二章1 『引きこもりが外に出たら迷子である』

 僕とノゾムは自宅の前にいた。自宅とはもちろん、僕の家のことだ。

 三階建ての一応高級住宅。庭は広く、家も無駄に大きい。だがここに住んでいるのは僕と住み込みの家政婦だけ。ぶっちゃけ敷地の無駄遣いだがまぁ、色々事情があるのだ。

 さて、僕達は家の前に精神的疲労困憊の状態で立ち尽くしていた。ここまで辿り着くまで、とんでもない精神負担があったのだ。




 それは一枚の張り紙から始まった。最初、それはただの顔写真が載ったごく普通の張り紙だと思った。そういうのは大して珍しいものでは無いと久しぶりに外に出た僕でも分かる。選挙の広告、指名手配犯のポスター。そんなものは少し歩けばいくらでも見つかる。だけど僕は少し違和感を覚えた。デジャヴのようなものを感じたのだ。


 僕がじっとそれを見ていると、ノゾムもそれに気付いた。

「Iの写真じゃないですか」

 そう、これは僕の顔だった。

 張り紙にはこう書かれていた。「探しています、情報をくださった方にはお礼を差し上げます。金頼愛(かねよりあい)、十四歳」そして家政婦の名前とボックスの電話番号、メールアドレスも記載されていた。まるで迷子の猫用のチラシだ。


「あ、本名でも『あい』だったんですね! ふふふ、女の子みたいな名前ですね~」

「うっさい。……とにかく、早く帰るぞ」

「え? 連絡しなくていいんですか、愛ちゃん」

「それ以上言ったらお前の舌を切る」

「はあ、わかりました。あと、お前じゃなくてお姉ちゃんでしょ、愛ちゃん」

「しつこい」


 少し歩くと、また同じ張り紙があった。今度は一枚だけでなく、掲示板を埋める量の紙が貼られていた。

「大切に思われているんですねー」

「まったく、過保護な奴だ」

「こら、ご両親のことを奴だなんて言っちゃダメですよ!」


 僕は少しイラつき、強い口調で吐き捨てた。

「親じゃない、家政婦だ。親はもう、死んでいるからな」

 ノゾムがはっと息を呑んだのが分かった。余計なことを言ってしまったかもしれないと僕は後悔したが、もう遅い。彼女は申し訳なさそうに顔を俯けて言った。

「……ごめんなさい」

「別に、お前が気にすることじゃない」


 それでもなおノゾムはしゅんと落ち込んでいたが、僕は彼女を置いて先を歩いた。しばらく行くとようやく彼女は後をついてきた。

 家の近くになると、件の張り紙の枚数がさらに増えた。

「……あいつ、完全に我を忘れているな」

「どういうことですか?」


「こういう類の張り紙は近所よりも遠方に張るべきだ。近所をうろついているなら、別に迷子でも何でもないだろ? それにきちんと近所付き合いをしていれば、張り紙なんて張らなくても情報が集まってくる。逆に遠方の人からは見かけても飼い主が分からない、そういう場所に張り紙があれば、そいつが迷い猫だと分かる。だから遠方に多く張り紙を張るべきなんだ」

「愛、さりげなく猫の話にすり替えていますが、この張り紙は人、あなたのためのものですよ」

「……あいつ、我を忘れているな」


 僕はげんなりとした思いを込めて言った。

「迷い人のための張り紙なんて、始めて見ました……」

「まったく……、ここはニューヨークじゃないんだぞ」

「愛には家政婦さんにこういうことをされる覚えはないんですか?」

「……さぁな」

「今、目をそらしましたね。何か言いにくいことがあるんじゃないですか?」

 ちっ、無駄に勘のいい奴だ……。


「お姉ちゃんって呼んでいいなら、これ以上は追及しませんよ?」

「……実は四、五年ぐらい引き籠もっていたんだ」

「……それは心配されて当然ですね」

 お通夜的なムードを纏い、僕等は家へ急いだ。本当ならボックスで今すぐ連絡できればいいのだが、あいにくそれも家に置いてきてしまったのだ。まぁ、ノゾムに拉致られたから持ってくる暇が無かっただけなのだが。

