敷と絶叫マシンは違うんだ。笑顔で悲鳴上げる奴はむしろマナー違反だからな」


「私だって最初は怖いから声出ちゃってるんだよ? でも、何だか段々楽しくなってきちゃうんだよね」


「め、面妖な……そういえばお前、感動する映画でも泣きながら笑ってたことがあったような……もしかして情緒不安定か」


「なんてこと言うんだ。柚希ちゃんはいつだって笑顔を忘れたくないだけ――あっ」


 柚希の視線の先から、一組の若い男女が連れだって向かって来ていた。玲士朗達の姿を認め、長身の女子――幼馴染の氷乃涼風ひのすずかがスラリと長い腕を振る。


「丁度よかった。今、連絡しようと思ってたところ」


 柚希が涼風と隣の少年――幼馴染の忍足颯磨おしたりそうまに駆け寄った。


「二人とも久しぶり!」


 柚希の気勢に涼風は面食らったようで、困ったような笑顔を見せる。


「久しぶりって……先週、柚希の学校の文化祭で会ったばかりでしょ」


「あ、そっか。えへへ、そうだね。でも、中学の時みたいに毎日は会えないから嬉しくなっちゃって」


「かわいいこと言うわね、柚希は。で、二人はどこかに行く途中?」


「詩音達のところへ向かってたんだが、このお気楽バカ娘に足止めを食わされてたところだ」


「聞いてよ涼風。玲士朗ってヒドイんだよ。お化け屋敷に誘ったら私とは一緒に行きたくないとか言うんだ」


 柚希の泣き落としを受けて、涼風は明らかに責めるような険しい目つきで玲士朗を見る。


「え……何それ。柚希みたいなかわいい女子の誘いを断るなんて、正気?」


「酷い言われようじゃないか。もちろん正気だが」


「じゃあ……好きな子に辛く当たっちゃってる、とか?」


「悪いが素直と正直が売りの明朗快活少年とは俺のためにある言葉だ」


「じゃあ……とにかく、玲士朗はおかしい」


「雑なまとめ方だな」


「だって、柚希は傍目から見ても美少女だし、玲士朗じゃなきゃ誘いを断るなんて選択肢はないもの」


 えへへ、と恥ずかしがりながらも満更ではない笑顔を見せる柚希に、玲士朗が嘆き節で噛みつく。


「美少女……嗚呼ああ、なんて恐ろしい連中だろう! 奴らは少しばかり見てくれが良いからって、純真無垢な男子にたかり、こづき、たぶらかすんだ。そして最終的には猫撫で声で『ねぇ、マンション買ってくれる?』……うわ、想像したら怖ッ! 無性に柚希が嫌な女に見えてきた! ついていったらバッドエンド系の悪女に見えてきた!」


 独り芝居を熱演する玲士朗に、柚希も涼風も冷めた眼差しを向ける。


「柚希、あんなの放っておこう。お化け屋敷でも何でも、私が後で一緒に行ってあげる」


「ホント? ありがとう涼風」


 大仰に喜ぶ柚希と、その姿を見て満足気な涼風、そしていつの間にか蚊帳の外に置かれて呆然とする玲士朗。三者三様の姿を遠巻きに眺めていた颯磨は、柔和な微笑みを浮かべながら玲士朗の肩を軽く叩いた。


「いやぁ面白かったよ玲ちゃん。めっちゃ卑屈なこと言うじゃん」


「心無い褒め方! あのなぁ、お前だって俺の言い分に少しは共感できるだろ?」


「美少女のくだり? 分からなくはないけど、分別くさい奴に限って典型的な悪女にしっかり騙されるんだよね」


 相変わらずの辛辣な受け答えだった。人を食ったような態度で面白がる幼馴染に、玲士朗は苦笑するしかなかった。


「……まぁいいさ。こうしてお道化てみせるのが、全国どこのお茶の間にも真心込めて笑顔を届ける鴇玲士朗の性なんだから」


 学園祭の回り方について一頻り柚希と盛り上がっていた涼風が、玲士朗に水を向ける。


「ねぇ玲士朗。詩音達のところに行くなら、私と颯磨も一緒について行っていい?」


「あ、ああ。それはいいが……」


 周りを気にするように視線を泳がせながら言い淀む玲士朗に、涼風は小首を傾げた。柔らかな色合いの長いポニーテールが挙動を追うように小さく揺れる。


 涼風はシャツとパンツというシンプルな装いながら、端正な顔立ちと健康的な身体の細さに持ち前の凛とした雰囲気が相まって、周囲の注目と羨望の的になっていた。さらに、隣に佇む颯磨も、飾り気はないが色白で目鼻立ちのはっきりした好男子であり、女子生徒達の黄色い視線が絶えず注がれている。


 立っているだけで脚光を浴びてしまう美男美女のコンビを少し羨ましいとも、また窮屈そうだとも思いながら、玲士朗は小さく嘆息した。


「お前らって……目立つんだよなぁ」


 玲士朗の言わんとしている意図が掴めず、涼風は形の良い眉を顰める。察しの良い颯磨はわざとらしく声を上げた。


「まぁ立ち話もなんだし、とりあえず移動しようか」


 四人は異世界カフェを目指して再び歩き始める。颯磨と涼風は、先導する玲士朗の普段とは打って変わった服装を興味深そうに観察していた。


「でも、玲ちゃんこそ今日はいつもと違って目立ってるじゃないか。どういう風の吹き回し?」


「あ、実は私も気になってた。そういう着こなしもあんまり違和感はないのね」


「……何だか話の流れが不安なので念のため。これは私服じゃなくて衣装だからな」


 颯磨はわざとらしく大袈裟に驚いた。


「え……普段着じゃなかったんだ」


「普段着ならもう少し小綺麗にしてるわ!」


「冗談冗談。でも、出し物は異世界カフェだって聞いてたから、もっとこう……奇抜な恰好してるかと思った。ほら、チラシにも『市内の衣装製作業者とコラボした本格コスチューム』って書いてあるから期待してたんだけど」

 

 興覚めだという風に颯磨は大きく溜息を吐く。傷口に塩と毒を塗って愉しむような加虐的な趣味嗜好の持ち主である颯磨にとっては、それほど奇異でもない玲士朗の扮装は面白味がなく、揶揄からかい甲斐がなかった。


「安心しろ颯磨。詩音あたりが、いわゆる“恥ずかしい格好”で客に媚びている姿をもうすぐ拝めるから」


 まさに猫に小判であった。聞くや否や、颯磨は口の端を鋭角につり上げ、底意地の悪さを見せつける。


「……へぇ、それはちょっと楽しみ」


「相変わらず腹黒いわね」


 呆れ気味の涼風の呟きに、柚希は苦笑した。

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