一章6 『傷を持つドラゴン』

 さっきまで超速で視界を横切っていた火炎弾が、真っ直ぐこちらに向かってくる。それはいやにゆっくりとしたスピードであるような気がした。

 だけどそんなはずはない。もしも火炎弾が今見ているように遅いなら、とっくにノゾムは射線外に逃げている。


 だからこれは、僕の思い込み。あるいは死に際の走馬灯のようなものだろう。だが残念ながら、僕には振り返るべき思い出が無い。ゆえに直前まで迫った、残酷な死を直視し続けるしかないのだ……。


 もう火炎弾は目の前だ。

 僕はどうなるのだろう? ゲームに負けると、死ぬのだろうか。いや、まさか。だけどそう思ってしまうぐらい、炎の揺らめきは生々しく、発する熱は焼けるように熱かった。

 いよいよ視界が炎に占められそうになった瞬間、ふとノゾムが僕の顔を覗き込んで言った。

「ごめんなさい、I。だけど今だけ、心の全てを私に委ねてください……」


 彼女は僕に顔を近づけてくる。僕の視線は彼女の艶めかしく光る唇に釘付けになった。それはプリンのように柔らかく、妙に明るく煌めいていた。唇は視界の下に消え、僕の目はノゾムの紅く光る瞳に奪われる。彼女の目は炎の熱で溶ける鉄のごとく熱くどろりとしている。ノゾムは瞼を閉じた。僕も釣られて、目を閉じる。

 ふいに温かく湿った感触が、僕の唇に触れた。驚いて目を開けると、彼女の視線ががっちりと僕の目線を捕まえた。妖しい光に満ちたその瞳は、僕の胸の中を舐めるように、意識を曖昧にしていった。

 その時、火炎弾が僕らを飲み込んだ。


 ……はず、だった。

 だけどそれは熱くも冷たくも無く、そもそも物体としての質を持っているような感じさえしなかった。


 不思議に思い、周囲を見てみる。僕は思わず自分の目を疑ってしまった。奇妙で神秘的な現象が起きていたのだ。僕等の立つ地面が紫色の光を放ち、その部分だけ火焔の被害を受けていなかった。結界、というやつだろうか。だけどそれはおかしい。ブレーメン☆ガールズのノゾムはこんな能力は持っていなかったはずだ。それに、さっきの謎の行動、彼女らしくない妖艶な雰囲気。……この少女は本当に、夢月ノゾムなのだろうか?


 もやもやとした疑問が胸中で渦巻いたが、すぐに水面の波紋のように消えていった。目の前の少女の顔には、あの無駄に明るいノゾムが戻ってきていたからだ。でもあの妖艶な少女は焔が生み出した幻想ではなく、確かにここにいたはずだ。でなければ僕等がこうして無事でいられたはずがない……。

 僕がじっとノゾムの顔を見ていると、彼女は不思議そうな顔で首を傾げた。

「どうしたんですか?」

「……いや、なんでもない」


 今の彼女に何を聞いても何も分からないだろう、ノゾムのきょとんとした顔を見て僕は確信した。

 炎は勢いを少しずつ弱め、結界もいつの間にか消えていた。

 その向こうではあんぐりと口を開けた陽炎と、未だパワーアップ状態のYバーンが俺等を赤い瞳で睨んでいた。

「限界突破!」

 僕は急いで自分のクリスタルの円いしるしを押し、ノゾムの力を開放する。


 能力のリミッターが解除されたことによって彼女の髪が急激に長く伸び、そして木刀が二倍以上のサイズに変形した。かつて木刀だったものは、今やまるで斬馬刀のような長さと形状だ。それはとても稽古で振り回すものでは無く、殺傷力を持った立派な凶器。並の相手なら一発で昏倒させられるだろう。しかし相手はあの武骨な巨体の竜だ。この武器で太刀打ちできるかというと、正直微妙な所だった。


 ノゾムの限界突破と同時にYバーンは第二弾を撃ってきた。しかし今度はまともに食らうことも無く、彼女は余裕でその攻撃を回避する。

「それでI、Yバーンの急所は見つかりましたか?」

 僕のぼうっとしていた頭がその言葉で目を覚まし、その瞬間にあのデカブツの急所も脳裏に蘇った。


「……思い出した、首と胴体の間だ。体が巨大だから気付きにくいが、そこに傷がある」

「分かりました、そこが急所なんですね!!」

 ノゾムの元気な声に、僕は自信をもって頷いた。

「ああ、そうだ。二年と五ヶ月前にゲーム内であいつを見た。ステージ十・破滅の峡谷で竜にされたトカゲ、それがYバーンだ。だけどそのトカゲはケガをしていて、それが変身後にも受け継がれてしまったんだ」