 こうして僕等は幾人もの僕に睨まれて、家路についたのだった。




「……家政婦さん、中にいらっしゃいますかね?」

「おそらくいないだろう。今頃、街中を走り回って僕を探してるんじゃないか?」

「ですよねー……」

 ノゾムが苦笑いをした、その時だった。

 ヒュンと一瞬、風切り音が走ったような気がした。ぱらぱらとノゾムの髪が数本、綺麗に切れて宙を舞う。そして一本のテーブルナイフが鋭い音を立てて塀に突き立った。


「……あなた様、今すぐ愛様から離れなさい」

 背後から凛とした女性の声が聞こえた。振り返るとそこには、女王様然としたメイド服の女性が暗いオーラを放って屹立していた。


「……愛、あの危ない人は誰ですか?」

 青白い顔でノゾムは訊いてきた。

「彼女が僕の家の家政婦、虚乃星夜(そらのほしよ)だ」


金髪碧眼、容姿が整った見目麗しい女性。背が高く、スタイルがいいモデルのような容姿。一応日本生まれらしいが、詳しく尋ねたことは無いので真偽は分からない。

星夜は幾本ものナイフを手に、ノゾムを敵意に満ちた眼差しで睨みつけている。少しでもノゾムがおかしな動きをすれば、手に持ったナイフで刺し殺すつもりだろう。

「星夜、彼女は決して危険な奴じゃないんだ。だからその危険なものを仕舞ってくれないか?」

「今しばらくご辛抱ください、愛様。今すぐその者を排除し、愛様をお救いいたします」

 ダメだ、聞いちゃいない……。


 僕は小声で彼女に告げた。

「ノゾム、とにかく星夜の言うことに素直に従うんんだ。絶対に逆らったりするんじゃないぞ」

「そ、そんなこと言われなくたって見れば分かりますよう……、ひっ!」

 さくり、またノゾムのすぐ近くに新たな一本が付き立った。

「あなた様、私めの断わりなく勝手に口を開かないでください」

「は、はひっ!」


「では今からいくつか質問をしますので、嘘偽りなく正直にお答えください。……もしも虚偽の返答をされた場合は直ちにあなた様の命を頂戴いたしますので、そのおつもりで」

 泣きべそをかきつつ、がくがくと頷くノゾム。星夜は眉ひとつ動かさず、ノゾムの所作を一つ一つ観察していた。


「では一つ目。愛様が急にいなくなられたのは、あなた様が原因ですか?」

「ええ……」

 ヒュン、さくり。ノゾムの頬を裂いて、ナイフが壁に打ち込まれた。彼女はぱくぱくと口を動かしていたが、何も言わなかった。恐怖で声が出せないのだろう。

「ああ、ごめんあそばせ。手が滑ってしまいました」

 心なしか、星夜の青い瞳に赤い炎が燃えているような気がした。


「二つ目です。あなた様は愛様に危害を加えたりはしませんでしたか?」

「い、いいえ」

「左様でございますか」

 ノゾムの言葉に納得していないのだろう、星夜の瞳にナイフのような鋭さが宿った。


「最後にもう一つ。あなた様の目的をお聞かせください」

 星夜の手にはまだ十本近くのナイフが握られている。なのに質問はもう一つだけ。それの意味を想像するのは容易で、だがとても恐ろしいことだった。

「……私は」

 囁くような声で言いかけ、しかしすぐに止め。ノゾムは毅然とした表情になって、自分の覚悟を宣言するかのように言い放った。


「私は愛が望む限り、彼に仕え続けたいんです。主の身を守り、共に戦う。それが武士ってものですから!」

 星夜は一度目を閉じた。再び開かれた時、彼女の眼には全てを凍てつかせるような、冷たい光が差していた。

「辞世の句は聞き届けました。一片の未練も残さず、天におわす主の元へ帰りなさい」


 手にしていたナイフを全てノゾムへと放つ。彼女が光輪を出す暇も無く、それ等は心の臓や喉などの急所へと迫る。

 しかし切っ先が彼女に突き刺さることはなかった。僕達の背後で何かが爆ぜたような乾いた音がした。そのすぐ後にナイフは耳を刺すような鈍い音を立てて射線を変え、地面や塀にぶつかりそのままアスファルトの上に落ちた。


 しばらく空っぽな沈黙が流れた。やがて星夜はエプロンのポケットからフォークを取り出し、あらぬ方向へと投げた。それは家の敷地に植えられた桃の木へ一直線に飛んでいった。枝にぶつかると思った瞬間、急に桃の花の中から腕が飛び出してフォークをキャッチした。

 星夜はあからさまに不機嫌な顔で、腕の主に文句を言った。


「心さん、邪魔をしないでください。さもなくばあなたも切り捨てますよ?」

 腕は引っ込み、だがすぐに花の中からさっきよりも速いスピードでフォークが星夜へと放たれた。彼女は難なくそれをかわした。フォークはアスファルトの道路へ突き立つ。まるでホットケーキに刺したかのように、何の音もしなかった。


「にゃははー、これを避けるとはさすが星夜っちだにゃん」

 桜の木から一匹の猛獣、ではなく人間が飛び出してきた。まるで猫のような身軽ですばしっこい少女。茶色のツインテールを揺らして枝から枝へと飛び移り、あっという間に塀の上に。曲芸や軽業を見ているようだった。

 彼女は内貫(うちぬき)心。まだ僕がまともに学校に通っていた短い間に懐かれてしまった。理由は分からないが、もしかしたら給食のサンマを譲ったのがきっかけだったかもしれない。


 小柄な体躯と超人的な身軽さゆえに、友人からは猫と呼ばれていた。本人もその呼び名通りに振る舞い、周囲からもそのキャラが好まれて現在に至る。そろそろ中学生らしい振る舞いをしてもいいのではないかと思うのだが、引きこもりの僕にとやかく言う資格は無いだろう。

 頭にはブーニーハットという丈夫なチューリップ帽子のようなものが乗っかっている。

 腰にはホルスターが装着されており、そこには銀色に輝くデザートイーグルのエアガンが納まっている。デザートイーグルとはハンドガンの中でも高威力&長距離射程が特徴のパワータイプのウェポンだ。彼女はそれを自在に操り、射程距離ギリギリからターゲットを狙うことができる。おそらくさっきのナイフを弾いたのはその銃の弾丸だろう。


 心はサバゲ―界で『鷹の目のスナイパー』と呼ばれて恐れられている。一部の公式試合では出場禁止を食らう程の大物になったらしい。最近はサバゲ―に飽きてオンラインのFPSにハマりだし、再び新たな伝説を立ち上げているようだ。

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