「なるほどです、では行ってきます!」


 僕を下ろして、おっとり刀で駆けだそうとするノゾム。そんな彼女の足を引っかけて、つっ転ばせた。

「な、な、何をしてくれちゃってんですかー!」

 じゃじゃ馬は地面に突っ込んだ顔を持ち上げてキレた。というかこいつ、思った以上に頑丈だな……。


「考えなしで突っ込むなバカ。今のあいつに突っ込んだところで、灰になるかぺちゃんこにプレスされるのが落ちだぞ」

「だ、だからって攻撃しなくちゃ、いつまで経っても勝てませんよ! って危ない!!」

 ノゾムは僕を再び抱えて飛んできた火球から逃げた。

「そうギャーギャー騒ぐな。あと五十秒ほど待て」


「……え? どうしてですか?」

 僕はクリスタルに表示されているカウントを見ながら答える。

「Yバーンのリミッターが解除されたのは今から二分と十一秒二一前。そしてお前は一分と五十秒一二だ。あと四十八秒七九であいつのリミッターが再びロックされる。その後、お前のリミッターがロックされるまで二十秒ほどの猶予がある。その間に攻撃を仕掛けた方が確実だ」

「合点です!」


 遠目に見ただけでも、陽炎が焦り始めていることが分かった。おそらくあいつもこのことに気付いているのだろう。

「どうしたでござるか、Yバーン! 早くあの小娘等を焼き払うでござる!!」

 Yバーンは火球を次々と放つが、ノゾムは竜の周囲を大きく回ることで射線上から逃れる。



 このまま突っ込んでも、彼女の足ならかわしながら接近できるかもしれない。しかし念には念をというやつだ。プレイングにおいて短気は損気。スナイパーのように気を長く持てる者が、勝負を制する。特にプレイヤー同士の戦い、PVPではそれが重要となる。CP戦とは違って様々な不確定要素が混ざりこみ、つい冷静さを欠いてしまう。僕のやるソーシャルゲームでもリアルバトルシステムが組み込まれているものがあったが、多くのプレイヤーがアイテムやスキルの使用するタイミングを間違えて自滅していった。追い込んでいる時も、追い込まれている時も平常心を保ち続ける。ケースバイケースだが、基本的にはそのプレイスタイルを貫けばチャンスを見逃すことは無い。


 あと五、四、三、二、一……!

 Yバーンの瞳の色が元に戻った。


「今だ、突っ込めええええええ!」

「はい!」

 ノゾムは方向を転換し、Yバーンの懐に一直線に突っ込む。

「ええい、小癪な! Yバーン、何としてでもあの者共の進行を防ぐでござる!!」

「ウォオオオオオオン!」


 Yバーンは翼を大きく羽ばたかせて、空へと飛び上がった。

「ノゾム、今のお前の脚力なら奴の背に届くはずだ!」

「分かりました、飛びます……あ」


 上空から、火炎弾が僕達目掛けて落ちてきた。それも巨大で、広範囲へ火の手が広がるのを予想させる膨大な熱を含んだ炎だ。落下速度は遅いものの、火炎の範囲外へ逃げるのはノゾムの足であっても不可能だ。

「ど、ど、どうしましょう!?」

 慌てふためくノゾム。


 すでに僕はある打開策を思い付いていたが、ギリギリまで待ってみることにした。もしかしたらもう一度、彼女のもう一つの顔が見れるかもしれないと思ったからだ。……別に、あの妖艶なノゾムが好きなわけじゃないぞ? 顔が火照ってるのも、胸の鼓動が早まってるのも、火炎弾が迫ってきているからであって、彼女に惚れてしまったわけでは決してない。


 だがそういう言い訳をする時点で、僕がいつもの自分でないことを認めているのも同じだということは気が付いている。僕があの妖艶なノゾムに興味を抱いているのは事実だ。だけどそれは恋とか甘ったるいものでは無く、もっと暗く、抗い難いものだ。

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